2011年11月28日

連載(23)

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       9.西暦七百五十二年の遣唐使


「今晩、密に皆に集まっていただいたのは、日本国の存亡にかかわる国家の重大事について相談するためである」
 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)(恵美押勝えみのおしかつ)は少々興奮した口調で話した。
「皆もご存じの通り、今や朝鮮新羅(しらぎ)と日本との国交は、極めて危険な状態に落ちいっている。何かあれば、一触即発、戦争に発展しかねない。新羅とだけの戦であれば、日本国は十分に勝算はある。しかし、新羅は大唐国の冊封体制(さつふうたいせい)(属国)の下にある。新羅が他の国から攻められれば、大唐国はそれを援助する。又、新羅が他の国を討伐する時は、それを援助する。従って安易に手出しは出来ぬ」
 彼は紅潮して一気に喋った。
「二百年前、高句麗に攻められ日本は朝鮮の地、任那(みまな)を失い、百年前、新羅と大唐国の連合軍に白村江(はくすきのえ)の大戦で敗北した。今や日本は、長年統治してきた朝鮮半島から完全に撤退させられた。近年、新羅は日本への朝貢(ちょうこう)を怠り、臣下としての礼法にも欠ける始末だ。このまま放っておくと日本自身が危ない。怨念を忘れてはいけない。日本は朝鮮半島を征服し、大唐国と天下を二分しなければならない。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)恨みを晴らさん時がきた」
 彼の声は次第に熱がこもってきた。四十七歳の野望であった。
 七五二年(日本 天平勝宝四年)三月難波津を出航した。

 大使 :藤原朝臣清河(ふじわらのあそんきよかわ)  正四位下
 副使 :大伴宿禰古麻呂(おおとものすくねこまろ) 従四位上
 副使 :吉備朝臣真備(きびのあそんまきび)  従四位上 追加任命
 留学生:藤原刷雄(ふじわらのさつお)    従五位下(藤原仲麻呂の子)

 清河は日本を出発する際し、歌一首を残していった。
   ― 春日野にいつくみむろ御室の梅の花、栄えてあり待て、還り来るまで ―

 還り来るまでと、歌ったが二度と日本の地を踏むことはなかった。

 無事、唐に到着し長安に入った一行は、その年の秋に玄宗皇帝に謁見した。
「日本国遣唐使一行の容貌、風采、作法、他にことなり実に美しい」
 と、玄宗皇帝は藤原清河大使一行を称えた。大使藤原清河は「特進(とくしん)」、副使吉備真備、大伴古麻呂は「銀青光禄大夫(ぎんせんこうろくたいふ)」を授けられた。過去このような高い位を賜(たまわ)ることはなかった。玄宗皇帝は阿倍仲麻呂を案内役として、宮殿の中をくまなく拝見させることを許した。
「この度の、我が遣唐使の唐国における至れり尽くせりの歓迎は、阿倍仲麻呂殿のお力である。大唐国衛尉少卿(えいいしょうけい)(警視庁副長官にあたる)とはご立派になられたものだ」
 大使は喜んだ。今回は阿倍仲麻呂の存在が大きかった。
「彼の人徳によるところだ。いくら能力だけがあっても、いくら皇帝の心が大きいと言っても、日本人が大唐国の高級官僚になるなど、そう簡単に出来ることではない、大変なことだ」
 付き合いの深い吉備真備は、心の底から彼の活躍を賞賛した。
「仲麻呂殿、立派になったな。全く、日本人の誇りだ」
「まさか、貴殿に再会出来るとは、うれしい。一献傾けましょう」
 
