2011年12月08日

連載(30)

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 十五日の満月の夜には、三艘の屋形船は警戒の目をくぐり抜け本船にすでにやって来ていた。第四班の僧如海(じょかい)達が満月の夜十二時なっても現れなかった。
「高僧霊祐(れいゆう)と僧如海と探訪使が密告の仲間であった」
 思託は暴き出した。
 首謀者は僧如海であった。彼は東北出身と名乗っていたが、訛がひどかった。偽僧侶で新羅の間者(スパイ)の頭であった。色白の小男で見るからに貧相であったが、少林寺にて拳法を修得した達人であった。、伏し目がちで目立たない敬虔な僧は、胡笳(こか)を吹く刺客であった。
「僧如海が間者の親玉とは夢にも思わなんだ」
「紫の袈裟を着た新羅の女は、僧如海の変装であったか」
 一行の情報が、常に直ぐ探訪使にわかったのは如海の密告によってであった。探訪使は如海を通して新羅国から多大な賄賂を受け取っていたので、金のため、執念深く沙弥の密航を阻止しようとし、成功した暁には更なる賄賂をもらう約束であった。探訪使は楊国忠(ようこくちゅう)の部下の宦官からも多額の金を受け取っていた。
 霊祐の行為は、師匠の身を案ずる一身から出た純粋なものであったが、鑑真にとっては本当にありがた迷惑なことであった。
「霊祐の心はただの子女の情けだ。仏法の大事を遂げんとするには妨げである」
 と、鑑真和上は嘆いていた。

 一方、僧普照は乗船ギリギリまで姿を現さなかった。十九年間も過ごした唐を後にすることになるのだと思うと名残惜しくなった。
 彼は一人揚州の繁華街へと足を運び、運河の辺にある酔月楼(すいげつろう)へと入った。西域の料理を食べさせる高級料理屋であった。彼は三楼の運河の見える窓辺の片隅に一人坐った。
「焼いた羊肉の串刺し、包子(パオツ)(餃子のようなもの)、胡餅(こべい)、それから葡萄酒を下さい」
 楊州の街並みをぼんやり眺めていた。運河には数えきれないほどの太鼓橋が連なっていた。この辺りは青楼街(せいろうがい)と呼ばれ、夜にもなると娼楼(しょうろう)の降紗灯(こうさとう)(赤い絹を張った灯火)が何千と軒を連ねて灯をともし、美しく着飾った揚州美人で溢れかえっていた。簫(ふえ)の音と共に、楊州悲歌が流れていた。

  十年ひとたび覚(さ)める 楊州の夢・・・
―放蕩三昧十年から覚めた 楊州みはてぬ夢―
  かちえたり 青楼(せいろう) 薄倖の名・・・
―我が身が得たものは 色街での浮き名だけだった―

