2011年12月03日

連載(26)

ganjin.jpg  (連載26)

     10.鑑真和上(がんじんわじょう)の密航


 前回から、遣唐使の目的の一つに、仏教の戒律のわかる高僧を招聘(しょうへい)することが加えられていた。日本は国家を挙げて仏教が興隆した時期で、東大寺に大仏が建立され、開眼供養(かいがんくよう)が行われたのは、今回の遣唐使が難波津を出航してからすぐ後、七五二年(日本 天平勝宝四年)四月のことであった。
 大使藤原清河(ふじわらのきよかわ)一行は帰国が近づいたころ、天子に別れのあいさつと共にお願いした。
「天子様、仏教興隆のため鑑真和上(がんじんわじょう)と弟子の律僧五人を日本に招きたく存じます。どうか、ご許可をお願い申し上げます」
「日本は仏教ばかりをあがめ道教を軽んじておる。道教を日本で広めるため十人ほどの道士(どうし)を連れて行け。そうだ、優れた道士を選ばせよう」
「天子様、ありがたきお言葉ですが日本には、いまだ道教がありません。先ずは、春桃源(しゅんとうげん)以下四人の者に道教を学ばせるため唐に残します」
 と、あわてて藤原清河大使はその場を取り繕った。
 唐の皇室は李姓(りせい)であったため、同じ李姓の老子を祖とする道教を保護した。玄宗(げんそう)皇帝の時代、唐王朝は仏教を弾圧することはなかったが、皇室は道教を信奉し、玄宗の妹は出家して女道士となり道教の寺を建てた。
 鑑真和上が日本へ行くことに固執し、執念を燃やしていたのは、日本に理想の仏教国家を築きたいためでもあった。道教の国、唐では限界があったのである。
「しかし、不老不死を求め、仙薬を練り、神仙(しんせん)に委ねる道教に対する信仰は、日本には馴染まないからなあ」
 藤原清河大使は言った。
 道士の招聘は体よく断ったが、同時に鑑真和上一行の日本への招聘も、断念せざるを得なかった。

 藤原清河の使者が副使の大伴古麻呂(おおとものこまろ)のところにやってきて、そっと伝えて言った。
「内密の打ち合わせをするので、今晩七時に大使の第一船に来られたし」
「出航間際になって、内密の打ち合わせとは、一体、何であろう」
 と、古麻呂は考えながら、約束より少し前に大使の船へと行った。
「近頃、誰かにつけられているような気がしてならぬ」
 と、言いながら、辺りに気を配りながらそっと入った。
 船内にはすでに皆揃っているようであった。出席者は大使の藤原清河、副使の吉備真備(きびのまきび)、そして、今回三十七年振りに帰国することになった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、十九年前の前回の遣唐使で留学僧としてやってきた僧普照(ふしょう)、大伴古麻呂の合計五人であった。
 揚州(ようしゅう)の運河の水面にはさざ波が立っていた。月の光が明滅し、北斗(ほくと)の星が寂寥(せきりょう)として瞬(まばた)いていた。草むらのコオロギの鳴き声は止むことがなかった。
「鑑真和上一行を日本にお連れするのを止めることにした。これは十分考えた上での判断である。皆の了解を得たい」
 大使が抑揚のない、しかし、はっきりとした口調で言った。しかし、その顔は無念と苦渋に満ちていた。
「大使殿、この期に及んで止めるとは、弱腰ではありませんか。初心を貫き通すべきです。仏教の戒律を教えることの出来る唐の高僧を日本に招聘することが、今回の遣唐使に課せられた大きな使命の一つであることは、大使もご存じと思いますが」
「もちろん、知っての上のことだ」
「今まで何回も、日本側からお願いしておきながら、この期に及んで、怖じ気づいて今更やめだと、誰がどんな面(つら)をして、高僧鑑真和上に話をするのですか・・・。彼らにとっても日本行きは、命がけの決断ですよ」
 一寸興奮して、古麻呂が言った。
「古麻呂殿。私も貴殿の気持ちと同じです。しかし、天子様が仏教の高僧の日本招聘を許可してくれませんでした。揚州の役人が阻止するために警備しています」
「こわっぱ役人どもは、わしが追っ払ってやるわ」
 古麻呂は顔を真っ赤にし、ただし、怒りを抑えながら直ちに言い返した。
「古麻呂殿もご存じの通り、我らは鑑真和上とその高弟一行を日本に招聘したい由、正式に玄宗皇帝にお願いしたが、願いは聞き入れてもらえず、仏教ではなく、日本に道教を布教せよ。道士を連れて行けとの仰せであった」
「そのことは私も知ってはいるが」
 古麻呂が答えた。
「やむを得ず、鑑真和上に密航してくれるようにと、内密にことをすすめてきたが、近頃、広陵郡(こうりょうぐん)(揚州)の役人どもは、鑑真和上がまた日本へ密航しようとしているとの噂を嗅ぎつけて、船を強制捜査しようとしている」
 大使は説得するように言った。一呼吸おいて、大使は続けた。
「鑑真和上の弟子にも、和上が東夷(とうい)に行くことに反対する者も多く、当局に告げ口する可能性が以前にもまして高くなった。唐の国禁を犯す密航者が遣唐使船にて発見されたら、日本国の正式な外交使節団として、誠に由々しき結果にもなりかねない」
「確かに、その通りだ」
 最年長の真備がうなずいた。
「ただ単に、私の弱腰と片づけられる問題ではない。船と寺の周りには役人どもがうようよと警戒し、尋常の沙汰ではない。新羅の間者(かんじゃ)も紛れ込んでいるとの噂だ。古麻呂殿よくわかって欲しい」
「大使殿がおっしゃるとおり、遣唐使は天皇の代理として、大唐国を正式訪問したので、天皇大権を移譲されたことを意味する。大唐国の天子の意に反して、国禁を犯す高僧の密航が露見したら、大きな国際問題に発展する可能性もある。両国の友好関係が損なわれ、現在日本と敵対関係にある新羅と唐が手を結び、日本へ侵略でもしてくるような最悪の事態になったら、日本はひとたまりもなく滅ぼされかねない」
 真備が説得した。
「鑑真和上密航を阻止し、混乱させようとしているのは新羅の間者かもしれない。あるいは楊国忠(ようこくちゅう)の回し者かもわからない」
 古麻呂が口を挟んだ。
「そうよ、ここはよくよく慎重に対処せざるを得ない。清河殿の日本国大使としての、お立場も考えねばなるまい」
 目を閉じたまま、吉備真備が冷静に言った。
 一番若い僧普照(そうふしょう)は、言いたいことがたくさんあったが、気が高ぶって言葉にならなかった。
 河には月の光が鏡のように反射していた。阿倍仲麻呂は船窓の向こうに広がる漆黒の海を眺めながら喋ろうとした。河は静かであった。
「誰だ?」
 その瞬間、話を遮(さえぎ)るように、古麻呂は突然、がばっと立ち上がり船外へと走り出た。船から岸へと飛び降り走った。小柄な黒衣の男が豹のように音も立てず疾走した。男は手に小さな棒切れを持っていたようだ。それは何かわからなかったが、どう見ても刀や剣とは思えなかったが、古麻呂が後を追った。
「古麻呂殿、どうなされた」
 普照が心配して戻ってきた古麻呂に尋ねた。
「残念ながら取り逃がした」
「何者だ、間者か」
「くせ者を取り逃がしたわい。やつはただ者ではないな。何処かであったような気もするが、思い出せない・・・。まるで風のようなやつだ」
「私もこの度、玄宗皇帝のお許しをいただいて、三十七年振りに、祖国日本に帰ることになった。以来今日に至るまで、皇帝並びに楊貴妃の広い心とご加護の下に、唐政府の高官にまで取り立てていただいた。私の生活の基盤はすでに大唐国にある」
「仲麻呂殿。本当にご立派になられた」
 大使が賞賛した。
「この天下の先端を行く文化の誉れ高い唐国、長安に生きていることに満足している。今更、危険を冒して日本にどうしても還りたいとは、本心では思っていない。中国二千年以上の長い歴史に培(つちか)われた律令、文化、仏教、寺院、宮殿、市場は素晴らしい。三十七年間、唐で学んだことは大変多く、価値のあることだ。学んだ知識を全て持って帰って日本に伝えたい」
「それが我々に課せられた責務だ。日本はあらゆる点において、まだ唐国の足もとにもおよばない。早く唐国に追いつくことが必要である」
 真備が同意した。
 しばらくして、阿倍仲麻呂はまた口を開いた。
「私事の前置きが長くなったが、従って、鑑真和上のごとき、当代きっての高僧を日本に招聘することは、極めて大切だ。特に、日本の人民に仏教の道を教え、信仰心を高め、心豊かな文化国家を作り上げるためにも彼の力が必要だ」
「仲麻呂殿のおっしゃる通りですよ」
 今まで黙っていた普照が大きく相づちを打った。
「大師(だいし)(鑑真)により戒(かい)を授けられた弟子は、四万人を越す。唐国一の高僧が自ら危険を冒して、東夷日本国に来て下さるなど、後にも先にもないことです。この機会を逃すことは、これからの日本国にとって大きな損失だ。何とか、断行したい」      
 しばらく、間をおいて、
「だが・・・、しかし・・・、この船にまでもくせ者がやってくるとは。大使のおっしゃるように、役人達がうようよ見張っている。密航するのはかなり難しい。国禁を犯してまで連れて行くことも出来まい、何か、良い手だてはないものか」
「さっきの小柄のくせ者も、おおかた新羅の間者であろう。最近、我は誰かにつけ狙われているような気がしてならぬ」
 古麻呂が言った。
「気を付けて下さいよ。我を襲った刺客は大男だったが」
 この夏、刺客に狙われたことがある普照が言った。
 遠くから悲しい胡笳(こか)(西域異民族の笛)の音が聞こえてきた。誰が吹いているのであろうか。紫髯緑眼(しぜんりょくがん)の胡人が月に向かって吹いているのであろうか。

