2011年11月08日

連載(5)

IMG_1935a.jpg  (連載 5)

 彼女は長い髪の毛をバッサリと自ら切り落とし、男装へと変身した。
「やり残したことがあるわ」
 彼女は仲の良い女官の一人に頼んだ。
「武昭儀から緊急の内密の用だといって、小喜をおびき出して欲しい。時間は明朝五時、場所は掖庭宮(えきていきゅう)の裏。太倉(たいそう)の入り口の前、倉庫の前よ、頼むわ」
 武昭儀が権力を増大するにしたがって、小喜の態度も増長し不遜になったため、女官仲間では小喜(しょうき)の評判は悪かった。
「わかったわ。まかせておいて、うまくやるから」
 宮城の中央には皇帝の宮殿があった。政治の中心である「大極宮(たいきょくきゅう)」がそこにあった。東に皇太子の住む「東宮(とうぐう)」があり、西に女官達がすむ後宮「掖庭宮」があった。後宮三千人はここで生活していた。掖庭宮のすぐ裏には、大きな皇帝の穀物倉庫があり「太倉」と呼ばれていた。

 翌朝、小喜(しょうき)は時間通りに来た。
「武昭儀様の用だなんて、だましたわね。あなたになんか用はないわ」
「お待ち。あなたは用がなくても、こっちに用があるの。だました、とはこちらのセリフよ」
「なにさ、偉そうに。こんな朝早くから変だと思った。帰るわよ」
「武昭儀の赤ん坊を殺したなどと、ぬけぬけと真っ赤な嘘をついて、罪もない皇后様を、畏れ多くも陥(おとしい)れてくれたわね」
「言い掛かりはよしてよ。私は何にも知らないわ」
「とぼけないで。私はあの時、赤ん坊の激しい泣き声がしたので戻ったの。あんたが赤ん坊をその手で殺しているところを私は、この目でちゃんと見てるのよ。それでも、あんたは女なの、人間なの」
 玉蘭(ぎょくらん)は実際には見ていなかったが、カマをかけ、詰め寄った。
「だったら、なんなのさ、武昭儀様の命令よ。あんたを八つ裂きにして、殺すのも簡単なことよ。わかってるの。生意気に」
 彼女は白状した。かさに掛かって、本性をあらわし、脅してきた。
「ついに馬脚を現わしたわね」
「だったら、なんなのさ」
「殺したのは替え玉でしょ。赤ん坊が大きすぎる。本当の武昭儀の赤ん坊は何処に隠したのさ」
「そんなことはあんたの知ったことではないでしょう。いい加減にしてよ。武昭儀様に言いつけるわよ」
「小喜、白状しないと刺すわよ」
 と、玉蘭は、懐から取り出した短刀を小喜の胸元にピタリと当てた。刃が夜明けの微光に鈍く光った。
「わかったわ。殺さないで。本当の赤ん坊は宰相が育てているわ」
 さすがの小喜も震えて言った。
「このろくでなし。覚悟して地獄にお行き。許せないわ」
 小喜の犯行であることを確認した上で、玉蘭は短刀をそのまま力まかせに、体ごとぶつけ、小喜の心臓をブスリと突き刺した。
「ギャッ」
 と、一言叫んで小喜は倒れ、ピクピクと体を二三回痙攣(けいれん)させた。ほとんど即死であった。
「本当は武昭儀(ぶしょうぎ)を殺したかったのよ」
 彼女は放心状態ながらも、一人悔(くや)しそうにつぶやいた。
 この時刻、辺りには人影もなく、また元の静寂が戻った。手なずけていた二人の宦官(かんがん)(去勢された男)が闇から現れ、小喜の死体を手際よく片づけた。死体は宦官仲間が闇から闇へと葬った。後宮を取り締まる宦官は、掖庭宮(えきていきゅう)のすぐ隣の内侍省(ないじしょう)に住んでいた。
 返り血を浴びた服を素早く脱ぎ捨て、また男装に変装した玉蘭は、宮城の入口、承天門(しょうてんもん)へと向かった。若葉色の弱柳(じゃくりゅう)(細い柳の枝)が宮殿門の青い窓の縁に数え切れないほど垂れ下がっていた。
 ちょうど朝を告げる太鼓「街鼓(がいこ)」の音がドン、ドンと発し、まるで共鳴したように彼女の胸もドキン、ドキンと高鳴った。時は五更二点(ごこうにてん)(未明)、朝打ち鳴らす太鼓は、まず承天門(しょうてんもん)より始まり、東西、南へと波紋のように受け継いで、鳴り渡っていった。坊、市、城の門は皆開かれ、打てば、夜は明け長安の一日の生活が始まった。
「夜明け。夜明け」
 宮殿では赤い帽子をかぶった鶏人(けいじん)(夜明けを告げる係りの人)が夜明けの時を知らせた。
 玉蘭は滔々(とうとう)と鳴る暁鼓(ぎょうこ)の音を上の空で聞きながら、登城する百宮の官僚達とは逆に、南に向かって伏し目がちに歩いていた。参内(さんだい)する百官の馬のひずめが響き渡り、松明(たいまつ)の光がゆらゆらと玉蘭を照らし出していた。階段を上がる度に、百官の正装の腰に下げた剣(つるぎ)と佩玉(おびだま)がぶつかりあう剣佩(けんばい)の響きがいつになく大きく耳に残った。
「急がなければ」
 気がせいた。皇城を取り抜けて、朱雀門(すざくもん)で東に方向を変え、まっすぐ春明門(しゅんみんもん)へと向かった玉蘭は、恐怖で一度も後ろを振り返ることが出来なかった。長安の都は城壁によって囲まれ、城門も日の出と共に開かれ、日の入りと共に閉じられた。
「さあ、洛陽(らくよう)へ行きましょう」
 男装の麗人(れいじん)が迎えの男に言った。
 朝日に輝く青色の春明門を通りぬけると、城外には春の風に柳じょう(柳の綿のような花)の風花が無数に乱舞していた。その真っ白な綿の華が馬上の玉蘭の短い黒髪と馬の長いたてがみにいくつもまつわりついて離れなかった。二頭の馬は巻き上がる黄塵の中に消え去った。城外の桑の葉が大分緑に色づいていた。太陽が東の空に上がり、長安の一日がまた始まった。

