2011年11月08日

連載(7)

hirafu-gyokuran.jpg  (連載 7)

       3.比羅夫(ひらふ)と玉蘭(ぎょくらん)


「あなた、洛陽(らくよう)城下に春一番がやって来たわ。何処からやって来たのかしら、我が家にも桃李(とうり)の花が飛んできたわ」
 玉蘭(ぎょくらん)は華やいでいた。泥にまみれた玉蘭は、春の雨と風と光りとそして比羅夫(ひらふ)の愛によって綺麗に洗い流され、もとの玉のような清楚さと輝きと香りを取り戻していた。

 洛陽は温暖な気候、肥沃な土地に恵まれた中国中原の中心地であった。唐では長安と洛陽二つの都が併存して、長い歴史の中にあって、最も栄華を極めたのは、洛陽が「東都(とうと)」と定められた六五七年(日本 斉明三年)から安禄山(あんろくざん)によって戦禍にまみれ陥落する七五五年(日本 天平勝宝七年)までの百年間であった。皇帝達は一年の内、ある期間長安を離れ洛陽に滞在した。人口は百万を超え、政治、経済、文化の都として、長安と共に「神都(しんと)」と言われ繁栄した。
 皇城(こうじょう)の前を洛水(らくすい)が流れ、洛水の北を北城(ほくじょう)、洛水の南を南城(なんじょう)と呼ばれた。北城には二十八坊一市、南城には八十二坊二市があった。一坊(いちぼう)は約五百メートル四方に区画されていた。皇城に近い北城にある北市(きたいち)が洛陽では最も賑わい、業種別にたくさんの店があった。棉や絹を売る綵棉行(さいはくこう)、糸を売る絲行(しこう)、香料を売る香行(こうこう)、宝石を売る玉石行(ぎょくせきこう)等が軒を並べ、香行ではウズベキスタン人やサマルカンド人等の西域人が商いをしていた。
「あなた、西域の魅惑的な香料や妖しく光る宝石がたくさん並んでいますよ。長安の西市にまけていないわ」
 道幅は百五十メートルあった。都大路の槐(えんじゅ)の大木が若葉で萌えていた。ところどころに李(すもも)の白い花が咲いていた。洛水の辺りには柳が両岸を覆っていた。この辺りが人の往来が最も多く、賑やかな街並みであった。
「比羅夫、あれが崇山(すうざん)で大室山(おおむろやま)と小室山(こむろやま)ですよ。頂きが春霞に青く聳(そび)えているわ」
 遙か南を眺めながら玉蘭が言った。
 その山深い西麓に少林寺(しょうりんじ)がある。この寺は禅宗発祥の地で少林寺拳法と達磨大師(だるまたいし)で有名であった。振り返って北を仰げば洛陽のすぐ後ろに亡山(ぼうざん)の台地が、東西に延々と二百キロ連なっていた。北側は黄河に面し、黄河の流れにより浸食され断崖を形成していた。一方、南側は常に陽光が降り注ぐなだらかな斜面で、後漢以来王侯貴族の墳墓(ふんぼ)の地となっていた。無数の名もなき古の墳墓は、今も洛陽の街を見下ろしていた。

 比羅夫は洛陽に来て、三度目の春を迎えていた。春風は李(すもも)の花と柳の芽を従えて、中国大地を南から北へと揚子江を越え、黄河を越えて渡っていった。玉蘭と連れだって洛水の岸辺を西に向かって歩き、銅駝坊(どうらぼう)の前の浮き橋を通り洛水の南岸に出た。
「玉蘭、春うららかなよい日和(ひより)だな」
「あなた、ご覧なさい。陽春の洛水は緑に輝き、春風に柳の綿花(わたはな)が舞っていますわ」
「おお、春の雪だな」
 浮き橋を渡る時、玉蘭はいつも比羅夫の腕を強く掴んでいた。それは片足の松葉杖の比羅夫を助けているようでもあり、男のがっしりした腕にしがみつき助けてもらっているようでもあった。歩く度に、浮き橋の二人の影が川面に上下に揺れた。
「あなた、大丈夫ですか。足もとに気を付けて下さい」
「ああ、大丈夫だ」
 河幅は百メートル余りもあり、数百艘以上のたくさんの舟を横に並べ、鉄の鎖でつなぎ舟の上に板を渡した舟の浮き橋であった。
 南岸にそって更に西に進むと、浮き橋と天津橋の間にもう一つ中橋があった。
 その中橋を通り過ぎる辺りから堤防が築かれていた。堤(どて)の外側は大きな池になっていた。魏王池(ぎおうち)と呼ばれ、湖岸には柳が、湖面には蓮が生えていた。夏になると真紅の花が咲き乱れ、時には夕方、気ままな荷風(かふう)(蓮の花の香り)がその香りを、二人の小さな家まで運んでくれた。
 二人は堤で一休みした。
「あの河岸の砂浜まで行きましょう」
 玉蘭は柳の一枝を折り、比羅夫に言った。
「これは私の好きな詩の一つです。最近、沈全期(ちんぜんき)が詠(うた)った七言絶句(しちごんぜっく)ですよ」
 と、言って柳の枝で、砂浜に大きな字で詩を書いた。玉蘭は詩を愛し、多くの詩を比羅夫に歌って聞かせた。
 漢の「賦(ぶ)」、唐の「詩」、宋の「詞(じ)」、元の「曲(きょく)」と言われるごとく、唐は「詩」の時代であった。唐の詩人は二千人がおり、四万八千九百首が歌われた。長安、洛陽は誇り高い、当時代世界一の文化の帝都であった。玉蘭は高級女官として詩の教養が高かった。