「楊国忠は仏教に興味などない。新羅からの金で動いている。役人どもは一変して、密出国を阻止するようになった」
 楊国忠は、表向きはともかく、内心は阿倍仲麻呂を日毎に警戒、嫉妬するようになっていた。仲麻呂が玄宗と楊貴妃の二人の寵愛を受け、唐王朝において、重き存在になってきたことを心よく思っていなかった。

 天平時代を代表する日本の二人の秀才、阿倍仲麻呂と吉備真備は共に多くを唐で学んでいた。古麻呂以上に、日本国の将来を思い悩み、嘆息せざるを得なかった。この二人の国際人は、誰よりも日本が今、鑑真和上を必要としていることを理解していた。
「しかし、お二人には国禁を犯してまでも、それを決行するだけの若さと勇気と無謀さはない」
 と、古麻呂と普照は嘆いた。

 天下の文化の中心は、中国である。中華思想に基づくと、その中華の外側の国は四夷(しい)と言われ、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼んでいた。しかし、一方、中華思想を慕う者に対しては、民族、国家の別なく鷹揚に受け入れる度量を持っていた。当時、中国を訪れる遣唐使や、留学生の中国国内の旅費や滞在費は全て唐政府がまかなってくれるのが常であった。長安には一万人の留学生が世界中から集まり勉強していた。しかし、逆に唐人が国外に出ることについては、厳しく規制していた。

「大使殿、出航の日をどうか七日間延ばし、十一月十五日の満月の未明にお願いします。私が鑑真和上に事の成り行きを説明し、謝罪しましょう」
「鑑真和上に誰がこの断りの話をしに行くかが一番の悩みの種であったが、阿倍殿が取りはからってくれるのであれば、これ以上ありがたいことはありません。仰せの通り出航を七日間延ばすことは構いません。どうかよろしくお願い致します」
 大使は深く頭を下げた。
「七日あれば、何かよい知恵が浮かぶであろう。鑑真和上には必ず日本国に行ってもらおう」
と、仲麻呂は独り心で決めていた。彼はこのまま諦めるつもりはなかった。ただちに行動を開始し、僧思託(そうしたく)に相談した。
 武人で血気盛んな古麻呂と言えども、大使と二人の長老に論(さと)されれば、さらに反対を押し通せるものではなかった。夜も更けて、鑑真和上一行の招聘中止にひとまず同意し会議を終えた。古麻呂は心の底では了解などしてはいなかった。
「単独でも命に懸けて、鑑真和上一行を日本に密航させるぞ。日本国のためだ」
 と、古麻呂はすでに腹に決めていた。
 僧普照(そうふしょう)はあまりのショックで、自分がどのように処したらよいのかわからなかった。彼は舎人親王(とねりしんのう)から直々に、中国の戒律を伝えることのできる高僧を日本に招聘する使命を受け、入唐(にっとう)苦節十九年間、そのために唐で働いてきた。今回、その大願が成就し晴れて、日本への帰国の途につく矢先の出来事であった。
         
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連載(27)

ganjin-kinenhi.jpg  (連載27) 

 大使の船を後にした古麻呂は、そのまま自分の船に戻って眠る気にはなれず、揚州の運河の花街を居酒屋へと足を運んだ。痩西湖(せいせいこ)の岸辺から運河沿いに続いている長堤(ちょうてい)の道のしだれ柳が、秋の夜風に微かに揺れていた。晩秋の月明かりに葉が緑と白と交互に冷たく光っていた。河畔にはあずまやが点在していた。特に、観月楼(かんげつろう)から眺める中秋の名月に古麻呂の心は、いくぶんいやされた。男が大声で泣いているのに古麻呂はふと歩みを留めた。
「普照(ふしょう)殿ではないか。どうなされた」
「ああ、古麻呂殿。唐での私の十九年間は、一体何だったのだろうか。栄叡(ようえい)よ、祥彦(しょうげん)よ、どうしたらよいのか。ああ、お前達はなぜ先に逝ってしまったのか。六回目も、まただめなのか」
 鑑真和上一行を日本に連れて行く試みは、すでに五回失敗に帰していたのであった。
 栄叡は和上の日本渡航のため最初から普照と辛苦を共にしてきた。前回、第五回目の渡航は船が難破、漂流して海南島まで流された。海南島から揚州への帰路、栄叡は広州端渓(たんけい)の地にて、三年前、病にかかり本願を遂げず、志半ばにして異境の地で亡くなった。それから幾日も経たないころ、鑑真和上と日本行きに従うと最初に名乗り出た若き中国僧祥彦(しょうげん)も旅路の船上にて病に倒れこの世を去った。
 普照は辺りに憚(はばか)ることなく大声で男泣きに泣いた。
「普照殿。早まることはない。諦めるな」
 と、古麻呂が肩をたたいて慰めた。
「和上様。私はどうしたらよいのでしょうか。和上様を残して、何で一人日本に帰れましょう」
 普照は河に向かって語りかけた。
 背後から人の近づくけはいを感じた。古麻呂はギクリとし、刀の柄に手を掛けた。夜更けの岸辺に人が近づいてきた。
「何だ、仲麻呂殿か」
「お二人さん、今夜は飲みましょう」
 三人は居酒屋の、のれんをくぐった。仲麻呂は広陵地方の銘酒「老春(ろうしゅん)」と肴には蟹と野鴨の蒸し焼きを注文した。真っ赤な薄衣(うすぎぬ)をまとった胡人の女が酌をしてくれた。
「古麻呂殿、貴殿が今何を考えているのかよくわかっていますよ。私もあなたと同じことを考えています」
「やあ、今夜は冷えますな」
 古麻呂は見透かされたような気がして、ドキリとした。感づかれてはまずいと思い、だまって一気に杯を空けてとぼけた。空きっ腹に強い老酒(らおちゅう)(紹興酒(しょうこうしゅ))が喉から腹の底まで熱く流れていくのがわかった。
「おお、酒をもう一本ください」
 ふだん、酒を飲まない普照も立て続けに飲んだ。
「仲麻呂殿、古麻呂殿、私の話を聞いて下さい。私と栄叡(ようえい)が初めて鑑真大和上にお目にかかったのは今から九年前、この街、揚州の大明寺(たいめいじ)でした。この高僧の足もとにひれ伏し、生涯、仏の道を極めることにしたのです。弟子として、一生仕えることを決意したのです」
 それは入唐十年目に掴んだ至福の日だった。高僧を日本へ迎えるため、東海の果てからはるばるやってきた二人の青年僧の夢は、叶えられようとしていたのだ。
「苦節十年、ああ、六度目の挑戦もまただめか」
 普照は酔いながら、泣きながら訴えた。
「普照殿、私は鑑真和上をなんとしても、日本に連れていかなければならないと考えています。玄宗皇帝は極めて寛大な天子です。面と向かって天子の意に反するのは畏れ多いことですが、役人共に気づかれずに、うまく唐を脱出さえ出来れば、そのことが後でわかったとしても、それほど大きな国際問題に発展する可能性は無いと確信しています。故国のため、和上一行を日本に連れて行きましょう」
 仲麻呂が普照を励ますように肩を叩いて、はっきりと言った。古麻呂は、仲麻呂がそんな大それたことを考えているとは思わず、びっくりした。
 唐の高官の地位にありながら、己の保身、利益、昇進だけを考えるのではなく、天下を思い、国家を思い果敢に突き進む仲麻呂の姿に心が打たれた。
「その通りです。仲麻呂殿、今から約百三十年前、三蔵法師は西方天竺(てんじく)に仏の教えを求め、国禁を犯し、長安を密出国した。今まさに、鑑真和上は東方日本に仏の道を伝えるため、楊州を密出航せんとしている。東西域は異なれど、求法(くほう)の道は皆同じ、俗界の及ぶところではない。仏の道を誰が止めることができようか」
 普照は目を閉じて、大声で話し続けた。普照は大分酔っていた。
「お二人さん聞いて下さいよ。あれは唐にきてから、十年目の、ちょうど今日のような晩秋のことで、私と栄叡は大明寺に着き至福の時でした」

