2011年11月09日

連載(8)

rensai8.jpg  (連載 8)

「玉蘭、子供は男でも女でもよいぞ」
「ありがとう」
 生まれた子は男であった。本心は男を強く望んでいた比羅夫は喜んだ。
自分が唐で学んだことを日本に持って帰ることが難しいと考えるようになっていた比羅夫は、自分の息子におのれの意思を託したいと考えていた。
「瞳が清らかだなあ。玉蘭」
 比羅夫はうれしそうに言った。
「人間は皆、生まれる時、神の子であり、そして死ぬ時、神の子に還るのだ」
 と、彼は赤ん坊を見つめながら、独り言をつぶやいた。
「人間は皆、何も持たずに生まれてくる、そして何も持たずに死んでいくのよ」
 と、玉蘭が相づちを打ちながら答えた。
 しかしながら、子供が産まれて一年経ったころ、両親は赤ん坊が生まれながらの聾唖者(ろうあしゃ)であることに気が付いた。
「このようなことになるとは、本当にすみません」
 心の強い玉蘭が涙ながらに比羅夫に謝った。幸せの絶頂から不幸のどん底に落とされた。罪のない赤ん坊の将来を考えると、気性の強い玉蘭でも悲しみがこみ上げて、どうしようもなく涙を抑えることが出来なかった。
「謝ることはない。神が与えてくれた定めだよ。耳が聞こえず、口が喋れずとも、あの綺麗な瞳を持っているではないか」
 比羅夫は玉蘭を慰め、自分にも言い聞かせた。玉蘭は黙ってうなずいた。親子三人の愛の深さは、子供が聾唖者であることを忘れさせてしまった。また、幸せな生活の日々が始まった。
「ただ耳が聞こえず、喋れないだけじゃないか。明るく元気だ」
子には庭の美しい一本の楓の木にちなんで、楓麻呂(かえでまろ)と名付けていた。
「楓麻呂か、いい名前だ」

 日も短くなった晩秋のころであった。
「二、三日前からうさん臭い男達が家の周りをうろうろしているが、知っているか」
「いいえ、ちっとも知りませんでした」
「皆ならず者だが、腕の立ちそうなやつは一人もいない。俺がついているので何も心配することはない。まさか、二十年も前のお前の素性を知っているとは思わないが」
「そういえば近頃、則天武后(さくてんぶこう)が数百人の隠密を雇い、少しでも逆らったり、謀反を起こしそうな者があれば、片っ端から密告するように命令しているらしいですよ。恐ろしいわね」
「武后は権力の座を手に入れ、それを維持するため今まで何百人の人を虐殺してきたらしいな」
 武后は常に人を信じず、猜疑心(さいぎしん)が強く、不安におびえていた。取り締まりは益々厳しくなった。無頼(ぶらい)の輩(やから)による密告が横行し、恐怖政治が始まった。無実の罪で多くの人が拷問にかけられ虐殺された。
 二人の家の周りをうろついていたのは、来俊臣(らいしゅんしん)の配下の者であった。来俊臣はもと賭博(とばく)のやくざであったが、謀反者取締の親玉として則天武后の信任を得、手先となって働いていた。彼は武后から反逆者の一覧を貰っていた。そこには反逆者名が重要度別に明記されていた。
「大物を捕まえれば、昇進も早く、恩賞も高いぞ」
 来俊臣が仲間に言った。玉蘭の名前は執念深くまだ最重要の反逆者リストに乗っていた。
 比羅夫は数日間、彼らの行動を観察し、人数は三人であることを確かめた。彼らのたまり場である酒場も突き止めた。松葉杖で歩く片足の彼は、目立つので尾行することは難しかったが、酒場の片隅で酒を飲みながら彼らの様子を観察することは出来た。
「温洛坊(おんらくぼう)の小さな一軒家にいる一家は何ものだ。怪しいぞ」
 と、背の低い小太りの男が言った。
 比羅夫はドキリとした。
「男は片足だな。女と子供もいるぞ。男も女も過去を誰も知らず怪しい」
 背の高い碧眼(へきがん)の赤ら顔の胡人(こじん)が言った。
「辺りの者に探りを入れてみたが、誰も知らない。何をしているのかよくわからぬ。男はよそ者だ。どうだ一度しょっ引いて、泥を吐かせようか。以外と大物をしとめることになるかもわからんぞ」
「今夜はやけに冷えるな。クーニャン、酒だ、酒がないぞ。おい、早く酒を持ってこい」
 と、目の鋭いひげ面で一番年長の頭風(かしらふう)の男が言った。役人風を吹かせ、酒代を一度たりとも払ったことのない無頼漢達であった。
「よし、上元節(じょうげんせつ)(一月中旬の節句)が終わり次第、踏み込むことにしよう。ことによったら大物で、恩賞がしこたま入るかも知れないぞ」
 比羅夫と玉蘭は過去のある身である。過去を暴かれて密告でもされたら一貫の終わりだ。比羅夫は考えた。
「危機一発だったな。先手必勝だ、三人まとめて闇から闇へ葬るよりしょうがないな」
 
