2011年11月22日

連載(19)

IMG_2098_3_1.jpg   (連載19)

    8.酒中(しゅちゅう)の仙(せん) 李白(りはく)


 李白(りはく)は玄宗皇帝の妹の推挙により、念願の仕官を果たした。長安(ちょうあん)にて、唐王朝に仕えたのは、七四二年(日本 天平十五年)の秋のことであった。山に囲まれた故郷、蜀(しょく)(四川省成都(しせんしょうせいと))を後にしたのは、李白、二十五歳の春のことであった。あれから苦節十七年、四十二歳での初めての仕官であった。
 彼は蜀の深山で柔術の修行を積んだ道士であった。生まれは蜀ではなく、遠く西域の地、砕葉(さいよう)(キルギスタン)であった。
「我が酒中の剣に敵なし。若かりしころは無頼の輩(やから)を数人あやめたものだ」
 と、うそぶいていた。彼の場合は、確かに、ある程度酒を飲んでいた方が剣にさえがあった。しかし、どれほど剣の腕が強かったかは定かではない。
「酒は剣の乱れを静めてくれるわ」
 正眼にかまえた刀の切っ先は、微動だにすることはなかった。緊張がとけ、雑念を忘れ、雲の中を歩くが如き、無心の境地に近づくことが出来るためであろうか。
「龍泉剣(りゅうせんけん)」の剣一本を無骨に肩に掛け、老酒(らおちゅう)の一升徳利を刀にぶら下げていた。道士の姿で白衣に身を包み、えんじの帯を締め、帯の先を地面すれすれまで垂らしていた。真っ黒な口髭とあご鬚が長く伸びていた。顔は彫りが深く、鼻は大きく高く、肌は茶色で、精悍な容姿であった。彼はいつも遠くの空を仰ぎ、遠くの山を眺め、遠くの河を見つめていた。旅にでた彼が再び故郷の蛾眉山(がびさん)を仰ぎ見ることはなかった。

「李白、お前なら科挙(かきょ)の試験に間違いなく、合格するぞ。受けてみろ」
 かっての科挙の合格者で、今、酒好きの秘書少監(ひしょしょうかん)が言った。彼は若き豪放磊落(ごうほうらいらく)な大詩人を高く評価していた。大変狭き門ではあったが、李白ほどの才能があれば可能であった。身分が低くても、有能であれば「科挙」に合格し、官吏になれる道が開かれていた。
「科挙か」
と、李白は一言いっただけであった。
「たとえ、誰でも受験出来るといっても、李白のように、全くどこの馬の骨か素性のわからん者は受験できんぞ」
 宰相(さいしょう)を宰相とも思わない、態度の大きい李白を嫌っていた皇族出身の宰相が言った。。当時、家系とか家柄は極めて重要であった。
「たとえ、受けたとしても合格はしまい。詩だけできても官吏は勤まらぬわ」
 宦官高力士(かんがんこうりきし)が言った。彼も肌があわなかった。
 李白は科挙の試験を受ける気など、サラサラなかった。李白は自分の血筋を気にしていたが、自分の家柄について、生涯語ることはなかった。よそ者なのか、胡人(こじん)なのか、いずれにしろ、中国二百九十三の氏族の中にも入っていなかった。あるいは、由緒ある家柄に生まれたが、何らかの事件で謀反者の汚名を着せられ、名乗ることが出来なかったのか、あるいは異邦人だったのか。
「我は隴西(ろうせい)(西域)の李氏である」
 と、李白は勝手に名乗っていた。旅先で李姓の人に会うと、
「やあ、叔父さん、兄弟」
 などと、なれなれしく声を掛け、泊めて貰ったり、酒や食事にありついた。しかし、何処行ってもしっくりいかず、長居することはなかった。
 中国中、官職を求め、転々と渡り歩いたが、何処へ行っても認められることなく、歳を取るばかりであった。純真と情熱、尊大と傲慢、卑屈と屈辱、流浪と酒の彩(あや)なす十七年間のさすらいの遊子(ゆうし)であった。
   
     帰ってきても生活の手だてはなく
     我が人生はまろびゆく「蓬(ほう)」の如き

 と、自ら詠っている。蓬は野路菊(のじぎく)のように可憐な花であるが、晩秋になると、花が落ち、葉が落ち、根が抜け、枯れ果て、枝だけが風に飛ばされ、大陸の荒野をあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、あてどもなく転がり、さまよう根無し草であった。彼の詩はそんな逆境の人生において、花開いたのである。

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 念願の官吏に採用されたのは、故郷を出て十七年間の遍歴の後のことであった。遂に、玄宗(げんそう)皇帝直々に招かれ、翰林供奉(かんりんくぶ)の職に就いた。李白四十二歳の秋のことであった。玄宗は宮殿を降り、李白を宮城の入口で出迎えた。
「巨匠、待っていたぞ」
「俺を召集するのが少々遅過ぎたようだが、さすが天子は名君だ」
 彼は俄然鼻息が荒くなり、意気軒昆(いきかんこん)と有頂天になって天下、国家を語った。
「国のため、民のため政(まつりごと)を奏(そう)すぞ」
 その情熱と傲慢、その理想と反骨、その純粋と傍若無人は、他の官吏達に受け入れ難く、強烈な個性は官吏には向いていなかった。
 翰林供奉の職は文化人に対する名誉職のようなもので、毎日、宮殿に出廷して仕事をしなければならないわけではなかった。宴会や、天子の行幸(みゆき)に随行し、詩を詠う程度の職であった。