 大和上(だいわじょう)の足もとにぬかずき、つぶさに本意を述べて、我と栄叡曰(いわ)く。

―仏法東流(ぶっぽうとうりゅう)して日本国に至れり。その法ありといえども伝法(でんぽう)に人なし。今この運にあたる。願わくば和上、誰か御門下の方、東遊して化(け)を興(おこ)したまえと―
 大和上、答えていわ曰く。
―山川域(いき)を異にすれども、風月は天を同じうす。これを仏子(ぶっし)に寄せ、共に来縁(らいえん)を結ばんと。これ仏法興隆に有縁(うえん)の国なり。今、我が同法(どうほう)の衆中(しゅうちゅう)に、誰かこの遠請(えんせい)(要請)に応じて日本国に向い、法を伝ふるものありやと。誰かこの遠請に応じて日本国に向い、法を伝ふるものありやと―  
一座の衆僧(しゅうそう)みな黙して答うるものなきのみ。しばらくして、弟子の祥彦(しょうげん)曰く。
―かの国は蒼波(そうは)遠く、百に一度もたどりつくに至るなし―
 遮って、和上、曰く。
―是(こ)は法のためなり、何ぞ身命(しんみょう)を惜しまん。諸人(しょじん)・・・、去(ゆ)かずば、われ即ち去(ゆ)かんのみ―
 僧祥彦、曰く。
―和上もし去かば、彦(げん)もまた、随ひて去かんと―
 二十一人の弟子が和上に従った。
 我らは生涯鑑真和上高僧の弟子として、仏法の道を歩むことを心に決めた。
―和上もし去かば、叡照(えいしょう)もまた、随ひて去かんと―

 時に、鑑真和上五十五歳の秋であった。あれからすでに五回日本行きを決行したが、全て失敗に終わった。
「我は今一人なり。留学僧仲間の玄朗(げんろう)、玄法(げんぽう)は早くも道を分かち還俗(げんそく)してしまった。ああ、共に歩んできた栄叡(ようえい)と祥彦(しょうげん)は道半ばにして、すでにこの世を去った。なお失明し、六十五歳の老齢をものともせず、唐に名だたる高僧の地位を顧みず、法のためこの信念の下、なお立ち上がり度重なる苦難と逆行を乗り越え、決行することを誰が止めることなど出来ましょうか」

 古麻呂は今まで言葉少ない静かな壮年僧の不惜身命(ふしゃくしんみょう)の一途(いちず)な思いに圧倒された。そして、内に秘めたる強い意志、仏への帰依(きえ)の深さに感動した。穏和で柔和な阿倍仲麻呂に対してもまた、鑑真和上の密航をズバリと言い切る決断力、冷静沈着な実行力に畏敬の念さえ持った。彼は久しぶりに思いが相通じる朋友を得たことを喜び、酒を口に運んだ。三人は鑑真和上一行の密航について、夜が白むまで共に計画を練った。
「今夜は楽しい、老春の一升徳利が三本も空になったわい」
 仲麻呂もだいぶ酔っていた。
「今夜の月は赤い」
胡姫(こき)(酒場の西域出身の舞姫)が歌う「「関山(かんざん)の月」の楽府(がふ)(古い詩)が琵琶の音と共に揚州の夜のしじまに聞こえて来た。それにあわせて仲麻呂が酔って、歌った。その声はまるで五十代とは思えぬ青年の声であった。


  明月(めいげつ) 天山(てんざん)に出(い)づ
 ―明月が天山(西域の山脈)の上にさしのぼり―
  蒼茫(そうぼう)たり 雲海の間(かん)
 ―蒼く暗く広がる雲海を照らしだし―
長風(ちょうふう) 幾万里(いくばんり)
 ―遠く吹きよせる風は幾万里―
  吹き度(わた)る玉門関(ぎょくもんかん)
 ―遙かに玉門関(西域の関所)を吹き渡ってゆく―

 そして、三日後の朝、鑑真和上一行が泊まっている大明寺を訪れることを約束し別れた。三人の心は晴れ晴れとしていた。これからやろうとしている大それた仕事は、ただ日本国を思う純粋な心から発したものであった。そして、それは日本の歴史を大きく変えることになったのである。帰り際に仲麻呂が言った。
「普照殿、貴殿はこなくてもよい。貴殿はすでに役人に顔を知られ過ぎている。おって結果を連絡する。それから、鑑真和上一行の密航は、我ら三人で決行しよう。藤原清河大使、吉備真備副使は知らないことにして、迷惑を掛けないようにしよう」
「わかり申した」
 他の二人がうなずいた。仲麻呂は、もしも、事が失敗に帰した暁には、おのれ一人の責任にしようと腹をくくっていたのである。

 実は過ぎ去ったその年の夏、普照(ふしょう)は刺客に殺されるところであったのだ。
 普照は夏より、楊州大明寺に寝泊まりし、江南の幾人かの僧を呼び寄せ、鑑真和上と共に日本へ行こうと誘っていた。
「僧普照が大明寺に居座り、また、多くの僧をそそのかし、日本に密航することをたくらんでいる」
 新羅の間者の貧相な姿の頭(かしら)が手下の大男に言った。
「やりますか」
「ああ、俺は顔が割れているから、お前がやれ。正体がばれぬように気を付けろ。報酬は高いぞ」
「ぬかりはないわ。闇討ちしてやります」
 大男は大明寺に入っていった。普照が僧達と別れ、一人、寺の別院の庫裏(くり)にある住みかに帰ろうとしたところを狙われた。
「誰かがつけているな」
 普照は気が付き別院の庫裏に入らずに、ぐるりと回って薄暗い大雄殿(だいゆうでん)の十八羅漢(らかん)の陰にヒラリと隠れた。
「逃げ足の早い野郎だ」
 刺客が行き過ぎるのを待って、外に飛び出した。蝉の鳴き声がうるさかった。あたり一面に睡蓮の生い茂る池に素速く飛び込み、体を仰向けに大きな睡蓮の葉陰に埋めた。顔だけを水面からわずかに出し、そっと息をした。戻ってきた刺客は、池の波紋を見つめ、いきなり刀を水平に振り切った。
「何処に隠れやがったのか」
 睡蓮の葉がなぎ倒された。刀の切っ先が鼻先をかすめた。二、三匹の蛙が驚いて池に飛び込んだ。
「なんだ、蛙か」
「そこのお方、何をしておられるのか。寺から出て行きなさい」
 大明寺の住職に咎められた大男の刺客は、悔しげに立ち去った。
「畜生。取り逃がしたか」
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2011年12月06日

連載(28)

yousyuu.jpg (連載28)