 当時、唐最大の色街として繁栄した世界最大の港であった。隣の個室の戸が開いたとき、見覚えのある顔を見た。
「あれは誰だったかな。そうだ玄朗(げんろう)だ。玄朗だ」
 彼は個室に駆け込んでいった。
「玄朗、俺だ、普照だよ、元気でよかった。何年振りだ」
「おお、普照か、久しぶりだなあ、九年振りだな。お前も元気で何よりだ」
 玄朗は普照、栄叡(ようえい)と共に遣唐使留学僧として日本から唐にやってきた。共に仏法の道を求め、厳しい修行と勉学に机を並べて励んでいた。しかし、十年前、第一回目の鑑真の日本行きが失敗した後、突然姿を消し、その後、行方がわからなくなっていた。
「還俗(げんぞく)したんだな。今は何をしているのだ」
「恥ずかしいことだが、貿易業をやっている。揚州は唐最大の商業の街だ。西の物資、東の物資が船で揚州に入ってくる。そして、物資はここから運河を通って長安、洛陽に、また長江を上って蜀に行く」
「坊主から商人になったとは驚いた。ところで、そこにいるのは嫁さんと子供か」
 瞳は黒いが、茶色の髪の毛をした女は美しかった。黒地に真っ白な鶴が真紅の花をくわえて天空を舞う文様の衣服を着ていた。
「恥ずかしくて合わす顔もないが、結婚した」
「何も恥じることはない。坊主だけが人生ではないさ。俺のように相変わらず、巷を漂泊している乞食坊主に比べれば天下を股に掛ける大商人とは、立派なことではないか。美しい嫁さん、かわいい子供、正直いってうらやましい限りだ」
「あの時は、皆に黙って姿を消し申し訳なかった。留学僧が唐女に恋をし、子まで出来て一緒になってしまったとは、仏門の徒としては恥ずかしくて言えなかった」
「坊主も男だ。男と女が恋に落ちるのは、ごく自然の成り行きだろう」
「ところで、他の者は皆達者か」
「栄叡(ようえい)と祥彦(しょうげん)は病でこの世を去ったが、思托は元気で共にいる。我もようやく十九年目の本願が叶って、明日、高僧に従って日本国に旅立つ」
「それはよかった。しかし、まだ若いのに栄叡も祥彦も異国で亡くなったのか。残念だな」
「つらいことだ」
「俺も家族を連れ、明日、商いをしながら西に旅立つ」
「西とは何処だ」
「こいつの国、康国(こうこく)(サマルカンド)よ」
「十九年目の晴れての本願だ。康国とは何処よ」
「西の果て。シルクロードの向こう。 日本より遠い国よ」
「十年振りに逢ったと思えば、東と西の地の果て旅別れか。達者でがんばれよ」
 玄朗は、大事そうに抱えていた袋から宝石を五個取り出して言った。
「世話になった。餞別にこれを持って行ってくれ。お前達が皆、無事日本へ帰れることを祈っている。大和上、みんなにもよろしく伝えてくれ」
「坊主に宝石は似合わぬわ」
「邪魔にはならぬ、何かの役に立つだろう。取っておけ」
「わかった。俺はお前にあげる物が何もないが」
「何を言うか、お前の達者な顔を見ただけで十分だ」
 洛陽の大福先寺(たいふくせんじ)にて、共に学んだ二人の日本青年僧。一人は西域の妻と康国へ、一人は中国の高僧と日本へ向かおうとしていた。
「今日は再会 明日は別離」
「さらば 元気でな」
 琥珀の葡萄酒を並々と注ぎ、高くかかげた。月明かりに「夜光の杯」が輝いた。

 阿倍仲麻呂は、当初、大伴古麻呂の第二船に乗る予定にしていたが、十八人の沙弥が全員第二船に乗ることになったので、止むを得ず第一船に乗ることにした。これもまた運命の分かれ道であった。
「真備殿、古麻呂殿、三人別々に乗船することになりましたな。旅の幸運を祈ります」
「仲麻呂殿、お互いに無事帰国の折りには、皆で一杯やりましょう」
「ついては一つお願いがあるのですが」
「何でございましょうか。仲麻呂殿の願いとあればなんでも致しますよ」
「真備殿、古麻呂殿。私が無事日本国に帰ることが出来ない時は、天子様と藤原仲麻呂殿(恵美押勝)に新羅討伐を止めさせるように説得して欲しいのです。日本のため、天下のため」
「たとえ、勝つとしてもですか」
「もし戦いに勝ったとしても、それは一時的なことです、未来永劫に朝鮮を支配することは出来ません」
「なぜですか」
「渡ることさえ難しい海の向こうの国を永遠に支配することなど不可能です」
「そうですね」
「敗ければまだしも、勝てば更に害は大きい」
「戦争に勝って、なぜ被害を被るのですか」
「半島を征服したら、彼の地を支配し続けるために多くの民と金が必要になります」
「百年以上、支配し続けることは出来ず、いずれ敗北の時が来る。多くの人民を死に追いやり、多くの金を無駄に使い、撤退した暁にはなにも得られない。残るのは敵国の民の憎しみだけですよ」
「仲麻呂殿は百年も先のことまで考えているのですか」
「―人生百に満たず、常に千歳(せんさい)の憂いを懐(いだく)く―(人の一生は長くても百歳まで生きられぬが、人は千年先のことまで心配する)と、言うではありませんか」
「百年どころか、一千年先の日本国のことを憂うのですね。我らも同じ気持ちです」
 真備が言った。
「わかり申した。我が命に懸けても朝鮮討伐を阻止することを約束します」
 主戦論者、古麻呂がいつの間にか反戦論者になっていた。
「ありがとう。お願いします・・・」
真備は仲麻呂に説得されただけではなかった。二度の入唐の経験は彼の考えを変えさせた。
「朝鮮だけでは終わらない。中国を巻き込み、大唐国を敵に回して勝てるわけがない」
 三人の心は一つであった。そして日本国を救うことになったのである。
「西の地の果て、破葉(タラス)河畔の戦いに大唐国の行く末を見極め。朝鮮討伐に千年先の日本を憂う。あの人は何と大きな男だろう」
 吉備真備は心の中でうなった。

