2011年11月21日

連載(18)

IMG_2096_1_1.jpg  (連載18)

 遣唐使一行は長期留学生を残して、七三四年(日本 天平六年)十一月、四隻揃って、蘇州より帰国の途についた。
 通常、前回の遣唐使で唐に渡来した長期留学生達は、次回の遣唐使で帰国するのが慣わしであった。また、遣唐使の派遣は国家における大事業で、多大な費用と危険が伴うため、二十年に一度が精一杯であり、必ずしも、二十年毎にきちっと派遣するわけではなかった。従って長期留学生の滞在期間はざっと二十年前後であった。
 仲麻呂、真備(まきび)、玄ム(げんぼう)三人は今回の遣唐使で帰国することにしていた。
「朝衡(ちょうこう)、貴殿は名誉ある進士に及第し、大唐国の官吏として今、勤めてもらっている。まさか、この度の遣唐使と共に日本に帰るのではないだろうな。貴殿の左補闕(さほけつ)としての働きは、極めて優れている。このまま続けて朕の側近として大唐国に残ってくれ」
「ありがたきお言葉、喜んで引き続きお仕え申し上げます。日本へ帰るつもりなど毛頭ございません」
 大唐国の天子に、直々にそこまで言われたら、とても帰国など出来るものではなかった。
 帰国出来ると喜んでいたのは、三人の留学生だけではなかった。阿倍仲麻呂の{従(けんじゅう)として、唐まで付き添ってきた家臣の羽栗吉麻呂(はぐりのよしまろ)も十七年振りに故国の土を踏めると喜びで、気が舞い上がっていた。
「私は天子様の命令につき唐に残らなければならなくなったが、羽栗殿、貴殿は帰国するがよい」
 と、仲麻呂は言った。
「いえ、仲麻呂殿が唐に残るのであれば、私ももちろん{従として残ります」
 と、直ちに落胆の顔をうち消し答えた。
「もう{従の仕事は十分果たしてくれた。家族をつれて日本に帰りなさい。今、帰らなければ、二十年後になってしまう」
 自分自身に言い聞かせるかのように言った。
「そうだ、唐の女性を日本に連れていくことは、法で禁止されている。一度、高力士殿とよい手だてがないかどうか相談し、頼んででみよう。妻女も子供もつれて家族皆で帰るのが一番よい。尼僧にでも化けさせて行ったらよいのではないか」
「主人を置いて、自分達だけ帰るわけにはいきません」
「吉麻呂殿。もう十七年間も仕えてくれたのだ。優秀な二人の息子も年頃だ、連れて帰り、日本で学ばせなさい。日唐両国の言葉、文化を理解できる人は貴重だから、また唐に来てもらおう。二人に付けてあげた名前、翼(つばさ)と翔(かける)は天空を翼で翔めぐり、日唐両国友好の架け橋になることを祈願しているのだ。大きなよい名前だ」
 名付け親の仲麻呂が自画自賛し、納得したように言った。吉麻呂は涙をこらえることが出来なかった。翼十六歳、翔十四歳の時であった。
 吉備真備と僧玄ムは帰国の準備で忙しかった。十七年間学んだ研鑽の集大成として持って帰りたい物があまりにも多く、その準備で殺気立っていた。
 二人は金目のものは全て売り払って、本を買い漁った。彼等の部屋は本の山で足の置き場もないほどであった。
「持って帰りたい本が山ほどある」
 真備は『唐礼(とうれい)』、『漢書(かんじょ)』を初めとして兵法、天文学、音楽に至るまで百五十三巻の貴重な書物を持って帰った。
「技術の先端を行く、弓、矢、鎧(よろい)等の新兵器も持って帰りたい」
「俺は五十巻の経典を持って帰るぞ。船は沈まんだろうな。仏像も仏画も持って帰りたい」
 生死を共に十七年間過ごしてきた仲間を見送る阿倍仲麻呂は、孤独と焦燥にさいなまれて、望郷の思いを詠った。忠と孝の狭間を揺れ動く壮年の心境を詠っていた。

       帰国定何年(きこくはさだめていつならん)
 
       義を慕って  名空(むな)しくあり 
       忠をいたせば 孝は全(すべ)からず 
       恩を報ずるに 日あるなし 
       帰国は定めて 何年(いつ)ならん

 日本は中国の儒教の影響を強く受けた。しかしどういう訳か、その後の長い歴史にあって、中国人は孝を第一とし、日本人は忠を第一とした。

 揃って、蘇州の港を出港し日本への帰国の途についた四隻の船は、お互いに二度と再会することはなかった。四艘それぞれ違った航路を歩むことになった。どの船が一番安全で、どれが一番危険か誰にもわからなかった。生きるか死ぬかは神の定めであった。

 第一船には大使多治比広成(たじひのひろなり)が乗っていた。この船に乗っていたのは真備、玄ム、そして羽栗一家四人であった。大海に出て三日目、嵐に遭った船は上海の南、現在の浙江省台州(せっこうしょうたいしゅう)辺りの海岸に吹き戻されて漂着した。しかし、再び出航し、種子島にたどり着き、紀州に到達した。翌年、十一月全員無事奈良に到着した。

