2011年12月12日

連載(34)

hounenji.jpg  (連載34)

 高力士は玄宗と郭子儀(かくしぎ)に相談した。
「安禄山はこちらに追っ手を出さないとの確かな情報であります。これからは難所の蜀の桟道(さんどう)を越えなければなりません。食料と水を十分揃え、付近の様子も確認する必要があります。三日ほど、当地扶風(ふふう)で休息を取った上、準備万端整えてから、蜀に向かうことにしたらどうでしょう」
「馬嵬(ばかい)の悲劇で皆、兵士達も心身共に動揺している、追っ手が来ないのであればここはひとまず休んで体勢を立て直すことが第一だ」
「しかし、これだけの大所帯が宿営する場がこの辺りにありますか」
 と、郭子儀(かくしぎ)も高力士の考えに同意して尋ねた。
「皇帝陛下、ここ扶風(ふふう)の地には法門寺(ほうもんじ)が御座いますよ。ここで旅の疲れを癒すことにしましょう」
 高力士は部下へ食料の調達、旅の支度を手際よく指示した。また郭子儀に軍、兵隊の再編を整えるよう指示した。
「郭子儀殿、私は後方に戻って長安の動向を自分の目で確認し、三日目には必ず戻ってきます。今一番肝心なことは、安禄山一味が何を考えているかを正しく掴むことです」
「貴殿のいう通りだ。よろしく頼みます」
 日もまだ開けぬ翌日の早朝、高力士は赤毛の馬にまたがり、剣南へと向かった。馬上の後ろには、緑の衣服の一人の宦官が乗っていた。長安には信頼のおける他の宦官を自分の代わりに送り込んだ。

「高力士様、どこに行かれるのですか」
「楊貴妃様、剣南の大雲寺に行きます。しばらく彼の地に隠棲(いんせい)して下さい」
 楊貴妃は馬上で高力士の腰に両手を回してしがみついていた。馬が揺れる度に楊貴妃のふくよかな胸が高力士の小さな背中にあたった。高力士は本当に女を愛することが出来た喜びで一杯であった。命に賭けて彼女を守りたいと思った。
 この剣南の地は昔、高力士が過ごした故郷であった。
「川も、丘も、林も、昔のままだ。ちっとも変わっていないな」
 大雲寺の住職は高力士の少年時代をよく知っていた。もう八十になろうかと思われる老齢の禅宗の僧侶であった。寺は寂れて夏草が生い茂り陰陰(いんいん)としていた。
「高力士殿、懐かしいな。ご立派になられたのう」
 白髪の住職は五十年振りに、かっての高力士少年を見て目を細めた。彼が宦官にされたこと、また、唐の高官として活躍していることも全て知っていた。
「お久しぶりです。住職様もお元気で何よりです。長安が陥落したため、我々はこの近くを通り、迂回しながら蜀へ落ち延びていく途中であります」
「それは難儀なことじゃ」
「住職さま、この宦官は戦禍のもと心身共に病んでいます。蜀の桟道の難所を越すのはとても無理な体と思われるので、お手数お掛けしますが迎えの者が来るまで、しばらく誰にも内緒にして、寺でかくまってやって下さいませんか」
「高力士殿、おわかり申した」
 かなりの金を渡し頼んだ。住職は何も聞かずに快く引き受けてくれた。住職の髪の毛、髭、眉毛は全て真っ白で仙人のようであった。
「高力士様、何時迎えに来てくれるのですか」
 すがるような眼差しで、楊貴妃は心細げに問いかけた。
「何時、誰が迎えにくるか分からないが、万一、今年が無理であっても、来年の春までには、必ず誰かが迎えに来る。安心して待っていて下さい」
「誰かとは・・・ 高力士様ではないのですか」
「誰も来ない時には、私が必ず迎えにくる。楊貴妃様、心配しないで下さい」
 朝衡(ちょうこう)(阿倍仲麻呂)殿が迎えにくると、口から出かかったが、思いとどまった。
 高力士は目に涙をいっぱい浮かべてなぐ慰め、楊貴妃も涙をいっぱい浮かべてうなずいた。これが二人の最後の別れとなった。

 楊貴妃を置いて寺を去る前に、高力士は一通の手紙を仲麻呂にしたためた。
 手紙には一片(ひとひら)の五言絶句(ごごんぜっく)の詩が書かれているだけであった。その手紙には大雲寺の庭の楓の葉を一片添えてあった。魚の形をした封筒に入れて、二度に分けて送り届けさせた。古の漢の時代より恋文は楓の葉に書きとめ、魚に頼んで届けてもらうと言い伝えられていた。
 高力士は李白(りはく)の五言絶句を想い出しながら書き留めた。
「あいつの詩を使おう」
 高力士は阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に仕えた時からの長い友人であった。李白も朝廷に仕えた時以来、仲麻呂とは親しい友人であった。しかしながら、高力士と李白はどういう訳か最初から生理的に肌が合わなかった。ただし、高力士は李白が嫌いであったが、彼の詩は好きであった。口には出さないがむしろ高く評価していた。

    傾国に代わりて蓬莱(ほうらい)の人に寄す

    美人珠簾(しゅれん)を巻き
― 美しい人が珠(たま)の簾れを巻き上げている ―
    深く座して蛾眉(がび)をひそむ
― 部屋の奥深く坐って蛾眉のような眉をひそめて ―
    ただ見る 涙痕(るいこん)の湿(うるお)うを
― ただ見れば、涙のあとがぬれたまま ―
    知らず 心に誰(たれ)をか待つを
― 一体、誰が迎えに来てくれることを待ち望んでいるのか ―

