2011年12月14日

連載(36)

kennan-haiya.jpg  (連載36)

 仲麻呂は阿環のために茶も持ってきていた。茶は漢方薬で、当時、万病に効く薬であった。
「阿環、茶を毎日飲めば必ず元気になるだろう」
「はい」
 仲麻呂は長安で湖州紫笋(こしゅうしじゅん)の新茶を手に入れてきた。阿環は茶を入れる仲麻呂の後ろ姿をジッと眺めていた。夏の夜の古寺に静謐(せいひつ)なひとときが流れた。
「お茶は身も心も癒してくれるわ」
 仲麻呂は、毎日、阿環のため茶を飲ませ、自分も飲んだ。そのため阿環は日に日に元気になった。時に、仲麻呂五十七歳、楊貴妃三十九歳であった。まだ安史の乱は、完全には治まっていなかった。仲麻呂は楊貴妃を最初に見初(みそ)めてからちょうど二十年後、遂に愛が結ばれた。

 この年の秋、剣南の廃屋をあとにし、二人は長安の南に横たわる終南山(しゅうなんざん)の麓に庵(いおり)を構えることにした。二人の住みかは長安の都からわずか二、三十キロしか離れていなかったが、まるで別世界のように自然の静寂に包まれていた。
 終南山の麓を通り抜ける秋の夜風が、抱き合った熱い二人の体を通り抜け、開ききった南の窓から北の窓に吹き抜けていった。色づいた柿の落葉で庵の周りは埋め尽くされた。阿環の肌は柔らかく弾力的であった。強く抱きしめても突き当たることがなく、柔らかく押し返してきた。その感覚は遠い少年時代を想い起させた。仲麻呂は少年時代、奈良飛鳥の畝傍山(うねびやま)を遊び回っていた。秋の日、道から外れて、落ち葉舞い散る林の中を歩くことが好きであった。誰も通ったことのない道を歩くとき、足の裏を通して感じる母なる大地は、突き当たることなく弾き返してくる感触があり、柔らかに吸収し、抱きしめてくれるようでもあった。あの言い表しようない気持ちよい感覚であった。それは天上を歩いているようでもあり、神の裳裾(もすそ)に触れているようでもあり、母に抱かれているようでもあった。毎年、新たに積もった落葉は、光りと雨と風により、大地を優しく包み込んでいた。

「玄宗上皇が蜀から長安に戻られた」
 仲麻呂が阿環と一緒になって一年半後の正月のことであった。
「楊貴妃はもうこの世にはおりません」
 阿環はきっぱりと答えた。ぼんやりとした影絵のように、全てが遠い昔日の色あせた出来事のように思えた。

 さて一方、日本国には、唐の激しく変化する情勢が渤海国(ぼっかいこく)経由でいち早く刻々と入ってきた。
「藤原清河殿と阿倍仲麻呂殿が遣唐使で日本帰国時、遭難にあったが、何と無事生きて長安に戻った」
「安史の乱により洛陽、長安が陥落し、二年前、玄宗皇帝が蜀の国に落ち延びた」
 これらの情報は、かなり正確に早く、渤海国から帰国した遣渤海使によって伝えられた。それは折しも安禄山の反乱が治まった直後、七五八年(日本 天平宝字二年)のことであった。
 反乱軍安禄山の本拠地は、渤海国のすぐ隣、平廬(へいろ)(沈陽(しんよう))であったため、情報が早いどころか渤海国は、危機感が強かった。
「安禄山は西方の唐軍の抵抗が強ければ、矛先を変えて東方に攻めてくるであろう、渤海国や日本に侵略してくる可能性も大きい」
 と、遣渤海使が報告した。
「孝謙(こうけん)天皇様、阿倍仲麻呂が予言していた通りだ。大唐国の崩壊がこんなに早く、もろいとは思わなんだが」
「藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))殿、日本の守りは大丈夫ですか。安禄山がそう易々と日本にまで、攻めてくることはないとは思うが」
 女帝が藤原仲麻呂に確かめた。
「守りは万全ですよ。ところで、二人とも長安に奇跡の帰還を遂げたことを聞きびっくりしました」
「何と二人とも、ご存命とは驚きましたわ。うれしいことですね」
「直ちに迎えの使節団を派遣させよう」
 時の権力者藤原仲麻呂は使節団派遣を即断した。
「しかし、現在、大唐国は戦禍にまみれ混乱しており、遣唐使を派遣することは大変危険です。天子は蜀に落ち延び、長安にはいません。国交断絶の新羅に行くことも出来ません。しばらく様子を見たらどうでしょうか」
 遣渤海使(けんぼっかいし)は中国の現状について報告した。
「危険であることはわかっている。しかし、二人の生存を知りながら迎えの使節団を出さないわけには行かない。遣渤海使を派遣し、渤海国から陸路長安に行かせよ。同時に、唐の動向をよくその目で確かめさせろ」
 藤原仲麻呂がただちに命令した。
「天は我に味方した。機会到来だ、まず渤海国と直ちに軍事同盟を結ぼう。そして、一気に新羅を攻めるぞ。急がなければ」
 藤原仲麻呂は意気込んで言った。二人の救出も望んでいたが、朝鮮討伐の千歳一隅好機到来と興奮した。
「確かに、唐国が混乱している間に新羅討伐すれば、新羅は唐国の援助を得ることが出来ない。新羅一国であれば、日本と渤海が挟み撃ちすれば十分に勝算はある。一時的には勝利を得るであろうが・・・」
 女帝もそう思った。しかし、女帝は戦争を好まなかった。
「この機会を逃したら新羅を討伐することは出来ない」
 藤原仲麻呂は断定した。
「一時的に日本国は新羅を征服することが出来るかもしれません。しかし、何年持ちこたえられるでしょうか。未来永劫(えいごう)に日本が朝鮮を支配など出来ず、必ず中国を巻き込むことにもなろう」
 と、天下の情勢を知っている吉備真備(きびのまきび)が天皇に奏した。
 孝謙女帝と太宰府(だざいふ)にいた真備は朝鮮討伐に反対であった。
「藤原仲麻呂の朝鮮討伐を、命を懸けて阻止せねばならぬ。俺の最後の仕事だ」
 真備は自分自身に言い聞かせた。
「真備殿、頼みますよ。日本を滅亡に追いやることは出来ません」
「そうでございます。阿倍仲麻呂との約束もあります」
 六十五歳の真備が動いた。