 第二船には副使 中臣名代(なかとみのなしろ)が乗っていた。この船にはたくさんの異邦人が同船していた。インドの菩提仙那(ぼだいせんな)、林邑(りんのう)の僧仏哲(ぶってつ)達であった。船は南へと漂流し、インドシナまで流された。同船していた仏哲の取り計らいで、翌年の春、洛陽(らくよう)に戻ることが出来た。一行は唐の船に乗り換え、翌年の春七三六年(日本 天平八年)、無事日本に帰ることが出来た。
 
 第三船は判官平群広成(へぐりのひろなり)が指揮を取っていた。天涯孤独になった秦朝元は、当初唐に残るつもりだったが、第三船に乗っていた。第二船と同様強い南の季節風にどんどん南へと流された。
 数日後、右舷前方近くに島を発見(今の海南島)した。
「何とか接岸しよう。皆最後の力を振り絞れ」
 食糧も水も不足し、皆、力が入らなかった。言葉数も少なくなった。大鳥が数羽船のマストに止まった。
「アホウ鳥よ、その大きな翼に俺達を乗せて故国日本にとどけてくれ」
 秦朝元が叫んだ。
「風の吹くまま、潮の流れにまかせるよりしかたがない。水と食糧を節約しろ。
気を落とすな。数日後には、南の島に漂着する」
 平群広成は皆を元気づけた。
 しかし、遂に水夫が一人死亡した。続いてさらに二人、三人と逝った。
「判官様、このままでは病が蔓延し、皆死んでしまいます。どうしましょう?」
「うむ・・・」
  平群広成は遠くに浮かぶ海南島をじっと見つめたまましばらく沈黙していた。
「端舟(はしぶね)(救命ボート)を降ろせ。病の七人を乗せろ」
 平群広成は指示した。
「判官様、私たちを見殺しにしないで下さい。一緒に日本に帰りたい。どうか助けて下さい」
「お前達をあの島へ送る。島で病を治せ」
「せめて水を下さい」
「一人につき、水瓶と酒壺を一個づつ与えよ」
「必ず迎えに来て下さい。皆と一緒に日本に帰りたい」
「うむ」
 一升の水瓶と二合の酒壺は三日分の分け前であった。
 七人を乗せた二艘の端舟(はしぶね)は、行方も知れず大海の波間に消えた。皆黙ったままであった。平群広成は涙をこらえ心の中でつぶやいた。
「すまん。生きて還れるやつだけが生きて還るのだ」

 第四船は蘇州の港を出港してから全く音沙汰がなかった。おおかた漂流、難破し大海の藻屑と消えたのだろうと都では噂されていた。しかし、第四船も、また翌年の秋、五島列島に無事漂着した。発見した漁師が報告した。
「幽霊船だ。しかし生きている人もいる。阿鼻叫喚(あびきょうかん)まるで生き地獄のようだ」
 二、三十人の乗船者が泣き喚いた。
「助けてくれ、早く降ろしてくれ、水をくれ」
 第四船には判官 紀馬主(きのううまぬし)が乗っていた。彼は上座に正座し静かに言った。
「静まりなさい。この恐ろしい疫病を日本に持ち込む訳にはいかない。日本国を見ることが出来ただけでも幸せに思え。後は神に祈るのみだ」
 乗船者が喚いた。
「日本に着いたぞ。早く降ろしてくれ。水をくれ。飯をくれ」
 紀馬主が沈痛な眼差しで命令した。
「船を接岸してはならぬ」
 海からの悲鳴が夜毎に減っていき、そして全員が死亡した。この悲惨な事実は表沙汰にはされなかった。二十年振りに故国を目の前にして、故国の土を踏むことが出来ずに死んでいった人々の無念と苦渋は想像に絶する。
「紀馬主殿。すまぬ」
 代官はただ手を合わせて神に祈るばかりであった。
 紀馬主率いる幽霊船の恐ろしい物語を伝える生存者はいなかった。この事件は闇から闇へと葬られ史実には残っていない。幽霊船は風雨に朽ち果てるまで五島列島の沖に長い間浮かんでいた。紀馬主は上座に正座したまま、日本国を見つめ地蔵のように死んでいた。寄せては返す波の音から幽霊船の悲痛な叫びが何時までも聞こえるようだ。

 遣唐使が日本に持って帰った物全てが価値のある物ばかりではなかった。これが悪性の疫病であった。今の天然痘であろう。あっと言う間に太宰府から日本全国に蔓延した。日本には過去経験がなく、治す薬もなかった。神仏に拝む以外、道がなかった。疫病は遂に都に入り込み、猛威を振るった。藤原不比等の四人の息子が立て続けにバタバタと死んだ。前回の遣唐使押使として無事役目を果たした多治比県守(たじひのあがたもり)も犠牲になった。
 
 さて、第三船の平群広成のその後はどうなったのであろうか?彼は五つの国を訪れ、六つの海を渡り、一万里(4万キロ)に及ぶ漂流の旅の末、奇跡的に北の海から日本に生還したのだった。平群広成の大冒険旅行記が残っていたら、三蔵法師の『大唐西域記』やマルコホーロの『東方見聞録』と同様世間で高く評価され、多くの人に読み伝えられたであろう。
posted by いきがいcc at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 18.七年間の漂流の旅
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