2011年11月08日

連載(4)

gyokuran.jpg   (連載 4)

 高宗はかわいい武照(ぶしょう)の愛の虜となった。武照は生まれながらに、男を虜にする魔性を持っていた。額は広く、あごも多少はっており、切れ長の目が美しく、知性的な絶世の美人であると同時に、愛らしい男を惹(ひ)きつける官能的な美しさを兼ね備えていた。彼女はこの降って湧いたチャンスを逃すまいと必死である。
彼女こそ中国唯一の女帝、則天武后(そくてんぶこう)その人であった。
 武照はすぐに昭儀(しょうぎ)の高位についた。
「武照様ご立派になられましたね」
 昔からの侍女、小喜(しょうき)がうれしそうに言った。
「昭儀は後宮九嬪(きゅうひん)(後宮の九つの位)の中で最高の位だわ。しかし、その上に淑妃(しゅくひ)、徳妃(とくひ)、賢妃(けんぴ)の三夫人、更に上に貴妃(きひ)、皇后がいるのよ」
  武昭儀は高宗の寵愛を武器に、多くの権力者に取り入り、また自分に反対する者は巧みに陥(おとしい)れ、一歩一歩権力の座へと登っていった。遂に、恐れ多くも皇后の地位を奪おうとの、大それた女の欲望を持つようになった。
 武昭儀といえども、前皇帝の愛人で身分も低い身では、そう簡単に皇后の地位を得ることは出来なかった。また世間もそう簡単には許さなかった。
「妾(わらわ)は皇后になる」
 武昭儀はうそぶいた。権力と虚栄に執着する女の性(さが)は非情にも手段を選ばなかった。

 六五五年(日本 斉明元年)、三年前すでに男子を生んでいた武昭儀は、高宗の女子を生んだ。王皇后は武昭儀の恐ろしさに気が付きだしていた。自分が落ち目になりつつあることに心中穏やかではなく、嫉妬と憎悪の念に駆られていた。しかしながら、高宗に女子が誕生したことを祝い、侍女・玉蘭(ぎょくらん)を連れて、武昭儀の局(つぼね)に赤ん坊を見舞いに行った。事前に連絡しておいたが、武昭儀は部屋にいなかった。
「訪れることを連絡しておきましたのに、武昭儀はいませんね」
 と、武昭儀の侍女・小喜(しょうき)に嫌みを言った。
「失礼ながら、急に天子様からお呼びがあり、参上されました」
 と、小喜は下を向いたままとぼけた。
「一寸、赤ん坊を抱いてもよろしいか」
「どうぞ、皇后様」
 と、侍女はうつむいたまま答え、ニヤリと笑った。
「玉蘭、赤ん坊はかわいい。天子様に似てるのかね」
 皇后は、その母親とはかかわりなく、赤ん坊はかわいいと思った。
 玉蘭は赤ん坊の顔をのぞき込み、ギクリとした。
「あら、これは、違う。替え玉だ・・・大きい」
 と、心の中で叫んだ。女の勘である。
 王皇后と玉蘭が部屋を出ていった後で、小喜は武昭儀の命令に従い、直ちに行動を起こした。水を含んだ布で、赤ん坊の鼻と口を塞(ふさ)ぎ窒息死させたのだ。やがて、武昭儀が高宗を伴って部屋に入ってきた。武昭儀はふとんをめくって赤ん坊を抱き上げ、高宗に抱かせようとした。
「天子様、どうぞ抱いて下さい。かわいいですよ」
 その瞬間、絶叫した。
「これはなんと、冷たいわ、死んでいる」
 武昭儀が泣き叫んだ。
「死んでいるではないか、お前は、お前は一体何をしていたのか」
 と、気が狂ったようにわめき、侍女の小喜を問いつめた。
「申し訳ありません。申し訳ありません」
 と、侍女は震えて泣きながら、ひれ伏すばかりであった。
「泣いてばかりいてはわからないではないか」
「先ほど、皇后様がお見えになった時は、お元気であったはずですが」
「お前も一緒にいたであろう」
「赤ん坊が泣きやまないので乳を飲みたいのではないかと思い、乳母を探しにいき、いま戻ってきたばかりです。申し訳ありません」
 女二人の命がけの名演技であった。

