2011年12月11日

連載(32)

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 潼関(どうかん)が破られたとの連絡が長安に入ったのは、二日後の六月十一日であった。
「皇帝、明日未明 身内の者だけ連れて、蜀(しょく)に向け密かに長安を抜け出しましょう」
 宰相楊国忠(ようこくちゅう)は青白い顔で、真夏だというのに震えながら言った。
「あわてふためいて、おのれだけが逃げ延びようというのか。宰相たるものこの期に及んで見苦しいぞ」
 玄宗皇帝は一喝した。
「明日にも安禄山の大軍が長安城になだれ込みます。一刻の猶予もありません。城を捨てて夜逃げするのではありません。蜀への一時の行幸(みゆき)です。安禄山が長安に入ったら、まず、楊貴妃を略奪するとの専らの噂です。彼らは野蛮人です」
 楊国忠の巧みな言葉に、他にどうすることも出来ず、歳を取り、気力を失った玄宗皇帝は、黙ってうなずかざるを得なかった。
「高力士(こうりきし)よ。こんな時に朝衡(ちょうこう)がいてくれれば心強いのだが」
「天子様、朝衡殿は九死一生を得て無事中国に帰還しました。しかしながら、疲労、衰弱しており、今、襄陽(じょうよう)の地にて養生しています」
「そうか、生きていてよかった」
「安禄山が攻めてきたら、最初に血祭りに上げられるのは、楊国忠、お前であろうが」
 高力士はつぶやいた。
 そもそも、かっての忠臣の部下、安禄山が謀反を起こしたのも、元をただせば、楊国忠の仕業であった。
「逆臣楊国忠を討つ」
 安禄山が反旗をひるがえして攻め入った相手は、玄宗皇帝ではなく楊国忠であった。
 
「高力士、何回も忠告されながら耳を傾けなかったこと後悔している。お前の心配していた通りになってしまったわい」
 玄宗は国政を執ることを止め、宰相に全てを委ねることが多くなり、楊貴妃にうつつをぬかしていることを再三高力士が諫(いさ)めた。玄宗は誰もいない処で独り言をつぶやいて、今頃後悔した。
「女は国を滅ぼす。全ての女達を政(まつりごと)から排除せよ」
 四十年前に自分が語った初心を忘れたのか。
 六月十三日の未明、玄宗皇帝一行は宮城(みやぎ)の北にある禁苑(きんえん)の延秋門(えんしゅうもん)から蜀へと都落ちした。玄宗皇帝、皇太子(後の粛宗(しゅくそう))以下、楊国忠、楊貴妃、その姉妹三夫人、高力士、郭子儀(かくしぎ)等、約数千人の逃避行であった。長安城が陥落したのは、それから四日後のことであった。

 そして馬嵬(ばかい)の悲劇は六月十五日、蜀へと逃避する道すがらに起こった。今までの不満が遂に爆発し、哥舒翰(がじょかん)の部下 郭子儀とその兵隊達は楊国忠、姉妹三夫人以下楊一族及びその配下を馬嵬で殺戮(さつりく)した。
「楊国忠を天誅する」
「哥舒翰大将の命令を果たすことが出来た」
 実際に楊一族を殺したしたのは、郭子儀とその部下千人の兵隊であった。そして、兵士達は楊貴妃の処刑をも玄宗皇帝に迫った。この時、天子は既に七十一歳であった皇帝の権限も地に落ち、気力も失せていた。兵士達の騒ぎは収まらず暴動は大きくなるばかりであった。楊国忠の首は槍の先につるされ高く掲げられた。
「どうしたのだ。まだ乱は鎮(しず)まらぬのか」
 と、玄宗皇帝は不安げに尋ねた。
「まだ禍根が残っています。お恐れながら楊貴妃を処刑しないかぎり暴動は収まりません」
 郭子儀が直訴した。楊貴妃は政に口を挟むようなことはしなかったのだが。

