2011年12月03日

連載(26)

ganjin.jpg  (連載26)

     10.鑑真和上(がんじんわじょう)の密航


 前回から、遣唐使の目的の一つに、仏教の戒律のわかる高僧を招聘(しょうへい)することが加えられていた。日本は国家を挙げて仏教が興隆した時期で、東大寺に大仏が建立され、開眼供養(かいがんくよう)が行われたのは、今回の遣唐使が難波津を出航してからすぐ後、七五二年(日本 天平勝宝四年)四月のことであった。
 大使藤原清河(ふじわらのきよかわ)一行は帰国が近づいたころ、天子に別れのあいさつと共にお願いした。
「天子様、仏教興隆のため鑑真和上(がんじんわじょう)と弟子の律僧五人を日本に招きたく存じます。どうか、ご許可をお願い申し上げます」
「日本は仏教ばかりをあがめ道教を軽んじておる。道教を日本で広めるため十人ほどの道士(どうし)を連れて行け。そうだ、優れた道士を選ばせよう」
「天子様、ありがたきお言葉ですが日本には、いまだ道教がありません。先ずは、春桃源(しゅんとうげん)以下四人の者に道教を学ばせるため唐に残します」
 と、あわてて藤原清河大使はその場を取り繕った。
 唐の皇室は李姓(りせい)であったため、同じ李姓の老子を祖とする道教を保護した。玄宗(げんそう)皇帝の時代、唐王朝は仏教を弾圧することはなかったが、皇室は道教を信奉し、玄宗の妹は出家して女道士となり道教の寺を建てた。
 鑑真和上が日本へ行くことに固執し、執念を燃やしていたのは、日本に理想の仏教国家を築きたいためでもあった。道教の国、唐では限界があったのである。
「しかし、不老不死を求め、仙薬を練り、神仙(しんせん)に委ねる道教に対する信仰は、日本には馴染まないからなあ」
 藤原清河大使は言った。
 道士の招聘は体よく断ったが、同時に鑑真和上一行の日本への招聘も、断念せざるを得なかった。

