2011年11月08日

連載(3)

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     2.女帝則天武后(そくてんぶこう)の陰謀


「俺についてこい」
 宰相(さいしょう)の部下、周興(しゅうこう)が相変わらず、生意気な態度で阿倍比羅夫(あべのひらふ)に命令した。洛陽(らくよう)の街の真ん中よりやや北側に、東西に黄河の支流洛河(らくが)が流れていた。
「洛水(らくすい)、都を貫きて、河漢(かかん)(天の川)の象(かたち)有り」
 と、言われたていた。
 その河の東端の北側にある「温洛坊(おんらくぼう)」に連れてこられ、一軒の小さな家に案内された。家の周りは白い土塀で囲まれており、南北に前門と後門があり、東西には小さな三つの門構えがあった。門の上には瑠璃色(るりいろ)の甍が並んでいた。
「お前は年寄りで、片足がないので、奴隷として引き取り手がいない。ここがお前の住みかだ。好きなように暮らせ。二、三日の内に、賄(まかな)いの女がくる。ただし、洛陽城内で暮らすこと。城外に勝手に出かけることはまかりならないぞ」
 と、横柄に言い捨て、比羅夫一人を残して帰って行った。
「奴隷には身に余るよい家だ。大唐国の宰相はいいやつだ」
 これは奴隷に対しては特別の待遇であった。屋内には日常調度品が一通りそろっており、すぐに生活するのに不自由はしないようだ。
「これはなんと、紫檀(したん)の座り机の上に唐三彩(とうさんさい)(陶器)の筆立か、端渓(たんけい)(広州の西)の硯(すずり)も素晴らしいな」
 窓に射し込む、早春の陽光に唐三彩の駱駝(らくだ)が天空を仰いでいた。黄、緑、茶、藍、白が自ら発光しているように輝いていた。自然の岩石のかたまりを二つに砕き中をくり抜いた端渓の硯など、文房四宝(ぶんぼうしほう)、皆よい作りだ。庭には一本の楓(かえで)と一本の柿の木が植っていた。かすかに若葉色の芽を吹いていた。小さな家であったが、誰か風流人が住んでいたと思われる小ぎれいな家であった。
「楓の若葉が屋内までさしこんでいる。なかなか風情があるわい」
 阿倍比羅夫は大唐国宰相狄仁傑(てきじんけつ)の心の大きさ、心配りに感謝した。

 三日目の朝、賄(まかな)いの女がやってきた。服装は地味で、貧しい奴隷の姿であった。
「本日から、あなた様の身の回りをお世話させていただくことになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます」
 と、言って阿倍比羅夫の目をじっと見つめて女は挨拶した。
「こちらこそよろしく頼みます」
 比羅夫はその立ち居振る舞い、話し方から、ぼろをまとい隠してはいるが、元は身分のある貴婦人だとすぐにわかった。よく見ると年の頃も若く、まだ三十を越えたばかりのようであった。どことなく、憂いの中にもたおやかな雰囲気を持っていた。比羅夫は、一年前の春に妻と別れてから女のことを忘れていた。男は戦争のこと、部下のこと、日本国のことばかり考えていた。
「美しい女人だ」
 久しぶりに見る女がまぶしく見えた。回りが急に明るくなった。抱きたい欲情にかられた。
「俺は奴隷として囚われの身だ」
 どのような素性(すじょう)の女か計りかね、思いとどまった。一方、女も比羅夫を一目みて思った。
「あの目の輝きそして太い腕、厚い胸、唯の男ではないわ。野性的な男らしさを感じるわ。日本(やまと)の大将と聞いてはいるが・・・」
 不安と期待が交錯していた。
「脚がご不自由ですのね。何でも言いつけて下さいな」
 女は優しく声を掛けた。
「ありがとう。脚は戦争でやられた」
 女の後姿のうなじにどこかさびしさが漂っていた。

 実は以前より、宰相狄仁傑(てきじんけつ)は古くからの朋友である秦懐玉(しんかいぎょく)から頼まれていた。
「おい、狄仁傑。玉蘭(ぎょくらん)にふさわしい、いい相手はいないか。美しい彼女をこのまま女奴隷としてかくまい、一生を終わらせるのはあまりにも忍びないぞ」
「しかし、家柄のよい高級女官だったとは言え、過去を持つお尋(たづ)ね者の女だ。世間に知れることなしに、よい相手を見つけるのは、なかなか難しいことだぞ」
 彼は阿倍比羅夫を見たとき、ふと玉蘭のことを思い出した。
「そうだ、玉蘭の相手にあの日本の大将がふさわしい。いい男だ」
 数年後、二人が相思相愛のもと一緒になり、子までもうけたことを知り、秦懐玉(しんかいぎょく)
が言った。
「お前は非情の軍人宰相と皆から恐れられているが、なんと月下氷人(げっかひょうじん)(男女の中を取り持つ仲人(なこうど))とは恐れ入りました」
「当たり前よ。我は弱き者に優しい男だ」