 蘇州の一(いっ)片(ぺん)の月。黄四浦(こうしほ)には十三夜の月が皓皓(こうこう)と輝き、長江の水が粛々(しゅくしゅく)と流れていた。阿倍仲麻呂は一つの仕事を終え、一人、大河の辺にたたずみ滞在三十七年間の唐に別れを告げ、故国日本に思いを馳(は)せ、東方の夜空を仰ぎ見た。
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  天の原 ふりさけ見れば 春日(かすが)なる
    三笠(みかさ)の山に いでし月かも

 望郷の一片の詩、それは雄大な大宇宙を舞台に生きる男のロマンであった。これだけ大きな詩を詠んだ古代日本人は、他にいたであろうか。わずか、三十一文字の影に男の万感の思いが込められていた。天、山、月・・・。
           
 遣唐使船は、やがて何事もなかったように、東の風を満杯にうけ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)日本に向かった。しかし、大使藤原清河、阿倍仲麻呂が乗った第一船は難破し、南へと流されベトナムに漂着した。共に蘇州の港を出た二艘の船の運命は、その後の日本の歴史を決めることになったのである。

 王維(おうい)が別れにくれた柳の蘰(かずら)が南の海の波間に消えた。土着民に襲撃され百六十人あまりのほとんどは殺されて、生き残ったのは、数十人であった。仲麻呂と清河の二人は、奇跡的に無事長安に戻ることが出来たが、二度と故国日本の地を踏むことはなかった。

 一方、第二船に乗った鑑真和上は、日本への渡航を、六回目でついにかな叶えることが出来た。大伴古麻呂が指揮する第二船は、和上一行を乗せて無事十二月二十日薩摩国に着港。年も押し迫った、十二月三十日平城京に到着した。
 鑑真は七四二年(日本 天平十四年)第一回の日本行きを決めてから、実に苦節十二年目、やっと日本の土を踏むことが出来た。盲人になるなど度重なる挫折(ざせつ)を乗り越えて本願(ほんがん)を達成したのであった。その間に栄叡(ようえい)、祥彦(しょうげん)を初めとして三十六人の同士が亡くなり、脱落していった者は二百余名を数えた。終始一貫して変わらずに鑑真和上に従った者は、思託と普照の二人だけであった。
 
 そして、遣唐使船の日本への帰り船で、思託と普照は南の夜空を見上げながら、祥彦の死を想いだし、悼み悲しんだ。

僧祥彦、船上に端座(たんざ)して僧思託に問いて曰く…。
−大和上(だいわじょう)は、睡(ねむ)り覚めたるや否や―
僧思託、答えて曰く・・・
―睡りて未(いま)だ起きず―  
彦(げん)、云(い)う、
―今、死別せんと欲す―
思託、和上(わじょう)に諮(はか)る。
和上、香(こう)を焼(た)いて曲几(きょくき)をもち来て彦(げん)をして几(き)によらしめ、
西方に向かいて阿弥陀仏(あみだぶつ)を念ぜしむ。
彦(げん)、即ち一声、仏を唱えて端座し、寂然(じゃくねん)として言(ことば)なし。
和上、乃(すなわ)ち・・・ 
―彦、彦―
 と、喚(さけ)びて悲慟(ひどう)すること数(かず)なし。
posted by いきがいcc at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 30.胡笳を吹く刺客