          11.胡笳(こか)を吹く刺客 


 昨夜、寝たのが遅かったにもかかわらず、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は朝早くさわやかに目を覚ました。大伴古麻呂(おおとものこまろ)と僧普照(ふしょう)と三人、肝胆相照(かんたんあいてら)して意気投合し、意を一つにことを決行すると決め、熟睡出来たのであった。仲麻呂は行動を起こしていた。
 十一月十一日、まだ約束の時間より大分早かったが、仲麻呂は大明寺(たいめいじ)へと一人向かった。痩西湖(せいせいこ)の奥に小高い丘があり、丘の上に蜀岡(しょくこう)小城が白楊(はくよう)の木々の間に見えた。大明寺はその丘の小城の西にあった。鑑真和上一行はそこに泊まっていた。
 揚州の街は、東西と南は城壁で囲まれ、北側は丘になっていた。城壁の周りと街の中は水路が張り巡らされた水の都で、水路は南の長江(ちょうこう)へ、長江は大海へとつながっていた。白茶けた城壁の影が運河の水面に映っていた。
 仲麻呂は、大明寺山門前の丘の上で背を伸ばし、両手を伸ばし遙か南を望んで立っていた。靄(もや)の中に江南の山々の低い丘陵が遠くに望むことが出来た。境内に九層の塔があり、西霊塔(せいれいとう)とも呼ばれていた。山門をくぐると、そこには一本の柘榴(ざくろ)の木があり、葉の落ちた枝に割れた柘榴の実がなっていた。柘榴の中の赤い実が朝の光に透き通って輝いていた。
「実に美しいな」
 大雄殿(だいゆうでん)の奥の一室で和上、愛弟子思託(したく)、仲麻呂、古麻呂の四人は日本への密航について打ち合わせした。思託は和上が日本行きを決意した最初から辛苦を共にしてきた僧であった。また、親身になって相談相手になってくれた仲麻呂とも、以前からつきあいがあった。あれからすでに十二年の歳月がたち、青年僧、思託も三十七歳になっていた。彼はもともと台州(たいしゅう)開元寺の出身であった。

「広陵一帯には、鑑真和上一行が、また日本に密航しようとしている、との噂が流れている。鑑真和上達が泊まっている寺の周りには役人共が見張り、碇泊している遣唐使船四隻の近くにも役人がうろうろしている。気をつけねば」
 と、思託が言った。
 特に、普照に対する役人の警戒は厳しかった。過去数回捕まっていた。
「日本人僧普照は、また高僧をそそのかして日本に密航させようとしている。執念深い野郎だ。目を離すな」
 と、探訪使は部下に命令していた。
 鑑真の弟子に洛陽(らくよう)大福寺出身の僧霊祐(れいゆう)がいた。彼はかなりの高僧であったが、終始一貫、和上の日本行きに反対し、それを阻止しようと働いた。和上はこの高僧の弟子をありがた迷惑に思っていた。
「唐においても数少ない高僧である鑑真和上を、今更東海の果ての野蛮国日本に行かせる必要はない。あの高齢では生きて還ってくるどころか、日本に行き着くことすら難しい。普照とかいう日本の僧にそそのかされてはならない。尊い高僧の命をあたら粗末にすることは唐の大きな損失だ」
 と、他の弟子達に言い含めていた。
「もしも、密航の動きあらば、ただちに連絡されよ。広陵探訪使に阻止させよう」
 と、僧霊祐が仲間に言った。

「今までの様子から見て、どうも、日本行きの僧達の中にも密告者がいるのではないかと私は疑っている。極秘裏に綿密な計画のもと、中国脱出を計らなければならない」
 と、思託が忠告した。
「誰が怪しいのか見当はついているのか。尼僧達はだいじょうぶか」
 古麻呂は、蛇のような眼をした紫の袈裟の女を思い出して尋ねた。
「全くわかりません」
 思託が答えた。
「ところで、思託殿、鑑真和上に従い日本に去(ゆ)く沙弥(しゃみ)(僧)は、最終的には何人ですか」
 仲麻呂は僧思託に聞いた。
「四人の尼僧を含め、全部で二十四人です」
「二十四人か。一緒に行動すると目立ち、情報も漏れやすいな、古麻呂殿」
「三日前まで我ら揚州城内の延光寺(えんこうじ)に泊まっておりましたが、警備がはなはだ厳しく、秘かに城外の大明寺に移りました。しかし、その動きは探訪使に筒抜けでした」
当時、楊州には四十以上の寺があった。
「そうか、では一斑六人ずつ四班に分けよう。それぞれ別行動し、泊まる場所も分けるようにしよう。信頼のおける僧を班長に決めたらどうか」
「よし、第一班の班長は僧思託で竜興寺(りゅうこうじ)に、第二班の班長は僧法進(ほっしん)で白塔寺に、第三班は僧儀浄(ぎしょう)で興雲寺に、第四班は僧如海(じょかい)で延光寺に、それぞれ泊まってもらおう」
 古くからつきあいのある信頼のおける僧を班長に据えた。これらの班長達は、後に日本に渡り、仏教伝道のために活躍されたのであった。
「それから、智首(ちしゅ)等四人の尼僧は一人ずつ四班に分かれてもらいましょう。明日、一人ずつ別れて回り道をし警備を振りきって、それぞれ決められた寺に入って下さい。寺に長居は無用。一泊し翌日遣唐使船に来られたし」
 古麻呂は用心して指示した。
 
 もう、二、三年前のことであろうか、普照が鑑真和上との日本行きについて、説法して歩き回っていた時のことであった。
「私は中国北東の出身で、如海と申す者でございます。鑑真和上の日本行きに感動しました。普照殿、どうか拙僧(せっそう)を一行の末席に加えてはいただけませんか」
「もちろん、して、今はどちらに」
 と、普照が尋ねた。
「幼きころ、二親を失い、今は少林寺に身を置き、禅宗を学んでおります」  
 如海は小声でぼそぼそとしゃべった。
「ほう、少林寺の僧ですか。では拳法もおやりですか」
 しかし、どう見ても、小柄で、貧弱なこの僧が拳法をやるようには見えなかった。
「はい、ほんの僅か心得があります」
「さようですか」
「僅かばかりで恥ずかしいことですが、これを日本行きの路銀に使っていただければ」
「これは何と、かたじけないことです」
「いや僅かですが、托鉢で貯めた浄財です」
 それは大金ではなかったが、一人の僧の寄進にしては決して少ない金ではなかった。それ以来、口数は少ないが、鑑真を信奉する敬虔な僧として一行に加わった。

「思託殿、四人の尼僧に逢いたいのだが」
 古麻呂が頼んだ。
「ちょうど今、四人ともいますよ。呼んできましょう」
 思託が答えた。
「あの女はいないな。尼僧はこれで全員ですか」
 四人の尼僧の中に、あの蛇のような目をした紫の袈裟の新羅女はいなかった。
「尼僧は私達だけですよ。どなたをお探しですの」
 尼僧の一人智首(ちしゅ)が怪訝そうに尋ねた。たいへんな美人で、なぜ尼僧になって日本まで行こうとするのか、思託には理解できなかった。
 万一密通者がいても被害を極力抑えるため、各班の班長だけを一人ずつ呼んで、出国についての詳細な打ち合わせをした。他の班の行動については情報を流さないようにした。
「寺を出る時には、袈裟を脱いで出て下さい。衣服は明日までに全員に届けます」
それから、古麻呂は続けて指示した。
「変装し各班毎に、それぞれの寺から楊子鎮(やんつうちん)の指定場所にきて下さい」
 直接、遣唐使船に行かせず、各班の指定場所は皆少しづつ場所を変えた。二十四人の中に密告者が紛れ込んでいる可能性を考えたのだ。
「明後日までに四艘の小舟を楊子鎮に用意しておく。その後の行動については、明後日、到着後追ってそれぞれに指示する」
 楊州城内から長江につながる新河(しんが)という新しい運河があり、楊子鎮は、ちょうど楊州と長江の中間点にある船着場であった。遣唐使第二船はそこから長江本流を下り、蘇州(そしゅう)の黄四浦(こうそほ)に碇泊した。碇泊場所はまだ秘密で、日本への出航は十一月十五日満月の夜明けと決めていた。
「観月(かんげつ)の屋形船と洒落、僧は袈裟を脱ぎ旅人に、尼僧は舞姫になりすまして参られたし」
「仏に仕える身で、舞姫とは・・・」
 尼僧智首はしりごみして言った。
「智首様は美人なので、本当の舞姫より艶めかしいことだろうな。楽しみだ」
 思託は冗談半分に智首の眼をジッと見つめた。
「何ということをおっしゃるの。思託様」
 尼僧智首はまんざら悪い気がしていないようであった。
「これは仏の求道のためです」
 古麻呂は笑みを浮かべて言った。
「わかりました。ところで遣唐使船はどこに碇泊しているのですか」
 智首が質問した。
「それについては、追って知らせます。あなたは本当に日本へ行かれるのですか」
「そうですよ。何処へ行くとお思いですか」
 智首は少しおこった顔で言った。
古麻呂は智首を疑った。しかし、紫の袈裟の女ではなかった。

 阿倍仲麻呂の指示により思託は、出身の台州開元寺の住職あてに手紙をしたため、早便に託した。
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連載(29)

koka.jpg  (連載29)