 七五三年(日本 天平勝宝五年)正月元旦の拝賀の儀が大明宮(たいめいきゅう)の含元殿(がんげんでん)で行なわれ、百官、万国の使節が大勢参賀した。
 大明宮の正門の丹鳳門(たんほうもん)を通り抜けると、七段に折れ曲がった竜尾道(りゅうびどう)が連なり、その正面に一段と高く、含元殿が聳えていた。黒と瑠璃色の甍に覆われた世界大帝国の壮麗な殿堂(でんどう)であった。その左右に翔鸞(しょうらん)と棲凰(せいほう)の二つの楼閣が聳えていた。巨大な竜が頭を天空に向け両脇に鳳凰(ほうおう)を従えた光景は、まるで大唐国天子が下界を睥睨(へいげい)している雄姿であり、この世のもとは思えぬ壮大な情景に圧倒された。
 拝賀の日、外国の使節団の席次は東西の二つに分かれていた。東の第一席は新羅、第二席は大食(たいしょく)(サラセン)、西の第一席は吐蕃(とはん)(チベット)、第二席は日本になっていた。
 大伴古麻呂副使はこれを見て、席に着くことを拒んだ。
「昔から新羅は日本国に朝貢(ちょうこう)している国である。然るにこれを東の第一席にして、我等は却って、その三席も下に坐らせるとは、はなはだ納得できない。席次を変えてもらいたい」
「日本国副使殿。大唐国の正月拝賀の儀に席次の上下はありません。新羅と吐蕃は両国とも唐国と陸続きで近い隣国のため前の席に、唐国と遠く離れている日本、大食は後ろの席にしたまでのこと。国の位が上とか下とか、ということはありませんのでお引き取り下さい」
 と、唐国の将軍がやんわりと諭(さと)した。
「日本国においては、この席次は東の前が第一席、西の前が第二席、東の後ろが第三席、西の後ろが第四席である。然るに日本国の席次は最下位である」
 古麻呂は全く引き下がることなく、憮然(ぶぜん)として大声で言った。当たりは騒然としだした。
「毎年、新羅から朝貢使節団が唐を訪れており、唐国からもたくさんの人が彼の地を訪れている。両国の関係は日本国よりも親密で深いため、東の第一席にお願いした。日本国からの朝貢使は二十年に一回ぐらいのため、お互いに朋友はほとんどなく、言葉も通じないため、西の第二席にお願いした。ただし、その席次は国の序列を意味するものではない」
「日本は国家を上げて、多くの人の命を犠牲にし、波濤万里(はとうばんり)、大海をはるばる越えて貴国にやってきた。蓬莱(ほうらい)の遙か遠方から二十年振りにきた朋を新羅国より歓迎していただいてもよいと思うが、新羅国の大使殿はいかがか」
 と、言い寄った。近年、日本と新羅の仲は極めて険悪で、国交断絶の状態であった。ましてや、新羅討伐のための密約を結ぶためにやってきた大伴古麻呂には他の国はともかく、新羅が第一位で日本が第四位であることが許せなかった。
「我が国も地に落ちた物だ。ここは一つ頑張らぬと」
 と、古麻呂は腹の底で思った。
 事態を収拾するために真備は、前の上席にいるはずの阿倍仲麻呂を探した。仲麻呂もこの騒ぎにすでに気が付きやってきた。
「古麻呂殿・・・」
 仲麻呂は言い寄った。古麻呂は仲麻呂に微かに目で合図した。仲麻呂は彼が冷静で、演技であることに気が付きほっとした。
 唐の将軍が色々なだめたが、日本国副使は頑として承知しなかった。そろそろ天子様が出御する時間である、その前に何とか事を納めねばならなかった。
「東夷(とうい)日本国の田舎侍の失礼をお許し願いたい。国際人として、知性と教養の高い見識をもった新羅大使殿、この場は一つ、黙って日本国遣唐使と席を入れ替わっていただきたくお願い申し上げます。大使殿、この通りだ。私の顔に免じて助けて下さい」
 阿倍仲麻呂は深く頭を下げた。
 新羅大使は、しばらく、沈黙を保っていたが、一言いった。
「朝衡殿、わかり申した。頭をお上げ下さい。日本国副使殿、どうぞこちらのお席に」
 新羅の部下達がザワザワ騒ぎ出したので、新羅大使は、大声で一喝した。
「鎮まれ、日本国使節団に席を空けなさい」
 一行を西の吐蕃の下にさがらせた。
 その新羅の一行の末席に濃い紫の頭巾と紫の袈裟を着た小柄の尼僧がいた。それまでうつむいていた尼僧がこちらをチラリと見、ニヤリとした。古麻呂は一瞬目があった。
「蛇のような目をしている」
古麻呂はぞっとした。
「大伴古麻呂」
 と、女の口元が微かに動き、不適な笑いを浮かべたように見えた。
「あの女は何者か?」

 藤原清河大使より将軍を通し、玄宗皇帝の勅命により急遽席次を改めてもらうことが出来た。
「誠にかたじけない」
 と、言って、古麻呂を筆頭に日本国一行は東の第一席に坐った。落とし所を得て古麻呂も内心ホットした。
「仲麻呂殿に助けられたわい」
 新羅大使はかって若かりしころ長安で留学生としての体験があり、運良く阿倍仲麻呂とは当時からの親しい友人であった。
「新羅大使は、なかなか器の大きい人物だ」
 藤原清河が感心してつぶやいた。
 阿倍仲麻呂は古麻呂のこの礼儀知らずの態度に本当に憤慨していたわけではない。自分にはとてもできない芸当で、うらやましい気持すらあった。二十年に一回しかこられない日本国の存在価値を訴えるための大芝居を打ったのである。日本国が下に見られたと、ただ考えもなしに感情的に興奮して怒ったのではなかった。
 古麻呂は軍人であったが、遣唐使は今回二度目であった。白村江の戦い以来、日本の国際的地位が新羅に負けていることは誰よりも承知していた。ここ百年間、新羅は百済、高句麗を滅ぼし、唐、日本を追いだし朝鮮半島を統一した強国である。また、唐国は新羅を冊封国(さつふうこく)として深い関係にあり、毎年新羅は唐国に朝貢を送っていた。従って、日本国の席次が新羅より下であることは、誰が見ても当たり前の話で当然であり、古麻呂も百も承知していた。
 西の第二席に移った新羅の一行の中には、蛇のような目をしたあの尼僧はいつの間にか姿を消していた。
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