「そろそろ孝謙天皇に下りてもらい、大炊王(おおいのおう)に即位させよう」
 藤原仲麻呂はうそぶいた。美形の裏に男の野望が見え隠れした。
「あの男の愛は本物ではなかったのか。権力の座を手に入れてからは、だんだん冷たくなり妾(わらわ)から遠のいていったわ」
「女帝では戦争が出来ぬ」
「利用だけして捨てる気か。偽りの愛か。そうはさせぬわ」
 二人の間は急速に冷え、険悪になっていった。
 七五八年(日本 天平宝字二年)八月孝謙天皇が譲位(じょうい)し、大炊王(おおいのおう)が淳仁(じゅんにん)天皇として即位した。藤原仲麻呂は自分の独裁体制を整えるには孝謙女帝が邪魔になってきた。淳仁天皇は藤原仲麻呂の傀儡(かいらい)にすぎなかった。いずれこのような時が来るときのために自分の邸宅、田村第(たむらだい)において養育してきたのであった。

翌年、三月、遣唐使大使高元度(こうげんたく)と遣渤海使大使内蔵全成(くらのまさなり)が任命され、使節団が戦禍の下、強引に派遣された。

大使 :高元度  (迎前入唐大使(げいさきのにっとうたいし))
判官 :内蔵全成 (遣渤海使大使)
録事 :羽栗翔(はぐりのかける)

「内蔵(くら)殿、渤海国との軍事同盟締結を今度こそ必ず頼むぞ。急ぐんだ」
「高元度殿、戦時下の極めて危険な派遣だが藤原清河殿、阿倍仲麻呂殿の救出よろしく頼む。また安史の乱後の、唐の国情を掴んでこい」
 総勢百二十二人であった。この使節団の録事として羽栗翔が同行していた。
「それから美しい舞姫を連れて行け」
「舞姫を、なぜですか?」
「軍事同盟を結ぶための貢物だ」
 安禄山の侵略に対して、日本と渤海国は同盟を結び共に戦おうとの密約を携えて、内蔵全成(くらのまさなり)は危険を冒して渤海国へ渡った。

 一方、藤原仲麻呂(恵美押勝)は日本国内において、直ちに行動を起こし着々と事を進めた。
「太宰府に新羅討伐前線基地として軍事大本営を設ける。兵隊、馬、武器を揃えろ」
 造船の命令を続けて出した。
「直ちに、山陽、山陰、北陸、南海の諸国に五百隻の軍船を建造させろ」
 七六一年(日本 天平宝字五年)の十一月、新羅討伐軍がついに結成された。その陣容は次の通り三軍により構成された。

   東海道 藤原朝狩(あさかり)将軍   軍船百五十隻 兵一万六千
   南海道 百済王敬福(けいふく)将軍  軍船百三十隻 兵一万三千
   西海道 吉備真備(きびのまきび)将軍   軍船百三十隻 兵一万三千
   合計           軍船四百十隻 兵四万二千

「太宰府で新羅討伐に反対しよる吉備真備を、討伐軍の大将にしてしまえ」
「知らぬ間に、俺を新羅討伐三軍の大将に選ぶとは敵もさるもの」
「天皇の新羅討伐の詔(みことのり)が発せられれば、いつでも朝鮮に出陣できる用意が出来た」
 権力を掌握した紫微内相(しびないしょう)は、ただ、おのれの野望を遂げんがために盲目になっていた。
「これは大変なことになってきたわい。まさに日本存亡の危機だ」
 真備は腹を決めた。
posted by いきがいcc at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 36.楊貴妃と仲麻呂の再会
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