 唐代は治安維持のため、日暮れと共に城門は閉められる。城内の坊門(ぼうもん)、市門(いちもん)も閉められる。これを「夜行の禁(やこうのきん)」と、言って夜の外出、通行は禁止されていた。日の出と共に太鼓が打ち鳴らされて全ての門が開かれ、日没と共にまた全ての門が閉じられる。この太鼓の合図は「暁鼓(ぎょうこ)」、「暮鼓(ぼこ)」と呼ばれていた。毎日、日暮れには八百回太鼓を打って門を閉じ、夜明けには三千回太鼓を打ち門を開けた。『新唐書(しんとうしょ)』にその様子が書かれている。

―日暮るれば、鼓(こ)八百声にして門閉(もんと)づ… 五更二点(ごこうにてん)(未明)鼓(こ)、内(うち)(宮城の承天門)より発(おこ)り、諸々(しょしょ)のがいこ街鼓、承(う)けて振るえば、坊・市の門は皆な啓(ひら)く。鼓三千打てば、色べん弁じて(明るくなって物が識別できる)止む―

 この法を破ると「犯夜(はんや)」と呼ばれ鞭打ちの刑に処せられた。この夜行の禁が解かれるのは一年に一度、正月十五、十六、十七日の上元節(じょうげんせつ)の時だけである。上元節には街中に灯籠(とうろう)が飾り付けられ、人々は飲み明かし、踊り明かした。男女が肌を触れ合い解放される、一年で唯一の日を、皆、楽しみにしていた。
「上元節しか、ないな」
闇から闇に葬るには、この祭りの時機を逸してはならないと、比羅夫は決断した。
 上元節最後の夜も大分更けてきた。三人のごろつきは相変わらず、行きつけの酒場で飲んだくれていた。祭りが三日三晩続き、正月以来の遊び疲れでさすがに疲労の色を滲ませていた。
 比羅夫と酒場の主は打ち合わせ済みであった。
「お役人様。今夜はお祭りの最後の晩です。もう一本おつけしますよ。どんどんやって下さいまし」
主人は三人にしこたま飲ませた。
「おお、よう飲んだ。おやじ今晩はえらい気前がいいじゃねえか。どういう風の吹きまわしだ」
「はい、お祭りですから。それから酔いざましに舟を用意していますので、最後の灯籠見物はどうですか」
「気が利くな。おい、舟で灯籠見物もいいじゃねえか」
 髭面の頭風の男が立ち上がって仲間に言った。三人ともかなり酩酊して足がふらついていた。
 このあたりは洛陽一の賑やかな船着場で港に出入りする商人達で賑わう繁華街であった。胡人の酒場の高く掲げた酒旗(のれん)が風にはためき、胡楽(こがく)の調べが夕闇迫る水辺に流れていた。多くの小さな運河が入り組んでおり、洛水につながっていた。
 三人のごろつきのたまり場であった酒場は、帰義坊(きぎぼう)の一角にあり、裏からすぐ舟に乗ることが出来た。三人のため一隻の舟が用意されており、船頭が一人舵を持って待っていた。船頭は洛水へと漕ぎ出し、黙って、三人の前に酒とさかな肴を出した。
「おい、船頭、方向が違うぞ、反対だ、天津橋の方に行け。こっちは灯籠が少ないんだ」
 しかし、船頭はそれを無視して川下の方へと、どんどん進んでいった。
「おい、聞こえねのか。反対だ」
「罪のない人間を陥れ、悪事の数々を働くお前らを葬るには暗闇がおあつらえむきだ」
 船頭は船底にへばりつくようにかがんだまま、うそぶいた。大きな黒蜘蛛が船底にへばりついているようなその姿には、一分の隙もなかった。すご腕の元大将はひもを結わえ付けて舟から河に流していた松葉杖を、音もなく手元にスルスルとたぐり寄せて、身構えた。
「てめえは誰だ」
「温洛坊の住人よ」
「なんだと、このやろう」
 と、三人は舟の中で立ち上がったが、足もとはふらつき、よろけていた。船頭は素早く松葉杖を握って思い切り反動をつけ、左右から水平に拍子木(ひょうしぎ)を叩くように振り回した。舟が大きく揺れた。
 ギャフン。グシャ。
外側の二人の男は足のすねを折られた。踊りかかってきた真ん中の男を櫂(かい)の先で、素速く突き返した。三人がひるんだ次の瞬間、スックと立ち上がり、松葉杖を大上段に振りかざし、頭上から垂直に力まかせに振り下ろした。
エイッ。
二人の頭蓋骨が割れた。櫂の棒で突かれてひっくり返っている男も二振り目の松葉杖で撲殺した。無頼の輩は比羅夫の敵ではなかった。比羅夫は三人の遺体を洛水に放り込んだ。
 ドボン、ドボン、ドボン。
 宵闇(よいやみ)せまる静かな洛水に、三回音がした後、もとの静寂に戻った。水面を通り抜ける夜風がやけに冷たかった。
 灯籠で飾り付けられた天津橋が闇夜に浮かび上がり、天津橋の後ろの高台には上陽宮(じょうようきゅう)が聳えていた。上陽宮は高宗によって建てられた真っ赤な離宮で、その高さ百五十尺(五十メートル)を超える新築の高殿(たかどの)は無数の色とりどりの灯火(とうか)と珠玉(しゅぎょく)によって飾り付けられ、燈楼が浮き上がって見えた。
 美しい装束をまとった貴公子や若い女官たちが手をつなぎ、足を踏みならし、歌を歌い三日三晩熱狂した。その「踏歌(とうか)」の宴もすでに終わっていた。
 宮城の含元殿(がんげんでん)には、火樹(かじゅ)をくわえた青龍(せいりゅう)と蓮花(れんか)を踏む鳳凰(ほうおう)が夜空に描かれていた。
   