「李白殿、天子様からのお呼び出しです。直ぐに興慶宮(こうけいきゅう)に出廷して下さい」
 と、玄宗皇帝の使いの者が、馬から飛び降り息せき切って呼びに来た。
 李白は例によって、昼間から好きな銘酒「大春(だいしゅん)」を飲んで酩酊していた。
「李白様、天子様がお呼びですよ」
 酔っぱらって、寝てしまった李白の肩を揺すった。酒場の波斯(ペルシャ)美人の女将がうろたえた。
「天子がどうした。女、子供騒ぐな」
「李白様、しっかりして下さい。起きて下さい。どうしよう・・・」
「人生、百歳に至ることは稀れなり。あわててどうする」
 夜光杯になみなみと酒を注ぎながら言った。
この情景をもう一人の大詩人、杜甫(とほ)が詠った。
   
  李白は一斗(いっと) 詩百編(ひゃっぺん)
―李白は酒一斗呑めば 詩百編詠う―
  長安市上(ちょうあんしじょう)酒家(しゅか)に眠る
―長安市中の 居酒屋で酔つぶれ―
  天子、呼び来たれども、船に上(のぼ)らず
―天子からお呼びがあっても 舟に上がろうとせず―
  自ら称す 臣(しん)は是れ酒中の仙と
―自ら称す 我は酒の仙人であると―

 酔いつぶれながらも、飲み屋の裏から船に乗せられ李白は、宮殿にあがった。天子のいる興慶宮(こうけいきゅう)の内裏(だいり)にふらつきながらあがろうとして、側近の宦官高力士に止められた。
「ここは天子様の内裏ですぞ。靴をお脱ぎ下さい」
 李白はそこにどかっと座り込み、酔っぱらった勢いで言った。
「お前は誰だ」
 おつきの者が答えた。
「恐れ多くも高力士将軍様です」
 宦官高力士は帝の寵愛を一身に受ける、今をときめく、玄宗皇帝の一番の側近である。そのことは皆が知っていた。
「なに、高力士か、おい、高力士、我の靴を脱がせろ」
 高力士は激怒した。しかし、天子の面前ゆえ我慢した。
「名のしれた大詩人とは言え、ただの布衣(ふい)の輩(やから)、生意気だ」
 と、腹の中は煮えくり返ったが、言った。
「畏(かしこ)まりました」
「この世は上にへつらい、下におごるやつらばかりだ」
 と、李白は豪語した。
「飲んだくれが」
 この事件以来、高力士と李白は犬猿の仲になった。
「酔った上でのことで大変失礼した」
 などと、李白は一言も謝ることがなかった。

 興慶宮は玄宗が皇位についた二年後、七一四年(開元二年中国)造営された。玄宗はこの宮殿をこよなく愛し、開元の治の政は、ここを中心に繰り広げられた。宮殿の南の庭園には「竜池(りゅうち)」が満々と水をたたえていた。池の辺に、「沈香亭(じんこうてい)」があった。南国から、わざわざ取り寄せた香木(こうぼく)沈香(じんこう)で造られた美しい亭であった。ここは玄宗と楊貴妃(ようきひ)の長安における愛の住みかでもあった。
 春たけなわのある日、楊貴妃は玄宗皇帝に媚(こ)びるように寄り添って言った。
「牡丹の花があまりにも美しいわ、天子様、百官を招き花の宴(うたげ)を開きましょうよ」
「おお、春爛漫、時もよし。そうしよう」
 皇族、貴族、文武百官、文人墨客(ぶんじんぼっかく)、僧侶が沈香亭(じんこうてい)に招かれた。百官の高級官僚が衣冠束帯(いかんそくたい)に威儀を正し、御前に控えた。宮殿の周りには天幕が張られ、千人の儀仗兵(ぎじょうへい)が赤い制服に黒の冠をつけ、黒の帯を締め、天子の御旗(みはた)を掲げて整列をした。太鼓と鐘の音が鳴り渡った。
「天子様、貴妃様のおなり・・・」
 今まで、騒然としていた皆が静まり、先ず、ひざまずいて頭を下げ、立ち上がってまた頭を下げた。李白は、玄宗皇帝の治世を称(たた)え、楊貴妃の美貌を歌った七言絶句(しちごんぜっく)「清平調詞(せいへいちょうし)」三部作を捧(ささ)げた。玄宗は「梨園の弟子(りえんのでし)(皇帝の音楽隊)」に命じ、これを演奏し、歌手、李亀年(りきねん)に歌わせ、自らも笛を吹いて伴奏した。庭園には唐草文様の絨毯(じゅうたん)が敷かれ、波斯(ペルシャ)の胡姫(こき)が胡旋舞(こせんぶ)(西域の舞)を踊った。大曲(たいきょく)(オーケストラ)の楽団が九部(くぶ)(西域地方を含む九種類の音楽)を奏でた。剣と五色の羽衣(はごろも)が春風に光り、激しく舞い上がった。
「天子様は皇帝になっていなければ、希代の芸術家になっていたでしょうね。詩歌、管弦、舞踏にこれだけ造詣が深い皇帝は、いまだかって聞いたことがない」
 と、宮廷では噂されていた。
posted by いきがいcc at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 19.酒中の仙 李白
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