2011年11月26日

連載(21)

rihaku.jpg  (連載21)

 唐盛、この世の春であった。しかし、李白は憂鬱でやりきれなかった。懐疑的であった。美辞麗句で皇帝、楊貴妃を褒め称える、おかかえ宮廷詩人に満足しなかった。
 李白は「清平調詞(せいへいちょうし)」三部作を残し長安を後にした。
「俺は宮廷詩人のままで終わりたくない」
 官吏の生活に挫折し、失意の中にあった。
「権力者の命令に何の疑問も持たずにウロウロ働き、上司にただペコペコ頭を下げ、おのれの昇進と私利私欲に戦々恐々と明け暮れる人生は、俺にはもういらない」
 彼はようやく手に入れた官吏の職を、惜しげもなく投げ捨て、二年間の宮廷生活に別れを告げ、再び、旅に出てしまったのである。
「残れと言っても出ていく男だ。去るがよい」
 詩歌管弦に長けた芸術家肌の皇帝は、李白をことのほか気に入っていた。
「李白、褒美(ほうび)にこれを持っていけ」
 と、皇帝は「手勅(しゅちょく)」を李白に書き与えた。そこには次のように書かれてあった。
「酒中の仙、李白の酒代は朕が払う。  玄宗皇帝」
 唐国何処に行っても彼の酒代は、ただになったのである。
ginpai.jpg
 李白が長安を去る前のある日、阿倍仲麻呂は友人の王維(おうい)と共に眼中の人、李白を訪ねた。李白は例によって、平康坊(へいこうぼう)花街北里(ほくり)にある「大地回春(だいちかいしゅん)」と云う居酒屋の苑(えん)にいた。仲麻呂は是非この大詩人が去る前にもう一度逢いたいと思っていた。仲麻呂は彼の詩についていつも賞賛した。
「李白の詩は一幅の絵を描くことが出来るように色鮮やかで美しい。しかし、一幅の絵の中には収まらず、はみ出してしまうほど雄大だ。天から地を駆けめぐり、幅があり、深さがある。そして、明るくて、力強い。森羅万象を描き上げている」
「おお、朝衡か」
 すでに酔っていた李白は、白衣の懐から折り畳んでいた一枚の紙を取り出し、黙って開き朝衡に渡した。真っ赤な紙で、広げると縦一尺、横六寸ほどの大きさで、金色で大きく字が書いてあった。
―天上の謫仙人(たくせんにん) 李白―
 それは、顔真卿の筆であった。赤箋(こうせん)の名帖(めいちょう)(昔の名刺)であった。
「謫仙人とは」
 王維が聞いた。
「仙人界の天上で罪を犯し、人間界の地上に落とされた仙人のことよ」
「我を人呼で、天上の謫仙人なりと」
 李白は自分のあだ名が気に入っているような口振りで、言った。
「酔いどれ謫仙人か、なかなかいい名前ではないか。ぴったりだ」
「おお、我もそう思うぞ」
「天上で何の罪を犯したのだ」
「知れたことよ。酒の飲みすぎだ」
「謫仙人とは、誰が、一体名付けたのか?」
 感心しながら王維が笑って聞いた。
「四明(しめい)の狂客(きょうきゃく)よ」
「四明の狂客とは誰のことか?」
「秘書監(ひしょかん)、賀知章(がちしょう)殿(偉大な詩人)のことよ」
「さすが、巨匠、賀知章が命名ですか。しかし、病に伏していると聞いているが」
「四明の狂客も七十八歳だ」
「別名、『臣(われ)は是れ酒中の仙』とも呼ばれている」
「それは誰が名付けたのですか?」
「杜甫(とほ)、やつよ」
「たくさんあだ名があってよろしいですね」
 仲麻呂が言った。
「李白殿、朝衡も蓬壺(ほうこ)(蓬莱と同じく東方の海中にあると言われている島)の仙よ」
 王維が冗談で言った。
「蓬壺の仙(ほうこのせん)、不老長寿の仙薬を持っているのか。俺にも分けてくれ」
 李白が仲麻呂に言った。
「申し訳ない。今、手持ちがない」
 と、仲麻呂が笑って答えた。
 かって、道士の修行を積んでいる李白は不老不死の薬に大変興味を持っていた。
「王維。貴殿は山河に座す終南山(しゅうなんざん)の仙であろうが」
 とって返して朝衡が言った。王維は長安の南にある、終南山に庵を持っていた。
「そうだ、南山の白雲の仙(はくうんのせん)だな」
 王維は「白雲」と、云う言葉が好きで、彼の詩によく出てくることを皆が知っていた。李白が揶揄(やゆ)して言った。皆はどっと笑った。
 三人とも同じ四十三歳の世を憂う若き仙人であった。阿倍仲麻呂は当代を代表する天才的文化人と親しく交流していた。
「鳥魯木斉(ウルムチ)の美人かみさん、馬舎(ばしゃ)の銀杯を三個持ってきてくれ。それと、吐魯蕃(トルファン)の一番上等な葡萄酒一本たのむぞ。一番上等なやつだ」
「お友達ですか。どうもいらっしゃい。賑やかで結構なことですね」
「我らは三仙人様よ」
「仙人にしたら、皆さんまだお若いですよ」
「かみさんも若くて綺麗だぞ」
「そしたら私も、花街北里(ほくり)の仙女ね」
 いぶし銀の高足銀杯(たかあしぎんぱい)は高さ二寸半,口径二寸ほどの大きさで、猟銃の文様が彫られてあった。草原で狩人(かりうど)が猪、鹿、狐を追っていた。西域の影響を受け文様化されていたが、躍動感があった。
「これは李白殿の銀杯ですか。なかなかのよい作りですね」
 朝衡は重量感を確かめながら銀杯をもちあげて眺めた。
「これは老名工、馬舎(ばしゃ)の最高傑作品よ。詩を詠ってやったら、代わりにあいつが俺にこれをくれた。まあ、一杯飲んでくれ」
 李白は二人に吐魯蕃(トルファン)の葡萄酒を注いだ。
「乾杯だ」
「うまい酒だ」
 三人は意気投合し、一気に飲み干した。空になった銀杯の底に「馬舎」の二字が現れた。馬舎は当代一の銀彫りの巨匠であった。
「李白、また旅に出ると噂されているが、本当か、やっと手に入れた仕官の道だ。辛抱してもうしばらく勤めたらどうか。お前なら昇進の道も開けてくるであろう」
 王維が引き留めた。
「皆寂しがる、謫仙人よ。もう少し、長安にいたらどうですか」
 朝衡も付け加えた。
「ありがとうよ」
 しばらく間を置いて、大分酔いがまわっていた李白が詠うように大きな声で言った。
「人の世の誉と富などというものは、ほんの一時の塵のようなものさ。そんなものが、永久(とこしえ)に在るならば、揚子江の水が東から西に逆流することよ」
 朝衡も酔っていた。勢いよく言った。
「そうだ、そうだ、まったくだ。人生、朝露のごとし、何ぞ自ら苦しむことかくのごとき」
 王維も我負けじと詠った。
「この世は全て白雲のごとくはかないものよ。とやかく左往右往するほどのこともないさ。俗世をはなれ東西南北の人(各地を漂泊する人)とならん」
「共にあるのは・・・月と酒と俺の影だけよ」
李白はつぶやいた。
 東方の世界における希代の天才三人は夜が明けるまで飲み明かした。
posted by いきがいcc at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 21.酒中の仙 李白