龍は火樹(かじゅ)をふくむ千燈(せんとう)の焔(ほのお)
鶏(とり)は蓮花(れんか)を踏む万歳(ばんさい)の春

 この時ばかりは、金吾衛(きんごえ)(警備の門番)の兵士達も、城門を開いて警備を解き、酒を飲んで灯籠見物に興じていた。
 上元節の後、比羅夫と玉蘭の家の周りをごろつきがうろつくことはなくなった。
posted by いきがいcc at 19:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 8.比羅夫と玉蘭
この記事へのコメント
次に1種の簡便なことを紹介して方法を積み卸しします。このような方法を掌握して、大いにこのようなスーパーコピー時計の地震に備えるリードのを積み卸ししてあるいは損傷をなくすことを減らすことができます。具体的な方法は次の通りです:すでにでしょう先細の柳の木の串の先端のカットオフの1段、そのエンド部を1つの丸い平面にならせて、丸い平面の直径は少し受石の直径より大きいべきです。
アンチ・ショックのリードを下ろす時円平をアンチ・ショックのリードの上でおさえることができて、そして回転する柳の木の串。丸い平面とアンチ・ショックのリードの摩擦に頼って(寄りかかって)、地震に備えるリードを動かして回転します。回してスーパーコピー時計の地震に備えるリードの1つの爪まで(へ)緩衝台の溝の欠けた所の時を合わせて、アンチ・ショックのリードのこの爪はできて欠けた所の中から跳び出します。それから再び同様な方法地震に備えるリードの残りの爪のバックアウトのを使います。
Posted by スーパーコピー時計 at 2013年11月02日 10:28
今のかばん界の流行っている組み合わせ自由の方法、かばんは材料設計の中で伝統の観念を突破することができて、異なる材料を組み合わせます。装飾は増加して魅力の重要な手段の中の一つを包むので、ブランドコピーはいつも普通なかばんを突いてと新しい活力を煥発しだすことを使用することができて、特に女性が包む中で体現しているのがもっと明らかです。
Posted by ブランドコピー at 2013年11月08日 15:27
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