 剣南(けんなん)の故郷の寺にて 馮王(ふおう)より
 
「よし、これでよい。もしも、万一手紙を紛失したり、盗まれたりしても朝衡以外の人には、内容がわからないであろう」
 高力士は常に慎重で万全であった。楊貴妃がこの世に生きていることが万一、世間にわかったらたいへんなことになる。しかし、仲麻呂だけには正しく用件を伝えなければならない。
 しばらく考えていたが、李白の詩の最後を「恨むを」を「待つを」と書き換えた。楊貴妃の気持ちを高力士が代わって詠った阿倍仲麻呂への文である。
「朝衡(仲麻呂)は誰からの恋文かきっと理解してくれるだろう」
 仲麻呂殿が迎えに来るかどうかはわからなかった。彼が来なければ自分が迎えに行くことに決めていた。仲麻呂がむしろ来ないことを願っている気持ちもあった。しかし、彼は必ず迎えにくると信じていた。阿倍仲麻呂の楊貴妃への愛がそれだけ強いことを高力士はよく知っていた。
 蜀の山々で東と西の季節風がぶつかり合い多くの雨を降らせた。昼と夜の気温差が大きく霧が多かった。大雲寺は竹林の霧の中にかき消された。林の奥に鹿が一頭、動かずに、じっとこちらを見つめていた。金糸猿(きんしこう)の鳴き声が全范山(ぜんはんざん)に悲しげに鳴き渡った。

 楊貴妃を大雲寺の僧にあずけ、引き返してきた高力士は、その後、玄宗皇帝に従い蜀に行幸(みゆき)した。雨の音と馬の鈴の音が蜀の桟道に悲しい協奏曲のように響き渡った。途中、扶風(ふふう)で皇太子一行は玄宗皇帝と別れて北の霊武県(れいぶけん)に進んだ。霊武県に従った武将郭子儀は北方の部族を征服し、兵力を整え、強力な軍隊を指揮することになった。
 皇太子はここで皇帝につき、唐国第七代粛宗(しゅくそう)を名乗った。七五六年、年号は至徳元年と改められた。玄宗は太上皇(だいじょうこう)となり、開元の時代は終わった。
 粛宗は郭子儀を副元帥に任命し、翌年の秋、長安を奪回させた。強力な北方のウイグル族の騎馬隊を配下に従えて一気に長安、洛陽を制圧した。反乱軍は浮かれていた。
「戦わずとも、燕軍(えんぐん)は内部から崩壊してしまったわ」
 その時、すでに反乱軍は内紛を起こしていた。安禄山は息子とその側近の宦官に殺害されていた。息子は父の同士に殺され、反乱軍は内部から崩壊していった。
 蜀に下っていた玄宗太上皇、高力士等も七五七年(日本 天平宝字二年)の正月には一年半ぶりに長安に帰った。楊貴妃を失った玄宗はすっかり気力を失い、楊貴妃の亡霊と共に生きていた。玄宗皇帝の時代は終った。
「高力士よ、楊貴妃がいない人生はつまらないのう」
高力士はとぼけて答えた。
「そうですね」

 かっては高力士の部下であった宦官が粛宗に取り入った。粛宗の妻と組んで権力を握るようになった。元部下にとって高力士は目の上のたんこぶで邪魔になった。彼の諫言により高力士は巫州(ふしゅう)(湖南省)に流された。
 しかし、次の皇帝代宗(だいそう)の時代になって高力士は恩赦をうけ長安に帰ることとなった。高力士は巫州から長安に帰る途中朗州(ろうしゅう)で玄宗上皇が亡くなったことを知った。ちょうど、長安から郎州に赴任してきた官吏に尋ねた。
「玄宗上皇はまだお元気ですか」
「上皇は粛宗が亡くなられた少し前に崩御なされました」
「そうですか。ところで、日本人の秘書監(ひしょかん)朝衡殿はお達者か」
「朝衡殿はお元気のようですよ、風の便りによると美しい女人を娶って、終南山(しゅうなんざん)の麓で静かに暮らしているとのこと」
「美しい女人とな。それはよかった。もう我の出る幕ではないわ」
 高力士は微笑をうかべ、おのれに言い聞かせるように言った。
「もしや、あなた様は先の驃騎(ひょうき)大将軍、高力士様では御座いませんか。大変失礼致しました。長安へお送りするよう手配いたします」
「玄宗上皇のいない長安に今更この老体をむち打ち帰って、何になるものか」
「では如何に致しましょうか。ご下命ください」
「一碗の芹粥(せりがゆ)を所望(しょもう)いたす」
「おやすいご用です。しばらくお待ち下さい」
 ただちに熱い粥が用意された。塩味の粥にさっと湯を通したひとつまみの芹がのっていた。
「おお、これはうまい。久しぶりだ。都の香りよ、京の風味よ」
 高力士は彼の地で自ら七十九歳の命を絶った。小さな宦官の大きな人生が終わった。当時、四千人以上の宦官がいたと言われるが、その頂点に立った男であった。妻も子もいない一人の淋しい旅先の宦官の死であった。彼は臨終に一言、遺言を残していった。
「ここに俺の宝がある。必ずもとの通りに縫いつけ、男として葬ってくれ」
 彼は生涯、玉(ぎょく)の器に油と香料と防腐材に浸した小さな宝を肌身離さず大切に持っていた。
「俺は男だ」
 高力士は遺言通り、男に戻って、玄宗皇帝の陵(みささぎ)に陪葬(ばいそう)された。
posted by いきがいcc at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 34.宦官高力士の愛
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