 藤原清河の使者が副使の大伴古麻呂(おおとものこまろ)のところにやってきて、そっと伝えて言った。
「内密の打ち合わせをするので、今晩七時に大使の第一船に来られたし」
「出航間際になって、内密の打ち合わせとは、一体、何であろう」
 と、古麻呂は考えながら、約束より少し前に大使の船へと行った。
「近頃、誰かにつけられているような気がしてならぬ」
 と、言いながら、辺りに気を配りながらそっと入った。
 船内にはすでに皆揃っているようであった。出席者は大使の藤原清河、副使の吉備真備(きびのまきび)、そして、今回三十七年振りに帰国することになった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、十九年前の前回の遣唐使で留学僧としてやってきた僧普照(ふしょう)、大伴古麻呂の合計五人であった。
 揚州(ようしゅう)の運河の水面にはさざ波が立っていた。月の光が明滅し、北斗(ほくと)の星が寂寥(せきりょう)として瞬(まばた)いていた。草むらのコオロギの鳴き声は止むことがなかった。
「鑑真和上一行を日本にお連れするのを止めることにした。これは十分考えた上での判断である。皆の了解を得たい」
 大使が抑揚のない、しかし、はっきりとした口調で言った。しかし、その顔は無念と苦渋に満ちていた。
「大使殿、この期に及んで止めるとは、弱腰ではありませんか。初心を貫き通すべきです。仏教の戒律を教えることの出来る唐の高僧を日本に招聘することが、今回の遣唐使に課せられた大きな使命の一つであることは、大使もご存じと思いますが」
「もちろん、知っての上のことだ」
「今まで何回も、日本側からお願いしておきながら、この期に及んで、怖じ気づいて今更やめだと、誰がどんな面(つら)をして、高僧鑑真和上に話をするのですか・・・。彼らにとっても日本行きは、命がけの決断ですよ」
 一寸興奮して、古麻呂が言った。
「古麻呂殿。私も貴殿の気持ちと同じです。しかし、天子様が仏教の高僧の日本招聘を許可してくれませんでした。揚州の役人が阻止するために警備しています」
「こわっぱ役人どもは、わしが追っ払ってやるわ」
 古麻呂は顔を真っ赤にし、ただし、怒りを抑えながら直ちに言い返した。
「古麻呂殿もご存じの通り、我らは鑑真和上とその高弟一行を日本に招聘したい由、正式に玄宗皇帝にお願いしたが、願いは聞き入れてもらえず、仏教ではなく、日本に道教を布教せよ。道士を連れて行けとの仰せであった」
「そのことは私も知ってはいるが」
 古麻呂が答えた。
「やむを得ず、鑑真和上に密航してくれるようにと、内密にことをすすめてきたが、近頃、広陵郡(こうりょうぐん)(揚州)の役人どもは、鑑真和上がまた日本へ密航しようとしているとの噂を嗅ぎつけて、船を強制捜査しようとしている」
 大使は説得するように言った。一呼吸おいて、大使は続けた。
「鑑真和上の弟子にも、和上が東夷(とうい)に行くことに反対する者も多く、当局に告げ口する可能性が以前にもまして高くなった。唐の国禁を犯す密航者が遣唐使船にて発見されたら、日本国の正式な外交使節団として、誠に由々しき結果にもなりかねない」
「確かに、その通りだ」
 最年長の真備がうなずいた。
「ただ単に、私の弱腰と片づけられる問題ではない。船と寺の周りには役人どもがうようよと警戒し、尋常の沙汰ではない。新羅の間者(かんじゃ)も紛れ込んでいるとの噂だ。古麻呂殿よくわかって欲しい」
「大使殿がおっしゃるとおり、遣唐使は天皇の代理として、大唐国を正式訪問したので、天皇大権を移譲されたことを意味する。大唐国の天子の意に反して、国禁を犯す高僧の密航が露見したら、大きな国際問題に発展する可能性もある。両国の友好関係が損なわれ、現在日本と敵対関係にある新羅と唐が手を結び、日本へ侵略でもしてくるような最悪の事態になったら、日本はひとたまりもなく滅ぼされかねない」
 真備が説得した。
「鑑真和上密航を阻止し、混乱させようとしているのは新羅の間者かもしれない。あるいは楊国忠(ようこくちゅう)の回し者かもわからない」
 古麻呂が口を挟んだ。
「そうよ、ここはよくよく慎重に対処せざるを得ない。清河殿の日本国大使としての、お立場も考えねばなるまい」
 目を閉じたまま、吉備真備が冷静に言った。
 一番若い僧普照(そうふしょう)は、言いたいことがたくさんあったが、気が高ぶって言葉にならなかった。
 河には月の光が鏡のように反射していた。阿倍仲麻呂は船窓の向こうに広がる漆黒の海を眺めながら喋ろうとした。河は静かであった。
「誰だ?」
 その瞬間、話を遮(さえぎ)るように、古麻呂は突然、がばっと立ち上がり船外へと走り出た。船から岸へと飛び降り走った。小柄な黒衣の男が豹のように音も立てず疾走した。男は手に小さな棒切れを持っていたようだ。それは何かわからなかったが、どう見ても刀や剣とは思えなかったが、古麻呂が後を追った。
「古麻呂殿、どうなされた」
 普照が心配して戻ってきた古麻呂に尋ねた。
「残念ながら取り逃がした」
「何者だ、間者か」
「くせ者を取り逃がしたわい。やつはただ者ではないな。何処かであったような気もするが、思い出せない・・・。まるで風のようなやつだ」
「私もこの度、玄宗皇帝のお許しをいただいて、三十七年振りに、祖国日本に帰ることになった。以来今日に至るまで、皇帝並びに楊貴妃の広い心とご加護の下に、唐政府の高官にまで取り立てていただいた。私の生活の基盤はすでに大唐国にある」
「仲麻呂殿。本当にご立派になられた」
 大使が賞賛した。
「この天下の先端を行く文化の誉れ高い唐国、長安に生きていることに満足している。今更、危険を冒して日本にどうしても還りたいとは、本心では思っていない。中国二千年以上の長い歴史に培(つちか)われた律令、文化、仏教、寺院、宮殿、市場は素晴らしい。三十七年間、唐で学んだことは大変多く、価値のあることだ。学んだ知識を全て持って帰って日本に伝えたい」
「それが我々に課せられた責務だ。日本はあらゆる点において、まだ唐国の足もとにもおよばない。早く唐国に追いつくことが必要である」
 真備が同意した。
 しばらくして、阿倍仲麻呂はまた口を開いた。
「私事の前置きが長くなったが、従って、鑑真和上のごとき、当代きっての高僧を日本に招聘することは、極めて大切だ。特に、日本の人民に仏教の道を教え、信仰心を高め、心豊かな文化国家を作り上げるためにも彼の力が必要だ」
「仲麻呂殿のおっしゃる通りですよ」
 今まで黙っていた普照が大きく相づちを打った。
「大師(だいし)(鑑真)により戒(かい)を授けられた弟子は、四万人を越す。唐国一の高僧が自ら危険を冒して、東夷日本国に来て下さるなど、後にも先にもないことです。この機会を逃すことは、これからの日本国にとって大きな損失だ。何とか、断行したい」      
 しばらく、間をおいて、
「だが・・・、しかし・・・、この船にまでもくせ者がやってくるとは。大使のおっしゃるように、役人達がうようよ見張っている。密航するのはかなり難しい。国禁を犯してまで連れて行くことも出来まい、何か、良い手だてはないものか」
「さっきの小柄のくせ者も、おおかた新羅の間者であろう。最近、我は誰かにつけ狙われているような気がしてならぬ」
 古麻呂が言った。
「気を付けて下さいよ。我を襲った刺客は大男だったが」
 この夏、刺客に狙われたことがある普照が言った。
 遠くから悲しい胡笳(こか)(西域異民族の笛)の音が聞こえてきた。誰が吹いているのであろうか。紫髯緑眼(しぜんりょくがん)の胡人が月に向かって吹いているのであろうか。