 玄宗皇帝は何も喋らなかった。
「群集心理とは恐ろしいものだ。ここは手際よく謀反(むほん)を鎮圧しなければ、皇帝の命まで危ない」
 と、宦官(かんがん)の高力士はとっさに判断し、行動した。
「権力者が失脚する時は、実にあっけないものよ。ことここに及んではどうしようもない。逃れることも出来ない」
「楊貴妃様、私の言う通りにして下さい。先ず、皇帝殿にお別れのあいさつをして下さい。その後、郭子儀(かくしぎ)閣下に、あの小さな仏堂(ぶつどう)で御仏(みほとけ)に最後のお祈りを捧げる許しを得て下さい。そして、高力士の手にかかり逝きます、と告げて下さい」
 と、高力士は楊貴妃にそっと話した。楊貴妃は黙ってうなずいた。
「こんな時に朝衡様が近くにいてくれれば・・・」
 と言う思いが楊貴妃の心をよぎった。
 高力士に全てを委ねた。高力士は彼女に仕えて十年が過ぎていた。高力士は楊貴妃が好きだった。楊貴妃は高力士が嫌いではなかった。楊貴妃はくじけそうな気持ちを懸命に抑え、鷹揚(おうよう)に落ち着いて玄宗皇帝の下に歩み寄った。
「天子様、お世話になりました、お達者で。さようなら」
「玉環(ぎょくかん)よ、来世(らいせ)でまた必ず逢おうぞよ」
 しかし、楊貴妃の玄宗皇帝に対する愛は、この一瞬のうちに消えた。
「力が落ちたとはいえ大唐国の皇帝。命懸けになれば愛する女ひとり簡単に助けられるはず。自分の命と地位が惜しいばかりに私を見殺しにするのだ。一介の凡夫(ぼんぷ)でも愛する女のためには命を懸けようものが」
 玄宗皇帝が助けてくれると信じていた楊貴妃は、心の中で失望してつぶやいた。
「郭子儀将軍様、どうか、あの仏堂にて最後に御仏を拝ませて下さい。そして国恩(こくおん)に背(そむ)いた罪で高力士様の手を借りて自害致します。皆様、さようなら」
 豊艶(ほうえん)だった顔はすでに痩せ細ってやつれてはいたが、その美貌はむしろ深みを増し妖艶だった。郭子儀はうなずいて楊貴妃に頭を下げた。
 高力士は郭子儀から刀を借りて、宦官の供を一人連れ楊貴妃の後に従い、小さな仏堂に入っていった。脇には松が大地に並行して緑の枝を伸ばし、背丈以上もある蜀葵(しょくき)(タチアオイ)の花が何本も真っ直ぐに真夏の空に向かって咲き乱れていた。楊貴妃の姿が松と葵の間に見え隠れし、楊貴妃が通り過ぎた後、赤紫の花々が微かに西日に揺れた。
「貴妃様、髪の毛を切りますよ。よろしいですか」
 仏堂に入るや否や、高力士は左手で楊貴妃の髪の毛をギュと掴み、右手に持った刀でバサッと手際よく切り取った。
「服を取り換えて、宦官に変身して下さい」
 楊貴妃はようやく気が付いて、高力士に話しかけようとしたが、それを遮り、また小声で命令するように言った。
「裸になって下さい。花鈿(かでん)のかんざし、金雀(きんじゃく)の髪飾りもみなはずし、彼女に渡して下さい。宦官の服と帽子を身に着けて下さい」
「はい、わかったわ」
 と、素直に答えた。
 宦官の格好をしていた供の女は、帽子の中に丸めて結っていた髪の毛をバサッと垂らし、女になった。そして、楊貴妃のかんざしを付け、紫のしとねをつけた。
 二人の女は、楊貴妃から宦官へ、宦官から楊貴妃へと素早く変身したが、二人の体つきはちょうど同じであった。楊貴妃三十八歳ながら、その張りのある白い裸体は、昔とちっとも変わらない艶(なま)めかしい凝脂(ぎょうし)の肌であった。小さな仏堂の小さな観音菩薩(かんのんぼさつ)が無表情にこのようすを見つめていた。
「お前の力を借りなければならない時が遂に来てしまった。国家のため、楊貴妃の身代わりになってくれ。」
 高力士は自分の愛人に言った。
「高力士様、今まで受けたご恩は忘れません。覚悟は出来ていますわ。さようなら」
 楊貴妃に変身した愛人は小刀で自分の腹を思い切り突き刺し、身代わりに自害した。
「楊貴妃様、御介錯(ごかいしゃく)致します」
 高力士は甲高い大声で言った。宦官とはいえ男であり、一刀の下に首を切り落とした。床に転げ落ちた顔は血で染まり、長い髪の毛が顔にまつわりついていた。
 カランコロン、カランコロン。
 小さな仏堂の木の床にかんざしが乾いた音を立てて乱れ散った。小さな観音菩薩は無表情のままであった。
「うつむき加減に他人を見ず、前かがみに小股で私の後についてきて下さい。あわてないで、落ち着いて、貴妃様、あなたは宦官です」
 高力士は宦官を伴って仏堂から出た。宦官は丸首で、袖口を絞った着物のような長いゆったりとした夏服を着ていた。服は緑色で、帽子と腰ひもは黒である。宦官の服の色もその位によって決められ、紫は三品、紅は四、五品、緑は六、七品であった。楊貴妃が着用したのは、最下位の宦官の服装であった。
「立派なご最期でした。郭子儀閣下検分お願いします」
 郭子儀は胴体と切り落とされた血塗りの顔を遠くから一瞥(いちべつ)しただけで、顔を背(そむ)け楊貴妃の死を皆に告げた。兵士達は鬨(とき)の声をあげた。宦官達によって遺体は仏堂の裏に穴を掘って手際よく埋められた。