 翌日、大明寺を厳重に見張っていた探訪使が騒ぎ出した。
「僧達がバラバラに出て行くぞ。どうやら日本行きは諦めたらしい」
「行き先がバラバラで後を付けることが出来ない」
「瓜州(かしゅう)に碇泊していた遣唐使も長江を下り出したとの情報だ」
「そんなに簡単に諦めるはずがない。それぞれ後を追い監視しろ」
 探訪使が命令した。
「一人ずつ行き先が違い、見張りの人数が足りない。後を付けるのは難しい」
と、探訪使の部下達は急のことで混乱した。日本行きは諦めたとの噂が流れていた。
 古麻呂の指示通り、僧達は彼らを上手にまいて、それぞれの寺から一斉に姿を消した。一人の僧がそっと探訪使のもとに行き、告げた。
「あわてることはない、僧普照の後を付けろ」
「普照は今回どこにも見当たりませんよ」
「そうか、それでは僧思託を付けろ」

 出航当日の未明のことであった。すでに,鑑真以下三班十八人の密航の沙弥(しゃみ)(僧)は遣唐使船に乗り、準備万端、出航を待っていた。
「おかしいな。もう一斑だけ来ない。どの班だ」
 思託が心配顔で言った。
「来なくても、早朝には予定通り出航するぞ」
 と、古麻呂が断言した。
 出航直前のことである。数回位置を変え、最後に黄四浦(こうしほ)に碇泊していた古麻呂の遣唐使第二船の周りが急に騒々しくなった。
「古麻呂殿、たいへんです。広陵探訪使の一団が船に乗ろうとしています。どうしましょう」
 部下が顔色を変え、泡を食って伝えにきた。
「何だと。見つかてしまったのか」
 古麻呂は厳しい顔になって言った。
「船の碇泊場所が何故わかったのか」
 思託がいらいらして言った。
「思託殿。皆の者に伝えよ。何も喋らず静かに船内で端座しているように」
 古麻呂率いる遣唐使第二船に、探訪使は、刀を携えた総勢三十人近い部下を従えて乗り込もおうとしていた。このまま踏み込まれたら、とても防ぎようがなかった。
「くそー。やつらか。情報が漏れたな」
 と、言いながら古麻呂は下船した。
「なぜ、大勢で武器を携え、我が船に乗ろうとするのか、無礼であろう」
 古麻呂は大声でいっかつ一喝した。
「国禁を犯し、唐の高僧を日本に密航させようとしているとの噂あり、船を臨検させていただく」
 探訪使は馬から下りて、落ち着き払って言った。
「ただの噂だけで臨検は受けられぬぞ。皇帝の勅使(ちょくし)を見せて下され」
 古麻呂も落ち着いて言い返した。
「船の臨検にいちいち皇帝の勅使など入らぬ。我に臨検の権限が与えられている」
 探訪使もひるむことなく胸を張って言った。
「なにを。この船は日本国の天皇から大権を移譲され、大唐国皇帝を正式訪問した日本国遣唐使船である。巷の噂だけで安易に、臨検など受けることは出来ぬわ。礼をわきまえろ」
 軍人古麻呂、この辺の受け答えは相手を威圧するなかなかのものであった。
「やましいことがなければ臨検を受けても構わぬではないか、我らも礼をもって刀を外して入る」
「やましいことは全くござらぬ。帰りなされ」
「念のため調べさせてもらう」
 探訪使もなかなか引き下がらず、しばらく沈黙が続いた。
「わかった。ただし密航者が誰もおらぬ場合は、臨検者全員打ち首に致すが異存は御座らぬな。覚悟はよければ。刀を捨てて入りなされ」
 古麻呂は啖呵(たんか)を切って、一か八かの勝負に出た。さすがに探訪使も古麻呂の気迫に圧倒され、しばらくまた沈黙のまま対峙していた。
「わかり申した。私を含めて七人だけで調べさせて貰います」
 古麻呂は極地に立った。冷や汗をかきながらも平静を装った。そして、次の起死回生の一手を必死に考えた。
「絶体絶命だな」
 武器を置いて、探訪使以下七人が船の中にぞろぞろ入ってきた。一人が衣服の中に小刀を隠し持っているように見えた。
「最後の御仁、刀を置いて入りなされ」
 古麻呂がすかさず言った。
「あれは竹の横笛です。もって入ってはいけませぬか」
 男の代わりに探訪使が答えた。その男は懐から笛をとりだして見せた。
「笛か、かまわぬ」
「それ見たことか。沙弥(しゃみ)達よ、密航は国禁なり、ただちに下船願いたい」
 探訪使は勝ち誇ったように皆を睥睨(へいげい)して大声で言った。
「高僧鑑真和上殿の御前ですぞ。控えなされ」
 間髪を入れず、高い調子でしかもゆっくりと、僧思託が立ち上がって、威厳を持って言った。
「誰が密航者か。何の証拠を持って国禁と申すか。根も葉もないことをぬかすではい。我らが密航者だとの証拠を見せなさい」
 まるで天の声の様な迫力に押されて七人は後ずさりした。
「日本に帰国する遣唐使に乗船していること自体が、密航の明らかな証拠ではないか。この場に及んでまだしらをきるか」
「何を言うか。我らはこれより日本の遣唐使船に同船させてもらい揚子江を下り、海路南下し,台州(たいしゅう)(上海より海岸沿いを三百キロ程南下した所)の天台山(てんだいさん)(天台宗の総本山)に奉納に参るのだ。何処へ誰が密航するのだ。たわけたこと申すでない」
「口からでまかせの言い逃れはよせ。そちらこそ天台山への証拠を見せなされ」
「我らの密航の証拠も見せずに、おぬし我らに天台山行きの証拠を求めるか・・・」
 しばらく間をおいて、僧思託は懐からおもむろに一本の巻紙を取り出し高く掲げて開けて見せた。
「この公文書がみえぬか。読んで聞かせよう 『鑑真和上殿一行が日本国遣唐使と共に天台山を訪れ、開元寺にて共に奉納することを許可する  衛尉卿(えいいきょう)(警視庁長官) 朝衡(ちょうこう)』 わかったか。衛尉卿の署名だぞ。地方の探訪使の分際で態度が大きい」 
 思託は更に、探訪使達の前の床にサッと一枚の手紙を広げた。
「もう一つ証拠を見せようか。『鑑真和上殿一行の天台山来訪を熱烈歓迎する。早春の涅槃会(ねはんえ)(釈迦(しゃか)入滅(にゅうめつ)を追悼する仏教行事)で共に入滅を追悼(ついとう)することを欲す。 天台山開元寺僧主(そうず) 円空』これでよいか」
 探訪使一同は蒼白になった。あの最澄(さいちょう)が天台山を訪れたのは、ちょうどこの時から五十年後のことであった。
「汝等、金に目がくらんで世の正道(せいどう)を忘れたか。仏の心をあざむくことは出来ぬぞ」
 僧思託の声が、朝日射し込む遣唐使船の船内に、凛々(りんりん)と響き渡った。危機一髪、思託の用意が見事に実った。古麻呂は胸をなでおろし、内心ほっとした。
「言ったとおりであろう。お前達七人を打ち首に致すぞ。文句はないな」
 その瞬間、あの男が横笛を縦にして素速く吹いた。
 ブスッ。
 毒の吹き矢が、反射的に身をかわした古麻呂の耳をかすめ、船のマストに突き刺さった。笛の先にぶる下がる赤い房飾りが激しく揺れた。それと同時に古麻呂は飛燕のように前に飛んで、他の探訪使六人をなぎ倒し、一番背後にいたその小男に斬りかかっていた。
「エイ」
 バサア。古麻呂は手応えを感じた。
 小男はふわっと船から岸へ飛び移って逃げた。
 コロコロ。コロコロ。切られた左腕が船の床に転げ落ち、その手には黒曜石(こくようせき)の数珠(じゅず)がしっかりと握らたままであった。船外まで血痕が点々とつながっていた。
「あいつは如海(じょかい)だ」
 思託がおもわず興奮して叫んだ。
「何、如海殿と」
 僧達も驚き、あたりがざわついた。
 鑑真和上が静かに説法した。
「古麻呂殿、止めなさい。不殺生戒(ふせつしょうかい)なり」
「はい」
「仏の教えに五戒あり、その第一戒は不殺生戒なり。古麻呂殿。生きとし生けるあらゆる物の命を奪ってはいけません」
「恐れ入ります」
 鑑真和上に謝ってから、向きを変え探訪使達に怒鳴った。
「高僧殿のご慈悲だ。とっと立ち去れ」
「大変ご無礼をいたした。申し訳ない」
 探訪使は悔しさを押し隠して、部下も連れて下船した。
「思託、お前も大した男だ。坊主にしておくのにはもったいないな。ワハハ。―汝等、金に目がくらんで世の正道を忘れたか。仏の心をあざむくことは出来ぬぞ― よいこと言うではないか」
 古麻呂も笑った。
「これは全て阿倍仲麻呂殿のお指図です。古麻呂殿のことゆえ、先ずはぬかりないとは思うが、念には念のためと。エヘヘ」
 僧思託は半分いやみを言いながら照れ隠しに笑った。
「席次の争い、和上の密航、共に朝衡殿に助けられたわい。とてもあの人には頭が上がらぬわ」
 遠くからあの悲笳(ひか)(悲しげな胡人の笛)の音が聞こえてきた。
「あの笛の音はなんだ。えらく乱れているではないか」
 僧思託が言った。
「胡笳(こか)(胡人の笛)の恨み。片手の横笛だな」
 古麻呂がつぶやいた。しばらくして笛の音はぷっつりと切れ、二度と聞くことはなかった。
「胡笳を吹く刺客は逝ったか」
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2011年12月08日