             亡山(ぼうざん)  
  
 北亡(ほくぼう)山上(さんじょう) 墳栄(ふんえい)列(つらなり)
―北亡山の頂きにはたくさんの墓が累々とつらなっている―
 万古(ばんこ)千秋(せんしゅう) 洛城(らくじょう)に対(たい)す
―千年も万年も古から変わることなく洛陽の街を見下ろしている―
 城中(じょうちゅう)日夕(にっせき) 歌鐘(かしょう) 起(お)こるも
―華やかな街では日暮れと共に歌声や楽器の音が聞こえてくる―
 山上(さんじょう)ただ聞く 松柏(しょうはく)の声 
―山上では夜風に鳴る松、柏の音だけが響き渡るばかりである― 

  
 砂上の詩(うた)は春風にサラサラと掻(か)き消されてしまった。暮れなずむ天津橋の赤い欄干が夕日に輝き、柳にけむる居酒屋の青い酒旗(しゅき)(のれん)が夕風にはためいていた。やがて、太陽が沈み、神都(しんと)(洛陽)の北に連なる亡山が暗闇にかき消された。

 比羅夫は、ふと遠い奈良の香具山(かぐやま)や飛鳥川(あすかがわ)を思い出した。故郷の山、故郷の川、故郷の人、少年の日々の思い出がまぶたに浮かんだ。昔、母親が話して聞かせてくれた童話の世界にいるように思えた。

 比羅夫にとって、玉蘭と洛陽の街をゆっくりと散歩するのが、何よりも楽しい一時であった。玉蘭が比羅夫の子を身ごもったとうち明けたのは、二人が出逢ってから三年目のことであった。
「あなた、赤ん坊が出来たみたいだわ」
「そうか」
 彼は愛する玉蘭との間に子が授かったことを心から喜んだ。
「故国に帰る時は、親子三人で帰ることになるのだろうか。日本に一緒に行ってくれと言ったら、玉蘭は行ってくれるだろうか」
 と、比羅夫は玉蘭に聞こえない小さい声で尋ねた。
 老いと足の疼(うずき)きを感じるようになってきた比羅夫は思っていた。自分が果たして故国の地を再び踏むことが出来るのであろうか。大海の荒波を越えて、無事日本にたどり着くことが出来るのだろうか。彼は不安になっていた。
 玉蘭はこの美しい洛陽の街で、親子三人いつまでも一緒に暮らしたいと、きっと願っていることであろう。比羅夫自身もそう願う気持ちがある。戦争のこと、部下のこと、日本のことを忘れてしまいそうな幸せの日々であった。
「あなた、あなた、どうしたの」
 と、玉蘭が彼の大きな肩に手を掛けて呼んでいるのに気が付き我に返った。周りはすっかり闇に包まれ、天津橋の絵灯籠(えとうろう)の灯が洛水の波間にゆらゆらと輝いていた。貴公子達、女官達、町人達の行き交う声と音だけが橋の上から、二人のところまで伝わってきた。
「やあ、玉蘭そろそろ帰ろうか。お前は滋養(じよう)をつけなければいけない。今夜の夕餉(ゆうげ)は何が食べたい。祝いに俺が料理しよう」
 浮き橋を通り北市により、夕餉の材料の買い物をして、二人は家路についた。
 比羅夫が玉蘭のため腕を振るって料理を作った。玉蘭は比羅夫の背中をじっと見つめてつぶやいた。
「奴隷になったお陰で、女の本当の幸せを掴んだわ」
「遅くなってすまん。今夜は若い野鴨(のがも)の蒸し焼き、取り立ての舞濾公(ぶろこう)の肴(さかな)、旬(しゅん)のたけのこ、鶏のスープだ。そして、お前のために栄養たっぷりの牛蘇(ぎゅうそ)(ヨーグルト)も買ってきた。腹が減っただろう。さあ食べよう」
 遅い夕餉はこの上もなくうまかった。久しぶりに二人は西域の葡萄酒に酔いしれた。
タグ:洛陽
posted by いきがいcc at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 7.比羅夫と玉蘭