2011年12月06日

連載(29)

koka.jpg  (連載29)

 翌日、大明寺を厳重に見張っていた探訪使が騒ぎ出した。
「僧達がバラバラに出て行くぞ。どうやら日本行きは諦めたらしい」
「行き先がバラバラで後を付けることが出来ない」
「瓜州(かしゅう)に碇泊していた遣唐使も長江を下り出したとの情報だ」
「そんなに簡単に諦めるはずがない。それぞれ後を追い監視しろ」
 探訪使が命令した。
「一人ずつ行き先が違い、見張りの人数が足りない。後を付けるのは難しい」
と、探訪使の部下達は急のことで混乱した。日本行きは諦めたとの噂が流れていた。
 古麻呂の指示通り、僧達は彼らを上手にまいて、それぞれの寺から一斉に姿を消した。一人の僧がそっと探訪使のもとに行き、告げた。
「あわてることはない、僧普照の後を付けろ」
「普照は今回どこにも見当たりませんよ」
「そうか、それでは僧思託を付けろ」

 出航当日の未明のことであった。すでに,鑑真以下三班十八人の密航の沙弥(しゃみ)(僧)は遣唐使船に乗り、準備万端、出航を待っていた。
「おかしいな。もう一斑だけ来ない。どの班だ」
 思託が心配顔で言った。
「来なくても、早朝には予定通り出航するぞ」
 と、古麻呂が断言した。
 出航直前のことである。数回位置を変え、最後に黄四浦(こうしほ)に碇泊していた古麻呂の遣唐使第二船の周りが急に騒々しくなった。
「古麻呂殿、たいへんです。広陵探訪使の一団が船に乗ろうとしています。どうしましょう」
 部下が顔色を変え、泡を食って伝えにきた。
「何だと。見つかてしまったのか」
 古麻呂は厳しい顔になって言った。
「船の碇泊場所が何故わかったのか」
 思託がいらいらして言った。
「思託殿。皆の者に伝えよ。何も喋らず静かに船内で端座しているように」
 古麻呂率いる遣唐使第二船に、探訪使は、刀を携えた総勢三十人近い部下を従えて乗り込もおうとしていた。このまま踏み込まれたら、とても防ぎようがなかった。
「くそー。やつらか。情報が漏れたな」
 と、言いながら古麻呂は下船した。
「なぜ、大勢で武器を携え、我が船に乗ろうとするのか、無礼であろう」
 古麻呂は大声でいっかつ一喝した。
「国禁を犯し、唐の高僧を日本に密航させようとしているとの噂あり、船を臨検させていただく」
 探訪使は馬から下りて、落ち着き払って言った。
「ただの噂だけで臨検は受けられぬぞ。皇帝の勅使(ちょくし)を見せて下され」
 古麻呂も落ち着いて言い返した。
「船の臨検にいちいち皇帝の勅使など入らぬ。我に臨検の権限が与えられている」
 探訪使もひるむことなく胸を張って言った。
「なにを。この船は日本国の天皇から大権を移譲され、大唐国皇帝を正式訪問した日本国遣唐使船である。巷の噂だけで安易に、臨検など受けることは出来ぬわ。礼をわきまえろ」
 軍人古麻呂、この辺の受け答えは相手を威圧するなかなかのものであった。
「やましいことがなければ臨検を受けても構わぬではないか、我らも礼をもって刀を外して入る」
「やましいことは全くござらぬ。帰りなされ」
「念のため調べさせてもらう」
 探訪使もなかなか引き下がらず、しばらく沈黙が続いた。
「わかった。ただし密航者が誰もおらぬ場合は、臨検者全員打ち首に致すが異存は御座らぬな。覚悟はよければ。刀を捨てて入りなされ」
 古麻呂は啖呵(たんか)を切って、一か八かの勝負に出た。さすがに探訪使も古麻呂の気迫に圧倒され、しばらくまた沈黙のまま対峙していた。
「わかり申した。私を含めて七人だけで調べさせて貰います」
 古麻呂は極地に立った。冷や汗をかきながらも平静を装った。そして、次の起死回生の一手を必死に考えた。
「絶体絶命だな」
 武器を置いて、探訪使以下七人が船の中にぞろぞろ入ってきた。一人が衣服の中に小刀を隠し持っているように見えた。
「最後の御仁、刀を置いて入りなされ」
 古麻呂がすかさず言った。
「あれは竹の横笛です。もって入ってはいけませぬか」
 男の代わりに探訪使が答えた。その男は懐から笛をとりだして見せた。
「笛か、かまわぬ」
「それ見たことか。沙弥(しゃみ)達よ、密航は国禁なり、ただちに下船願いたい」
 探訪使は勝ち誇ったように皆を睥睨(へいげい)して大声で言った。
「高僧鑑真和上殿の御前ですぞ。控えなされ」
 間髪を入れず、高い調子でしかもゆっくりと、僧思託が立ち上がって、威厳を持って言った。