連載(30)

sou-fusyou.jpg  (連載30)

 十五日の満月の夜には、三艘の屋形船は警戒の目をくぐり抜け本船にすでにやって来ていた。第四班の僧如海(じょかい)達が満月の夜十二時なっても現れなかった。
「高僧霊祐(れいゆう)と僧如海と探訪使が密告の仲間であった」
 思託は暴き出した。
 首謀者は僧如海であった。彼は東北出身と名乗っていたが、訛がひどかった。偽僧侶で新羅の間者(スパイ)の頭であった。色白の小男で見るからに貧相であったが、少林寺にて拳法を修得した達人であった。、伏し目がちで目立たない敬虔な僧は、胡笳(こか)を吹く刺客であった。
「僧如海が間者の親玉とは夢にも思わなんだ」
「紫の袈裟を着た新羅の女は、僧如海の変装であったか」
 一行の情報が、常に直ぐ探訪使にわかったのは如海の密告によってであった。探訪使は如海を通して新羅国から多大な賄賂を受け取っていたので、金のため、執念深く沙弥の密航を阻止しようとし、成功した暁には更なる賄賂をもらう約束であった。探訪使は楊国忠(ようこくちゅう)の部下の宦官からも多額の金を受け取っていた。
 霊祐の行為は、師匠の身を案ずる一身から出た純粋なものであったが、鑑真にとっては本当にありがた迷惑なことであった。
「霊祐の心はただの子女の情けだ。仏法の大事を遂げんとするには妨げである」
 と、鑑真和上は嘆いていた。

 一方、僧普照は乗船ギリギリまで姿を現さなかった。十九年間も過ごした唐を後にすることになるのだと思うと名残惜しくなった。
 彼は一人揚州の繁華街へと足を運び、運河の辺にある酔月楼(すいげつろう)へと入った。西域の料理を食べさせる高級料理屋であった。彼は三楼の運河の見える窓辺の片隅に一人坐った。
「焼いた羊肉の串刺し、包子(パオツ)(餃子のようなもの)、胡餅(こべい)、それから葡萄酒を下さい」
 楊州の街並みをぼんやり眺めていた。運河には数えきれないほどの太鼓橋が連なっていた。この辺りは青楼街(せいろうがい)と呼ばれ、夜にもなると娼楼(しょうろう)の降紗灯(こうさとう)(赤い絹を張った灯火)が何千と軒を連ねて灯をともし、美しく着飾った揚州美人で溢れかえっていた。簫(ふえ)の音と共に、楊州悲歌が流れていた。

  十年ひとたび覚(さ)める 楊州の夢・・・
―放蕩三昧十年から覚めた 楊州みはてぬ夢―
  かちえたり 青楼(せいろう) 薄倖の名・・・
―我が身が得たものは 色街での浮き名だけだった―

 当時、唐最大の色街として繁栄した世界最大の港であった。隣の個室の戸が開いたとき、見覚えのある顔を見た。
「あれは誰だったかな。そうだ玄朗(げんろう)だ。玄朗だ」
 彼は個室に駆け込んでいった。
「玄朗、俺だ、普照だよ、元気でよかった。何年振りだ」
「おお、普照か、久しぶりだなあ、九年振りだな。お前も元気で何よりだ」
 玄朗は普照、栄叡(ようえい)と共に遣唐使留学僧として日本から唐にやってきた。共に仏法の道を求め、厳しい修行と勉学に机を並べて励んでいた。しかし、十年前、第一回目の鑑真の日本行きが失敗した後、突然姿を消し、その後、行方がわからなくなっていた。
「還俗(げんぞく)したんだな。今は何をしているのだ」
「恥ずかしいことだが、貿易業をやっている。揚州は唐最大の商業の街だ。西の物資、東の物資が船で揚州に入ってくる。そして、物資はここから運河を通って長安、洛陽に、また長江を上って蜀に行く」
「坊主から商人になったとは驚いた。ところで、そこにいるのは嫁さんと子供か」
 瞳は黒いが、茶色の髪の毛をした女は美しかった。黒地に真っ白な鶴が真紅の花をくわえて天空を舞う文様の衣服を着ていた。
「恥ずかしくて合わす顔もないが、結婚した」
「何も恥じることはない。坊主だけが人生ではないさ。俺のように相変わらず、巷を漂泊している乞食坊主に比べれば天下を股に掛ける大商人とは、立派なことではないか。美しい嫁さん、かわいい子供、正直いってうらやましい限りだ」
「あの時は、皆に黙って姿を消し申し訳なかった。留学僧が唐女に恋をし、子まで出来て一緒になってしまったとは、仏門の徒としては恥ずかしくて言えなかった」
「坊主も男だ。男と女が恋に落ちるのは、ごく自然の成り行きだろう」
「ところで、他の者は皆達者か」
「栄叡(ようえい)と祥彦(しょうげん)は病でこの世を去ったが、思托は元気で共にいる。我もようやく十九年目の本願が叶って、明日、高僧に従って日本国に旅立つ」
「それはよかった。しかし、まだ若いのに栄叡も祥彦も異国で亡くなったのか。残念だな」
「つらいことだ」
「俺も家族を連れ、明日、商いをしながら西に旅立つ」
「西とは何処だ」
「こいつの国、康国(こうこく)(サマルカンド)よ」
「十九年目の晴れての本願だ。康国とは何処よ」
「西の果て。シルクロードの向こう。 日本より遠い国よ」
「十年振りに逢ったと思えば、東と西の地の果て旅別れか。達者でがんばれよ」
 玄朗は、大事そうに抱えていた袋から宝石を五個取り出して言った。
「世話になった。餞別にこれを持って行ってくれ。お前達が皆、無事日本へ帰れることを祈っている。大和上、みんなにもよろしく伝えてくれ」
「坊主に宝石は似合わぬわ」
「邪魔にはならぬ、何かの役に立つだろう。取っておけ」
「わかった。俺はお前にあげる物が何もないが」
「何を言うか、お前の達者な顔を見ただけで十分だ」
 洛陽の大福先寺(たいふくせんじ)にて、共に学んだ二人の日本青年僧。一人は西域の妻と康国へ、一人は中国の高僧と日本へ向かおうとしていた。
「今日は再会 明日は別離」
「さらば 元気でな」
 琥珀の葡萄酒を並々と注ぎ、高くかかげた。月明かりに「夜光の杯」が輝いた。