「楊国忠は仏教に興味などない。新羅からの金で動いている。役人どもは一変して、密出国を阻止するようになった」
 楊国忠は、表向きはともかく、内心は阿倍仲麻呂を日毎に警戒、嫉妬するようになっていた。仲麻呂が玄宗と楊貴妃の二人の寵愛を受け、唐王朝において、重き存在になってきたことを心よく思っていなかった。

 天平時代を代表する日本の二人の秀才、阿倍仲麻呂と吉備真備は共に多くを唐で学んでいた。古麻呂以上に、日本国の将来を思い悩み、嘆息せざるを得なかった。この二人の国際人は、誰よりも日本が今、鑑真和上を必要としていることを理解していた。
「しかし、お二人には国禁を犯してまでも、それを決行するだけの若さと勇気と無謀さはない」
 と、古麻呂と普照は嘆いた。

 天下の文化の中心は、中国である。中華思想に基づくと、その中華の外側の国は四夷(しい)と言われ、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼んでいた。しかし、一方、中華思想を慕う者に対しては、民族、国家の別なく鷹揚に受け入れる度量を持っていた。当時、中国を訪れる遣唐使や、留学生の中国国内の旅費や滞在費は全て唐政府がまかなってくれるのが常であった。長安には一万人の留学生が世界中から集まり勉強していた。しかし、逆に唐人が国外に出ることについては、厳しく規制していた。

「大使殿、出航の日をどうか七日間延ばし、十一月十五日の満月の未明にお願いします。私が鑑真和上に事の成り行きを説明し、謝罪しましょう」
「鑑真和上に誰がこの断りの話をしに行くかが一番の悩みの種であったが、阿倍殿が取りはからってくれるのであれば、これ以上ありがたいことはありません。仰せの通り出航を七日間延ばすことは構いません。どうかよろしくお願い致します」
 大使は深く頭を下げた。
「七日あれば、何かよい知恵が浮かぶであろう。鑑真和上には必ず日本国に行ってもらおう」
と、仲麻呂は独り心で決めていた。彼はこのまま諦めるつもりはなかった。ただちに行動を開始し、僧思託(そうしたく)に相談した。
 武人で血気盛んな古麻呂と言えども、大使と二人の長老に論(さと)されれば、さらに反対を押し通せるものではなかった。夜も更けて、鑑真和上一行の招聘中止にひとまず同意し会議を終えた。古麻呂は心の底では了解などしてはいなかった。
「単独でも命に懸けて、鑑真和上一行を日本に密航させるぞ。日本国のためだ」
 と、古麻呂はすでに腹に決めていた。
 僧普照(そうふしょう)はあまりのショックで、自分がどのように処したらよいのかわからなかった。彼は舎人親王(とねりしんのう)から直々に、中国の戒律を伝えることのできる高僧を日本に招聘する使命を受け、入唐(にっとう)苦節十九年間、そのために唐で働いてきた。今回、その大願が成就し晴れて、日本への帰国の途につく矢先の出来事であった。
         
posted by いきがいcc at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 26.鑑真和上の密航
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