 愛人は実は三年ほど前、西域の戦いで、敦煌(とんこう)の西北、玉門関(ぎょくもんかん)近くの邑(むら)で数人の唐軍の兵士に強姦されかかっているのを、ちょうど通りがかった高力士将軍に助けられた。愛人は敗戦国の卑しい奴隷の女であったが、容姿が楊貴妃に似た美人であった。楊貴妃を玄宗皇帝に紹介した、自身も楊貴妃が好みのタイプだった高力士は、彼女を宦官に化けさせて手元においた。高力士は男の抜け殻であったが、宦官といえども女に興味があり、自分の女としたかった。しかし、いくら権力があるとはいっても、宦官が宮廷内で女官を大ぴらに愛人にするわけにはいかないので、宦官と偽って自分の手元におき愛人とした。それは歪んだ愛であったが、彼女は満足していた。また、何か楊貴妃に災難が有った場合、替え玉として役に立つこともあろうと考えていた。
 誰もがこの目立たない宦官が女であったことには気が付かなかった。
「こんなにうまくみんなを欺くことが出来るとは・・・。女影武者だ。愛人がこんなに役に立つてくれるとは思わなんだ」
 と、高力士は悲しみのうちにも安堵した。
 高力士の後ろをチョコチョコと前屈(まえかが)みに、小股で歩いていった無表情の宦官が、楊貴妃であるなどとは誰も思いもつかなかった。まだ夏だというのに、早くも季節はずれの極楽トンボが宦官の頭にとまり、羽根を休めていた。時は七五六年(日本 天平勝宝八年)六月十五日真夏の出来事であった。
 楊貴妃は馬嵬では死なず生きていた。
 宦官に身を変えた楊貴妃は、ふと朝衡の事を想い出していた。しかし、仲麻呂は日本への海路で遭難しすでに死んでしまったと思っていた楊貴妃は、仲麻呂も奇跡的に生きて長安に還っているとはつゆ知らなかった。
posted by いきがいcc at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 32.楊貴妃は生きていた