「誰が密航者か。何の証拠を持って国禁と申すか。根も葉もないことをぬかすではい。我らが密航者だとの証拠を見せなさい」
 まるで天の声の様な迫力に押されて七人は後ずさりした。
「日本に帰国する遣唐使に乗船していること自体が、密航の明らかな証拠ではないか。この場に及んでまだしらをきるか」
「何を言うか。我らはこれより日本の遣唐使船に同船させてもらい揚子江を下り、海路南下し,台州(たいしゅう)(上海より海岸沿いを三百キロ程南下した所)の天台山(てんだいさん)(天台宗の総本山)に奉納に参るのだ。何処へ誰が密航するのだ。たわけたこと申すでない」
「口からでまかせの言い逃れはよせ。そちらこそ天台山への証拠を見せなされ」
「我らの密航の証拠も見せずに、おぬし我らに天台山行きの証拠を求めるか・・・」
 しばらく間をおいて、僧思託は懐からおもむろに一本の巻紙を取り出し高く掲げて開けて見せた。
「この公文書がみえぬか。読んで聞かせよう 『鑑真和上殿一行が日本国遣唐使と共に天台山を訪れ、開元寺にて共に奉納することを許可する  衛尉卿(えいいきょう)(警視庁長官) 朝衡(ちょうこう)』 わかったか。衛尉卿の署名だぞ。地方の探訪使の分際で態度が大きい」 
 思託は更に、探訪使達の前の床にサッと一枚の手紙を広げた。
「もう一つ証拠を見せようか。『鑑真和上殿一行の天台山来訪を熱烈歓迎する。早春の涅槃会(ねはんえ)(釈迦(しゃか)入滅(にゅうめつ)を追悼する仏教行事)で共に入滅を追悼(ついとう)することを欲す。 天台山開元寺僧主(そうず) 円空』これでよいか」
 探訪使一同は蒼白になった。あの最澄(さいちょう)が天台山を訪れたのは、ちょうどこの時から五十年後のことであった。
「汝等、金に目がくらんで世の正道(せいどう)を忘れたか。仏の心をあざむくことは出来ぬぞ」
 僧思託の声が、朝日射し込む遣唐使船の船内に、凛々(りんりん)と響き渡った。危機一髪、思託の用意が見事に実った。古麻呂は胸をなでおろし、内心ほっとした。
「言ったとおりであろう。お前達七人を打ち首に致すぞ。文句はないな」
 その瞬間、あの男が横笛を縦にして素速く吹いた。
 ブスッ。
 毒の吹き矢が、反射的に身をかわした古麻呂の耳をかすめ、船のマストに突き刺さった。笛の先にぶる下がる赤い房飾りが激しく揺れた。それと同時に古麻呂は飛燕のように前に飛んで、他の探訪使六人をなぎ倒し、一番背後にいたその小男に斬りかかっていた。
「エイ」
 バサア。古麻呂は手応えを感じた。
 小男はふわっと船から岸へ飛び移って逃げた。
 コロコロ。コロコロ。切られた左腕が船の床に転げ落ち、その手には黒曜石(こくようせき)の数珠(じゅず)がしっかりと握らたままであった。船外まで血痕が点々とつながっていた。
「あいつは如海(じょかい)だ」
 思託がおもわず興奮して叫んだ。
「何、如海殿と」
 僧達も驚き、あたりがざわついた。
 鑑真和上が静かに説法した。
「古麻呂殿、止めなさい。不殺生戒(ふせつしょうかい)なり」
「はい」
「仏の教えに五戒あり、その第一戒は不殺生戒なり。古麻呂殿。生きとし生けるあらゆる物の命を奪ってはいけません」
「恐れ入ります」
 鑑真和上に謝ってから、向きを変え探訪使達に怒鳴った。
「高僧殿のご慈悲だ。とっと立ち去れ」
「大変ご無礼をいたした。申し訳ない」
 探訪使は悔しさを押し隠して、部下も連れて下船した。
「思託、お前も大した男だ。坊主にしておくのにはもったいないな。ワハハ。―汝等、金に目がくらんで世の正道を忘れたか。仏の心をあざむくことは出来ぬぞ― よいこと言うではないか」
 古麻呂も笑った。
「これは全て阿倍仲麻呂殿のお指図です。古麻呂殿のことゆえ、先ずはぬかりないとは思うが、念には念のためと。エヘヘ」
 僧思託は半分いやみを言いながら照れ隠しに笑った。
「席次の争い、和上の密航、共に朝衡殿に助けられたわい。とてもあの人には頭が上がらぬわ」
 遠くからあの悲笳(ひか)(悲しげな胡人の笛)の音が聞こえてきた。
「あの笛の音はなんだ。えらく乱れているではないか」
 僧思託が言った。
「胡笳(こか)(胡人の笛)の恨み。片手の横笛だな」
 古麻呂がつぶやいた。しばらくして笛の音はぷっつりと切れ、二度と聞くことはなかった。
「胡笳を吹く刺客は逝ったか」
posted by いきがいcc at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 29.胡笳を吹く刺客