 阿倍仲麻呂は、当初、大伴古麻呂の第二船に乗る予定にしていたが、十八人の沙弥が全員第二船に乗ることになったので、止むを得ず第一船に乗ることにした。これもまた運命の分かれ道であった。
「真備殿、古麻呂殿、三人別々に乗船することになりましたな。旅の幸運を祈ります」
「仲麻呂殿、お互いに無事帰国の折りには、皆で一杯やりましょう」
「ついては一つお願いがあるのですが」
「何でございましょうか。仲麻呂殿の願いとあればなんでも致しますよ」
「真備殿、古麻呂殿。私が無事日本国に帰ることが出来ない時は、天子様と藤原仲麻呂殿(恵美押勝)に新羅討伐を止めさせるように説得して欲しいのです。日本のため、天下のため」
「たとえ、勝つとしてもですか」
「もし戦いに勝ったとしても、それは一時的なことです、未来永劫に朝鮮を支配することは出来ません」
「なぜですか」
「渡ることさえ難しい海の向こうの国を永遠に支配することなど不可能です」
「そうですね」
「敗ければまだしも、勝てば更に害は大きい」
「戦争に勝って、なぜ被害を被るのですか」
「半島を征服したら、彼の地を支配し続けるために多くの民と金が必要になります」
「百年以上、支配し続けることは出来ず、いずれ敗北の時が来る。多くの人民を死に追いやり、多くの金を無駄に使い、撤退した暁にはなにも得られない。残るのは敵国の民の憎しみだけですよ」
「仲麻呂殿は百年も先のことまで考えているのですか」
「―人生百に満たず、常に千歳(せんさい)の憂いを懐(いだく)く―(人の一生は長くても百歳まで生きられぬが、人は千年先のことまで心配する)と、言うではありませんか」
「百年どころか、一千年先の日本国のことを憂うのですね。我らも同じ気持ちです」
 真備が言った。
「わかり申した。我が命に懸けても朝鮮討伐を阻止することを約束します」
 主戦論者、古麻呂がいつの間にか反戦論者になっていた。
「ありがとう。お願いします・・・」
真備は仲麻呂に説得されただけではなかった。二度の入唐の経験は彼の考えを変えさせた。
「朝鮮だけでは終わらない。中国を巻き込み、大唐国を敵に回して勝てるわけがない」
 三人の心は一つであった。そして日本国を救うことになったのである。
「西の地の果て、破葉(タラス)河畔の戦いに大唐国の行く末を見極め。朝鮮討伐に千年先の日本を憂う。あの人は何と大きな男だろう」
 吉備真備は心の中でうなった。

 蘇州の一(いっ)片(ぺん)の月。黄四浦(こうしほ)には十三夜の月が皓皓(こうこう)と輝き、長江の水が粛々(しゅくしゅく)と流れていた。阿倍仲麻呂は一つの仕事を終え、一人、大河の辺にたたずみ滞在三十七年間の唐に別れを告げ、故国日本に思いを馳(は)せ、東方の夜空を仰ぎ見た。
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  天の原 ふりさけ見れば 春日(かすが)なる
    三笠(みかさ)の山に いでし月かも

 望郷の一片の詩、それは雄大な大宇宙を舞台に生きる男のロマンであった。これだけ大きな詩を詠んだ古代日本人は、他にいたであろうか。わずか、三十一文字の影に男の万感の思いが込められていた。天、山、月・・・。
           
 遣唐使船は、やがて何事もなかったように、東の風を満杯にうけ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)日本に向かった。しかし、大使藤原清河、阿倍仲麻呂が乗った第一船は難破し、南へと流されベトナムに漂着した。共に蘇州の港を出た二艘の船の運命は、その後の日本の歴史を決めることになったのである。

 王維(おうい)が別れにくれた柳の蘰(かずら)が南の海の波間に消えた。土着民に襲撃され百六十人あまりのほとんどは殺されて、生き残ったのは、数十人であった。仲麻呂と清河の二人は、奇跡的に無事長安に戻ることが出来たが、二度と故国日本の地を踏むことはなかった。

 一方、第二船に乗った鑑真和上は、日本への渡航を、六回目でついにかな叶えることが出来た。大伴古麻呂が指揮する第二船は、和上一行を乗せて無事十二月二十日薩摩国に着港。年も押し迫った、十二月三十日平城京に到着した。
 鑑真は七四二年(日本 天平十四年)第一回の日本行きを決めてから、実に苦節十二年目、やっと日本の土を踏むことが出来た。盲人になるなど度重なる挫折(ざせつ)を乗り越えて本願(ほんがん)を達成したのであった。その間に栄叡(ようえい)、祥彦(しょうげん)を初めとして三十六人の同士が亡くなり、脱落していった者は二百余名を数えた。終始一貫して変わらずに鑑真和上に従った者は、思託と普照の二人だけであった。
 
 そして、遣唐使船の日本への帰り船で、思託と普照は南の夜空を見上げながら、祥彦の死を想いだし、悼み悲しんだ。

僧祥彦、船上に端座(たんざ)して僧思託に問いて曰く…。
−大和上(だいわじょう)は、睡(ねむ)り覚めたるや否や―
僧思託、答えて曰く・・・
―睡りて未(いま)だ起きず―  
彦(げん)、云(い)う、
―今、死別せんと欲す―
思託、和上(わじょう)に諮(はか)る。
和上、香(こう)を焼(た)いて曲几(きょくき)をもち来て彦(げん)をして几(き)によらしめ、
西方に向かいて阿弥陀仏(あみだぶつ)を念ぜしむ。
彦(げん)、即ち一声、仏を唱えて端座し、寂然(じゃくねん)として言(ことば)なし。
和上、乃(すなわ)ち・・・ 
―彦、彦―
 と、喚(さけ)びて悲慟(ひどう)すること数(かず)なし。
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連載(31)

doukan-tatakai.jpg  (連載31)

        12. 楊貴妃は生きていた


 玄宗(げんそう)皇帝が楊貴妃にうつつをぬかすようになってからは、楊貴妃の従兄楊国忠(ようこくちゅう)と安禄山(あんろくざん)が権力闘争を始めた。安禄山は范陽(はんよう)(北京)、河東(かとう)(太原(たいげん))、平廬(へいろ)(沈陽(しんよう))の三節度使(せつど)(国防を司る皇帝直轄の地方警備の将軍)を兼任し、強力な軍隊を配下に持っていた。
 七五五年(日本 天平勝宝七年)の十一月、安禄山は、幽州范陽(ゆうしゅうはんよう)(北京周辺)にて、遂に反旗をひるがえした。
「逆臣揚国忠を討つ」
 と、掲げた。安禄山はソクド人(トルコ人)で、当時、強国、唐と阿拉伯(アラビア)の間に挟まれて暮らす民族であった。商売上手で戦争に強く、また、音楽や踊りに優れた、極めて優秀な少数民族であった。反乱軍、十五万の大軍は陣太鼓を打ち鳴らし、大地を鼓動し洛陽(らくよう)を目指して南下した。
「まず、洛陽を落とす」
 契丹(きったん)、突厥(とっけつ)の騎馬民族を従えた大軍は、疾風のごとく、中国東北部を支配下におき、東都洛陽へと快進撃した。胡馬(こば)(北方異民族の馬)は北風に、漠々(ばくばく)と風沙(ふうさ)を巻き上げ、蕭蕭(しょうしょう)といなないた。軍中の角笛(つのぶえ)の調べが邑々(むらむら)に悲しげに響きわたった。騎馬隊の進軍したあとの砂塵は、暗雲が大地を覆い被したようであった。
 翌年の正月洛陽は、占拠された。美しい洛陽城は蛮人により殺戮(さつりく)と暴行で焦土(しょうど)と化した。 安禄山は洛陽にて大燕(だいえん)皇帝と称した。これは天平勝宝(日本)の遣唐使が帰国してから、わずか三年後の惨事であった。

 ちょうど、長安と洛陽の中間にある潼関(どうかん)が官軍にとっては最後の砦となった。北から南に流れている黄河が、ここ潼関の地で南を華山(かざん)に阻(はば)まれ、北から東に大きく九十度向きを変えている。北と東は黄河の濁流、南は華山の断崖に守られている要塞であった。したがって、長安への道 西の渓谷だけを抑えればよかった。
「我が大軍に立ち向かうとは愚か者よ」
 安禄山が言った。
「安禄山将軍、何度攻めても落ちません。難攻不落です」
「敵の大将は一体誰だ」
 安禄山が大きな体を揺り動かしながら聞いた。
「かって、砕葉(さいよう)(タラス)湖畔の戦いで活躍した高句麗の人、右羽林(うはりん)大将軍、高仙芝(こうせんし)であります」
「おお、密雲公(みつうんこう)か。手強いはずだ」
 安禄山が答えた。
「高仙芝大将、相手は巨漢ぞろいでめっぽう強い」
 官軍の兵士達があわて、おののいて言った。
「うろたえるな。北夷の賊が強いのではなく、我が方が弱いだけだ。賊は図体がでかいだけで頭は空だ」
 高仙芝は黒毛と白毛の混ざった駿馬にまたがり大声で叫んだ。
 しかし、高仙芝は楊国忠配下の宦官とそりが合わなく、彼の讒言(ざんげん)により味方によっておとしい陥れられ処刑された。