「これは罠(わな)だわ。恐ろしい」
 玉蘭は罠にはまったことに、すぐ気が付いた。
 高宗の皇后に対する愛情はすでに冷え切って、皇后と武昭儀に確執があることは世間の皆が知っていた。
「いくらなんでも、自分の産んだ赤ん坊を殺すはずがないわ」
 と、女官達がささやいた。赤ん坊を殺した疑いは、子供の出来ない皇后にかかった。
 その後の調べで、武昭儀の部屋から皇后の紋の入った布きれが発見された。王皇后は武昭儀とその侍女の罠にはまった。女の恐ろしさに女は身震いした。
「神仏に誓って、皇后様は赤ん坊を殺してなどいません。私は、常に皇后様のお近くにお供していました」
 皇后の侍女・玉蘭は調べに対して頑として言い張った。
 しかし、赤ん坊が替え玉にすり替えられていたこと、罠にはまったことついては口を閉ざして、何も話さなかった。
 高宗は、嬰児殺しの犯人は、皇后であるとすっかり信じてしまった。
「皇后には子ができず妬(ねた)んだのであろうが。殺さなんでもよいものを、哀れで愚かな女よ」
 この事件の起きる一年前、王皇后の最大の後ろ盾であった叔父の宰相は、武昭儀派により失脚させられていた。また、太宗時代の名臣で軟弱な高宗のため後見役を頼まれた重鎮達で、武昭儀の皇后冊立(さつりつ)に反対していた王皇后擁護派は、皆、次々に左遷され失脚していた。
「あれは罠だ。武昭儀の陰謀だ」
 と、知っていても、かばってくれる人はもう誰もいなかった。
「妾の浅智恵であった。自業自得だ」
 と、皇后王氏は今になって後悔した。

「お前も見て知っての通り、残念ながら、武昭儀の謀略、陰謀はもはや手が付けられない。恐ろしいことよ。皇帝の愛はもはや私から離れてしまい、皇后の座を奪われるのも時間の問題だわ。お前とは皇太子妃時代からの長いつき合いであったけれど、落ち目の人間には冷たいのが人の世の常。皆、私の下を去っていった」
 ある朝、王皇后は侍女、玉蘭(ぎょくらん)を呼んで言い聞かせた。
「玉蘭、お前は武昭儀派からの脅しや、賄賂に屈することなく、今日まで命をも顧みず、皇后は嬰児殺しなど断じてしていないと、毅然と私をかばってくれた。心の底から感謝しています、ありがとう。しかし、悔しいことだが、もはやお前を守り通すことすら私には出来なくなった」
 皇后は涙ぐんで言った後、手招きし小声で言った。
「皇后様、女である私が、女ほど恐ろしものはないと悟りました」
「ここに金(きん)を用意してあります。明朝夜明けと共に春明門(しゅんめいもん)に行くと、男が待っています。彼と共に洛陽の秦懐玉(しんかいぎょく)の館を尋ねなさい。誰にも話さず、誰にも気づかれず、必ず明朝、長安の都を離れ、当分の間、秦懐玉のもとで身を隠していなさい。彼は信頼のおける人だから、安心してよいわ。玉蘭、あなたはまだ若いのだから幸せを掴んで」
「王皇后様・・・。ありがとうございます」
 玉蘭は何といっていいかわからなかった。
「それから、これは昔、愛の証に皇帝からいただいた唐王朝に伝わる希代の秘宝よ。もう私には無用の物だけど、武昭儀にだけは死んでも渡したくないわ。持っていきなさい。じゃあ、さようなら。」
 玉蘭は皇后の瞳を見つめ、両手を握りしめた。これが最後の別れになるだろうと思うと、過ぎし日の幸せな宮廷生活を思い浮かべて涙がこみ上げ、何も喋ることが出来なかった。金は一生生活するのに困らない量であった。
「本当にお世話になりました。お元気で、さようなら」

 玉蘭は王皇后と別れると、直ちに男を尋ねて、言った。
「馬一頭ご用意いただければよい。牛車はいらないわ。荷物は二個だけで、調度品、着物、装飾品等は全ておいていきます」
 玉蘭は皇后からもらった砂金と秘宝以外は、全ておいていくつもりにしていた。
「荷物をたくさん牛車に積んで、ゆっくり出かける余裕などないの」
「かしこまりました。明朝夜明け、馬を用意して開門と同時に、春明門前でお待ちします」
がっしりとした男が答えた。
タグ:玉蘭
posted by いきがいcc at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 4.女帝則天武后の陰謀
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