2011年11月08日

連載(2)

no2.jpg (連載 2)         

 唐軍が黄河沿いに進み、洛陽に到着したのは、秋も、もう終わりの頃であった。秋の日暮れは短く、大河を吹き抜ける風に河岸の乾いた柳がかすかに揺れていた。河と空はすべて、靄(もや)の中に包まれ対岸も東も西も茜色(あかねいろ)に染まっていた。
 一片 (ひとひら)の夕焼け雲が落日の陽をうけて、黄金色に輝いていた。遙か遠くに連なる黄昏(たそがれ)の黄河は、雲間に消えていた。洛陽は華麗なる水の都であった。東西南北約六―七キロ四方の城壁に囲まれた、長安の半分ほどの美しい都城であった。一行は東北の半円型の上東門(じょうとうもん)より城内へ入って行った。
「これが洛陽城か。すごいものだな」
 老兵は松葉杖にほおづえをし、ため息をつき、ほっとしてつぶやいた。
「奴隷ども、整列をして並べ」
 唐の分隊長が命令した。
「日本(やまと)の大将、お前は誰だ、名を名乗れ、」
 宰相(さいしょう)に従って、閲兵していた司刑少卿(しけいしょうけい)の周興(しゅうこう)が怒鳴った。命を惜しんで、恥をさらしてなぜここまで生き延びてきたのかと、なじられているようであった。
 老兵の長く伸びきった髪は、白髪混じりであった。眼孔は落ち込み、両頬はそげ落ちていた。老兵には見えるが、実際の年は四十を一寸越えたところであった。ただ、ギョロっとした眼光には、捕虜の打ちひしがれた影は微塵(みじん)もなかった。松葉杖をつかむ両腕と厚い胸には、たくましさがまだみなぎっていた。
「我は今、将校にあらず、蓬莱の彼方から迷い込んだ一老兵である。貴殿に今更、名を名乗る程の者ではないわ・・・」
 敗戦の将が言った。
「だまれ、だまれ」
「唐国は天下一の大国だ。我が日本は足下にも及ばない。こんな大国とよくも戦争したもんだ。命のある限り貴国から多くを学び、故国に持って帰りたいものだ。ハッハッハッ」
 老兵は続けて喋った。長身の赤銅色の精悍な顔で、周興を見下ろした。まるで捕虜であることが嘘のように、生き生きと力強く見えた。
 軍隊、武器、兵法、仏教、寺院、都市、宮殿、運河、長城など見る物、聞く物全てが彼にとっては驚異であった。唐は当時、世界最先端をいく文明国家であり、日本は野蛮国、東夷(とうい)と呼ばれていた小国であった。
「わからんのか名を名乗れ、さもなくばこの場で首をたたき斬るぞ」
 周興は軽くあしらわれたと思いこみ、憤りまた偉そうに怒鳴った。
 日本の老兵は厚い胸をグット前に張って、微動だにせず答えた。
「我が身はすでに貴殿の下にある。斬りたければいつでも好きなときに斬り捨てなされ。覚悟はとうにできておるわ・・・。ここまで恥を忍んで生きながらえてきたのだ、せめて冥土の土産に長安見物ぐらいさせて欲しいものだ。ハッハッハッ」
 相手を威圧する大声で喋った。その乾いた声は洛陽の街に朗々(ろうろう)と響き渡った。
「こやつ。なにを」
 と、かすれ声をあげながら周興は興奮して、老兵の足を蹴り上げた。重い松葉杖が空(くう)に舞い、そして落下し大地に埋もれた。片足の老兵は、バサッと倒れた。黄土(おうど)の砂塵がパッと舞い上がった。司刑少卿は震えながら、抜刀した。老兵はゆっくりと、立ち上がった。そして深い晩秋の天空をジッと見つめていた。細かい黄塵(こうじん)が老兵の回りにモウモウと立ちこめて、何時までも消えることがなかった。元部下の捕虜たちが、大将の回りを取り囲んだ。辺りは騒然とした。
「大将、大丈夫ですか」
 副将が駆けよって、土にめり込んだ松葉杖を取り上げ、大将阿倍比羅夫(あべのひらふ)に渡した。
「おお、すまぬ」
 老兵は落ち着いてうなずき、松葉杖を受け取った。
「敗戦の将とはいえ片足の大将を蹴り上げるとは、貴様(きさま)、恥ずかしくないのか」
 副将が大声でなじった。
「奴隷の分際で、なにをほざくか」
「軍人の風上にもおけぬ野郎だ。両足のある俺を蹴り倒して見ろ」
「何を」
 副将はものすごい剣幕で、抜刀している周興の前に、素手でツカツカと立ちはだかった。小柄の副将が大きく見えた。
「奴隷ども騒ぐな元の位置に戻れ。周興、刀を納めよ。片足の老いぼれでは奴隷としても役には立たぬわ。雨露を凌(しの)ぐ住みかを与え、捨ておけ」
 間髪を入れず、宰相(さいしょう)狄仁傑(てきじんけつ)が鋭く大声で命令した。
「蛮国東夷(ばんこくとうい)の敗戦の兵とはいえ、さすが大将だ。今の唐国にあれだけの大物の武将が何人いるだろうか。二人とも殺すにはしのびないわ。大した野郎だ」
 心の中で宰相は独りつぶやいた。
「どちらが捕虜かわからんわ。情けないのう。周興のばかめが。捕虜の前で刀など振り回しおって」
 吐き捨てるように言って、宰相はその場を立ち去った。