「小喜(しょうき)は何処へいったのか。玉蘭(ぎょくらん)は何処へ」
 突然、二人の美しい女官が神隠しにあったかのように、長安の宮城から姿を消した。誰に聞いても、二人の行方は全く分からず、武昭儀(ぶしょうぎ)は怒り狂った。玉蘭と親しかった二人の女官と三人の宦官が拷問(ごうもん)にかけられ殺されたが二人の消息はわからない。武昭儀にとって小喜は感業寺(かんぎょうじ)以来の間柄で、数少ない最も気の許せる侍女であった。
「皇后様。玉蘭が何処に行ったかはご存じでしょうね」
 知っていても言うはずがないとはわかっていたが、武昭儀は問いつめた。
「妾(わらわ)も驚いています。何処にいってしまったのか、もしわかれば教えて下さい。小喜もいなくなったとは、一緒でしょうか」
 王皇后はよそよそしく言った。
「玉蘭の出身地范陽(はんよう)(北京一帯)へ追っ手を送りなさい」
 武昭儀は直ちに怒り狂って命令した。
「見つけ次第、裸にし車裂(くるまさき)の刑で殺しなさい」
  彼女は国の隅々まで手配書を回し、佞臣(ねいしん)に「見つけ次第、殺せ」と命令したが、まさか、大胆にも足もとの東都・洛陽に潜んでいるとは考えてもいなかった。灯台もと暗しであった。玉蘭は秦懐玉(しんかいぎょく)の家で奴隷として身を隠していた。どこに武昭儀の回し者が居るとは限らないので、本当に奴隷と共に生活していた。彼女が街中に手配書が回っている王氏の侍女であることは秦懐玉以外、誰も知らなかった。
「玉蘭よ。しばらく辛抱して下さい」
「はい。お世話になります」
タグ:長安
posted by いきがいcc at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 5.女帝則天武后の陰謀