 女は玉蘭(ぎょくらん)と名乗った。玉蘭がおのれの過去について阿倍比羅夫に語ってくれたのは、逢ってからちょうど一年後の早春のことであった。彼女は唐の歴史の背景を交えながら、語り始めた。
「嫌な想い出が多いのですが、あなた様には皆お話ししますわ」
 それは今から八年前、六五五年(日本 斉明元年六年)のあまりにも忌(い)まわしい事件であった。そして、彼女の幸せな人生を地獄のどん底に陥れたのであった。

  六四九年(日本 大化五年)唐の二代皇帝太宗が死去した。名君、太宗による太平の世「貞観の治(じょうがんのち)」と呼ばれる時代が終わった。性格の優しい温厚な李治(りじ)が三代皇帝高宗として即位した。確かに、太宗から高宗への皇位継承は平和的に禅譲(ぜんじょう)されたが、結果として、軟弱、優柔不断な皇帝を生むことになり、則天武后(そくてんぶこう)というとんでもない女帝を生む温床となったのである。

 李治が三代皇帝高宗として即位したのは、二十二才の時で、皇太子妃であった王氏(おおし)が皇后になった。王氏の家柄は高く、王皇后は美貌と知性の高いほっそりとした気品のある色白の凛々しい女であった。
 しかし、残念ながら子に恵まれず、「王皇后にはなぜ子供ができぬのか」と、高宗は嘆いた。高宗の愛情は王皇后からだんだん遠のいていった。高宗の愛を一人占めしたのは妖艶で明るい後宮(こうきゅう)(側室)の簫淑妃(しょうしゅくひ)であった。高宗の第四王子の生母であり、二人の女子をも生んでいた。王皇后は簫淑妃を妬(ね)ましく思うようになった。
「何とか、高宗の愛情を取り戻す手だてはないものか」
 と、色々思いを巡らしていた。
「そうだわ、高宗がまだ皇太子で若かったころ、武照(ぶしょう)という家柄は低いが絶世の美人がいたわ」
 武照は高宗の父、太宗の愛人であったが、高宗が寝てもさめても、彼女に恋いこがれていたことを想い出した。
「あの武照を後宮に連れ戻し、高宗の愛を一人占めている簫淑妃(しょうしゅくひ)から気をそらさせようか」
 と、侍女に話を持ちかけた。
 かつて、高宗はまだ皇太子であり、父、太宗皇帝の愛人を自分のものにするなどという、大それたことは出来なかった。しかし、太宗が病の床についたころから、人目を盗み高宗は、密かに武照を自分の女にしていたのであった。妻の王皇太子妃はそれを知っていた。親子を揃って愛の虜(とりこ)にした武照は、身分が低かったが、魔性の傾国(けいこく)の美女であった。
 太宗が崩御(ほうぎょ)した今、武照を後宮に呼び戻すことにより高宗の愛情を分散させ、高宗の愛を一人占めしている簫淑妃との力関係を有利に取り戻そうと、王皇后は考えた。
 武照は太宗が死去すると同時に宮中を下がり、尼僧として得度(とくど)(出家)し、太宗の菩提を感業寺(かんぎょうじ)に祀(ま)っていた。武照が太宗の後宮に上がったのは十四歳、尼僧になった時はまだ二十二歳の女盛りであった。
 皇后は太宗の命日に感業寺に参拝するよう高宗に勧めた。
「たしか、この尼寺には武照という、あなたの初恋の人がいたはずだわ。太宗様もすでにお亡くなりですし、一度お逢いになってみて、よろしければ、後宮に呼び戻されたらどうですか」
 この女の浅はかな策が、結局、王皇后の人生を奈落の底におとしめ、破滅を招くことになるのである。
「そうだったかな、忘れていた」
 願ってもないことを正妻の王皇后から、突然正面切って言われ、高宗はうろたえた。忘れたことなど一度もなかった。
「武才人(ぶさいじん)よ、髪を蓄(たくわ)えるがよい。いずれ迎えに来ようぞ」
 と、高宗はわざと無表情に、鷹揚(おうよう)に言った。武照は髪が伸びるのを待って官中に招かれ、高宗に再会した。
 武照は高宗に走りより、すがりついて、離れようとしなかった。桃色の紗衣(きぬごろも)の胸元が涙でぐっしょりと濡れ、はち切れそうな玉の乳房が透き通って見えた。乳首がツンと突き出ていた。
「高宗様、お懐かしゆうございます。お逢いしたかったわ。うれしい」
 高宗は武照を抱き寄せ乳房をまさぐりながら、うれしさをあらわにして言った。
「おお、朕もお前に再会出来てうれしいぞ」
「ああ、こんなところで」
 と、恥ずかしそうにくるりと後ろ向きになった武照の胸のふくらみに、高宗はかまわず後ろから両手で触れた。薄く染まった乳房がかすかに震えた。
「もう、離れませんわ。おそばにおいてください」
 と、武照はいじらしくけなげな女を演じ、高宗のおもうがままに身をゆだねた。久し振りの男の愛の手に激しく悶えた。
タグ:玄宗皇帝
posted by いきがいcc at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 3.女帝則天武后の陰謀