2011年12月16日

あとがき

            あとがき

 二十歳(はたち)の春、私はブラジル大陸アマゾンに旅立った。密林を開拓し、馬に乗って大地を駆け巡り、大きな牧場を経営するためであった。マンゴーの生い茂るアマゾン河のほとりで、昇る太陽を見つめつつ、でかい夢と青春の血潮をたぎらせていた。
 あれから三十五年、五十路(いそじ)の春、私は中国大陸黄河に旅立った。サラリーマンとして、小さな工場を作るためであった。柳の風花(かざはな)が舞い散る黄河のほとりにぼう然とたたずみ、覚悟を決めた。私の人生は大陸、大河のほとりから始まり、大陸、大河のほとりで終わろうとしていた。

 中国について、もともと強い興味と深い知識があったわけではないが、心に強く残っていることがあった。学生時代、もう遠い遠い昔の話であるが、妹から、「晴夫さん、井上靖の『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』を読んで感動したわ。是非読んで下さい」と言われた。
 私もこの本を読んで鑑真(がんじん)和上に感動した。その後、もう一度読み、中国に来て、又読んだ。読書熱心ではない私が、一冊の本を三度も読み返したのは、『天平の甍』だけであった。それほど長編でないのも幸いしたが、中国に来て最初に旅に出たのは、小説の舞台になった揚州(ようしゅう)(上海の北西)であった。

 もう一つ忘れがたい歌がある。
―天(あま)の原(はら) ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも―
 私は百人一首のこの歌が好きで、取りたい札(ふだ)として子供のころ、自分の目の前にいつも並べた。このわかりやすい歌の深い意味は知らなかった。これもたしか中学時代、親父(おやじ)か、すぐ上の兄貴が教えてくれた。
「晴夫、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は遠い昔、若くして遣唐使留学生として中国に渡って、大臣となり、立身出世した。だが二度と日本の土を踏むことが出来なかった。この歌は中国で詠んだ望郷の歌だ」
 それを聞いて、私はますます好きになった。万葉、古今集など数多(あまた)ある歌で、日本人によるこれほどスケールの大きな歌は他にはあるまい。世界を舞台に活躍した古の男の大きなロマンを今も強く感じる。大宇宙を天、月、山に託しわずか三十一文字に凝縮して歌いあげている。そして、この歌の影に大きなドラマがあったのだ。私はそこから唐の歴史にのめり込んでいった。

 六、七世紀、中国は想像を絶する、世界で最も繁栄した大帝国を築いた。それは西洋文化と言語、宗教、民族を異にする極めて高度な文化であった。原始青磁(せいじ)が二千年以上の歴史を重ねて、唐の時代に完成の域に達し、その究極が「秘(色(ひそく)の碗(わん)」である。唐王朝に伝わる秘宝が、日本国に渡っていたのである。「秘色の碗」を唐の文化、芸術の象徴としてとらえ、テーマに据えてみた。
 日本国は、先進中国に学ぶことに貪欲であった。死の危険をも顧みず、遣唐使船で二十一回、約六千人以上の日本人が奈良時代中国に渡ろうと果敢に試みた。そのうち、何人が目的を遂げ、故国の土を無事踏んだことであろう。古代人達の勇気と苦渋に満ちた物語である。
 青春の志をもって、世界の舞台で大活躍し、異国の地で死んだ阿倍仲麻呂。栄光と没落の人生を終えた大唐国の玄宗(げんそう)皇帝。光と影の孤独な生き様を送った宦官(かんがん)高力士(こうりきし)。仏教伝教のため度重なる挫折を乗り越え、六回目の挑戦で日本にたどり着いた、高僧鑑(がんじん)真和上。阿倍仲麻呂との愛に生き、日本に渡った世紀の美女楊貴妃(ようきひ)。流浪と酒の彩なす漂泊の天才詩人李白。主人公阿倍仲麻呂を中心に、中国大陸と日本国家形成の時代を背景に活躍した、唐と奈良の人々の波乱に富んだ人生ドラマを描いた。

 年を重ねてくると、たいがいのことは、だんだん忘れていく、特に新しいことは覚えられない。しかし、私にとって忘れられないもう一つの詩がある。
―おのが名を ほのかに呼びて 涙せし 十四の春に 帰るすべなし―
 少年の日々、千曲川に寝そべって、友と語らい口ずさんだ石川啄木の歌である。
 私は仲麻呂と啄木のこの二つの青春賛歌を忘れず、いくら歳をとっても青年であり続けたい。この歌を想いだすことがなくなったら、アマゾン河や黄河や千曲川どころではなく、三途の川に旅立たなければならないことを覚悟している。
 そんな事になる前、六十歳の人生の節目にこの本を書き留めておくことにした。

 最後に、中国での私の仕事を大きな気持ちで見守ってくれ、この度の出版についても大変ご理解頂いた三ツ星ベルト株式会社西河紀男社長と中国天津滞在中、三年以上に渡って毎週、唐の歴史について教授いただきました胡宝華博士に心からお礼を申し上げます。
posted by いきがいcc at 17:16| Comment(1) | TrackBack(0) | ■あとがき
この記事へのコメント
おつかれさまでした。
もう一度、はじめから読み直したいと思っています。
Posted by 富田 at 2011年12月16日 18:59
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