 副将は洛陽に到着後、しばらくして死んでいった。
「樫の松葉杖の内側をくりぬいて、砂金を詰め込んであります。大将、世話になりました。無念だが、おさらばです。日本国(にやまとのくに)を頼みます」
 最後に彼は一言、大将の耳元でささやいた。
 副将は大戦に負け、唐軍に捕まる寸前に考えた。部下の船大工に指示し、軍資金の砂金をできる限り二本の松葉杖に、埋め込ませた。残りの砂金は全て唐軍に没収されてしまった。松葉杖だけは取り上げられることはなかった。阿倍比羅夫はいくら樫の木とはいえ、えらく重かった訳が、ようやくわかった。部下の機転を感謝した。
「黄金の杖か。異国の奴隷にとって金よりありがたい物はない。礼を言うぞ。世話になったな」
 すでに息を引き取った部下に語りかけた。
 重すぎる松葉杖を何度か投げ捨てようと思ったが、黄金を持っていてよかった。日本人捕虜はバラバラにされ、それぞれ奴隷として連れていかれた。
「元気でな、がんばれよ。死ぬなよ、さらばだ」
「日本に帰れることだってあるさ。達者でな」
 皆、一言二言別れの言葉を交わし、黙って凍てつく異国の大地に散っていった。
 阿倍比羅夫には師走の寒風が心にしみた。断腸の思いで、胸は涙であふれかえっていた。多くの部下を死なせ、捕虜にさせた責任を痛感していた。難波津(なにわつ)の港を多くの妻子が出航の兵士達を送っていた姿が目に浮かんできた。皆が意気揚々と凱旋して帰ってくることを信じていた。
「勝っても負けても必ず元気で帰ってきてね。待ってますからね。」
「お前、もう一人、できたのか」
 比羅夫は妻の懐妊をその時初めて知った。
「ええ、そうよ。日本に戻ってくるころには生まれているわよ」
 と、難波津の櫻吹雪の下で、うれしそうにささやいた、若い妻と六歳の息子、宿奈麻呂(すくなまろ)の顔が目に浮かんだ。妻の胎内には二人目の子、安麻呂(やすまろ)が宿っていた。あれが最後の別れとなろうとは。
「今は幾つになっていることであろう。皆、達者かな」
 指折り数えた。大将は辺りにはばかることなく、男泣きに大声で泣いた。黒い無精ひげが涙で白く凍った。

 ここで、白村江(はくすきのえ)の戦いの前、七世紀の東洋の歴史について一寸触れておこう。
 六四五年(日本 大化元年)日本は「大化の改新」で律令国家を作り上げた。飛鳥宮(あすかみや)で時の権力者、蘇我入鹿(そがのいるか)が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇)によって暗殺された。天皇家による中央集権の律令国家が築かれた。日本は新興国として破竹の勢いで国家統一をすすめた。世界に目を向け、聖徳太子は遣隋使を派遣し、仏教を導入し、中国大陸に学ぶことを始めた。
 また同じ年、『西遊記』で有名な玄奘(げんじょう)(三蔵法師(さんぞうほうし))が仏教の教典を求め、中央アジア高原を通り抜け天竺(インド)への大旅行から無事長安に戻ってきた年でもある。国の掟を破って、仏教の教典を求めて遠い天竺へ旅立ったのは、壮年三蔵法師二十七歳、六二九年であった。長安(ちょうあん)の金光門(きんこうもん)が開き三蔵法師は、西域巡礼の旅姿で夜明けを告げる暁鼓(ぎょうこ)(太鼓)の音と共に、長安の街を密かに抜け出した。仏教求道(くどう)の苦難の長い旅路となった。長安に無事帰ってきたのはそれから十七年後の六四五年、四十四歳のことであった。のちに、『大唐西域記(だいとうせいいきき)』を著した。
 七世紀の朝鮮半島には北に高句麗、南東に新羅、南西に百済の三ヶ国が鼎立(ていりつ)し、互いに覇権を争っていた。そして朝鮮半島を挟んで西の大陸に大唐国、東の海中に日本国が存在していた。
 百済と日本連合軍は、六六三年(日本 天智元年)唐と新羅連合軍に白村江の大戦にて破れた。ここに百済は完全に滅亡し日本国は朝鮮半島から撤退した。新羅はついに念願の朝鮮半島統一の夢を果たした。
 そして、日本の国名が「倭国(やまと)」から「日本国」と改められたのも、ちょうど八世紀の初め頃であった。(2−2011.11.2)
タグ:藤原鎌足
posted by いきがいcc at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.安倍比羅夫の慟哭
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