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 官軍の後任の大将に起用されたのは、これまた小数民族出身の名将哥舒翰(がじょうかん)であった。かって、李白の直訴を受け入れ、部下の郭子儀(かくしぎ)の死刑を無罪にした将軍である。東の節度使安禄山、西の節度使哥舒翰とうたわれた二大大将の一人であった。長安で年老いて病に伏していたが、玄宗は昔から信頼していた彼に潼関の最後の守りを託したのである。
「皇帝陛下のたっての頼みとあらば、やむを得ぬのう。ただし、条件がありますぞ」
「なんぞ、申して見ろ」
「我に二万の兵と、牛車十台にあふれんばかりの女と、もう十台に酒を所望いたす」
「ワハハハ。わかった。年甲斐もなくあいかわらず酒と女が好きであるのう」
「年甲斐もなくとはよく言うわ、天子様も人に言えた義理でもなかろう」
 哥舒翰は心の中でつぶやいた。長安を後にし、砦へとゆっくり行進した。
「天下の一大事だと言うのに哥舒翰のあのざまは何だ。皇帝に寵愛されていることをよいことに、調子に乗りやがって」
 宰相(さいしょう)楊国忠は頭にきた。もともと、二人は不仲であった。哥舒翰は横柄で、傍若無人な大将で、権力者であろうと楊国忠の如き小人にすり寄るような男ではなかった。しかし、皇帝の信望は厚く、部下にも信頼されていた。
「何と今度は、俺を成敗しにくるのは哥舒翰だと」
 安禄山が言った。
 かって、互いに名将として張り合った二人も仲が悪かった。
「敵は早春の山火事のようなものよ。メラメラと燃えだした火の勢いは、誰にも止められぬものよ」
 哥舒翰がうそぶいた。
「その通りですな。戦いは勢(いきお)いにもとめて、人にもとめずか」
 部下の武将郭子儀は、納得して腹の中で同意して言った。
「では、将軍いかにしましょうか。よい作戦はありますか」
 武将郭子儀が尋ねた。
「牛車二十台が我らの武器よ。酒を飲んで、女を抱いていろ。火が燃え尽きるまで時を待て。潼関の守りは天下の険、何百万人の大軍でも、俺と一万人の精兵がおればびくともしないわ。勝利は時を待つことだ」
 哥舒翰が答えた。
「攻撃や手柄をあせる部下の兵を押さえるのには、女と酒が一番だ」
 哥舒翰がニヤリと笑って付け加えた。
 彼自身も無類の女と酒好きであった。この作戦は最高に気に入って自画自賛した。名将哥舒翰は高仙芝同様、天然の要塞をしっかり守れば、そう易々と長安の都が陥落するとは考えていなかった。
「調子に乗って潼関を離れ、進軍し攻め込むことが敗北につながる。関(せき)の守りが長安を救う最後の道だ」
 
 酒と女に埋もれた名将は、おのれに酔っぱらって一人言い聞かせた。潼関における大戦は膠着(こうちゃく)状態が続いた。
 長安の楊国忠はいらいらしていた。玄宗に讒言(ざんげん)した。
「哥舒翰は毎晩女と酒に入り浸りで、全く進撃する気がありません。兵糧をもっと送ってこいと督促するばかりで、一向に攻める気配がないのです。二人とも胡人(こじん)ですから、安禄山と内通し共に長安を攻めに来るとの噂です」
「楊国忠、根も葉もないでたらめを言うでないぞ」
 楊国忠は不安で、いても立ってもいられなかった。
「お恐れながら、それでは、直ちに敵陣を攻撃せよと、私から命令を出しましょう。単なる噂でやましい心がなければ、攻め込むはずです」
「分かった。好きなようにしろ」
「何、すぐに敵陣に攻撃せよだと。誰が俺にそんなばかな命令してきたのか」
「楊国忠宰相殿です」
「戦のいの字も知らぬ愚かな宰相よ。勢いに乗る二十万の敵軍に、二万の我が軍が潼関を出て勝てると思うのか。ばか者が」
 伝令の兵が長安に戻り、楊国忠に報告した。
「お恐れながら、哥舒翰将軍殿は宰相殿の命令書を無視して、破り捨てました」
「皇帝、やはり、哥舒翰は寝返りました。胡人は安禄山同様信頼出来ませんぞ。今度は帝の勅書(ちょくしょ)を出してみましょう」
 玄宗皇帝も若かりし頃の感の鋭さがなくなっていた。信頼していた安禄山に裏切られたこともあり、軽率にも戦を知らない楊国忠に踊らされ、勅書に署名してしまった。玄宗はすでに七十歳を越え、戦争を忘れ、気力も薄れていた。
「戦いの利は潼関の守りあるのみ。出ずればこれ敵の思うつぼ」
 と、哥舒翰は玄宗に訴えたが楊国忠に全て握りつぶされた。
 これが長安を滅ぼされ、玄宗が都落ちし、馬嵬(ばかい)の悲劇の原因となった。
「楊国忠の罠にはまったが勅書には従わざるを得ないだろう。天子も歳と女には勝てんのう。楊国忠も、有能な将軍を片っ端から失脚させ、どうするつもりだ。自分で自分の首を絞めているようなもんだ。愚か者よ」
 歯ぎしりして言った。
「俺が死んだら、長安にまともな将軍は誰も残らないぞ。楊国忠と楊貴妃とその三人姉妹で、長安を守れるとでも思っているのか」
 哥舒翰は吐き捨てるようにつぶやいた。
「俺の好きな戦と酒と女が同時にやって来たわい。明日は砦を出て敵陣に総攻撃をかける。今夜は女を抱いて酒を好きなだけ飲め。俺は病人、どのみち先は短いが、これで大唐国も終わりだ。残念なことよ。お前は長安に戻れ。犬死にすることはない。若いのだ皇帝を助け、再起を計れ」
 有能な武将郭子儀にのみ本音を語った。彼は後に皇太子(後の粛宗(しゅくそう))を助け、再起を計り、長安奪回に成功したのである。
 「これより出陣するが、百に一つも勝ち目がない。お前に千の精兵を与える。ただちに長安に戻れ」
「大将も一緒に長安に戻りましょう」
「俺が舞い戻ったら、楊国忠が喜んで逆賊呼ばわりするだけだわ。長安に即座に戻り、機を見て楊国忠を誅殺(ちゅうさつ)しろ。あいつを生かしておけば唐国が崩壊する。敵は内にいる、これが俺の最後の命令だ」

 二万の大軍は北に大河を見下ろし、南に華山(かざん)を望み、長い縦列をつくって天然の要塞を離れて東に進軍した。陣太鼓が山々に響きわたり、朗々(ろうろう)とこだました。戦いの笛の音が大河の流れにヒュウヒュウと共鳴した。馬上の琵琶の音は、天空にベンベンと昇っていった。それは熱い夏の日であった。敵将安録山はあざ笑って言った。
「天下の名将もしれたもの。しびれを切らして、軽々しく出てきおったわ」
「一気に攻めますか」
「まだ、攻めるな、引け、逃げろ。できるだけ敵を砦から引き出せ、おびき出せ」
 敵の主力はわざと後方の谷へ下がっていた。砦を抜けて進軍した哥舒翰の全軍は攻め込んだが、四辺(しへん)に隠れていた敵の伏兵十五万の大軍に取り囲まれ、味方の軍はあっという間に退路を断たれ、包囲された。
「走れ、走れ、真っ直ぐ前方、東に向かって、矢のごとく突き進め」
 老大将は声を振り絞って全軍に命令し、陣太鼓を鳴らした。
「戦うな、隊列を崩さず、脇目もくれず、全速力で真っ直ぐ疾走しろ。敵軍を抜いて逃げ切れ。三十六計逃げるが勝ちだ」
 軍馬は縦列に砂煙を上げまっしぐらに走った。哥舒翰は負け戦などするつもりはサラサラなかった。兵隊を一人でも多く逃がすことを考えていた。十五万の敵兵に包囲され、全滅する負け戦と予想されたにもかかわらず、殺された部下の少なさからその名将ぶりが後世に称(たた)えられた。大将哥舒翰は自ら、しんがりをつとめ敵兵につかまった。七五六年(日本 天平勝宝八年)六月九日のことであった。
「哥舒翰。わかったか。俺が天下一の武将よ。俺に勝てるとでも思っていたのか」
 安禄山(あんろくざん)は得意げに鼻の穴を膨らませながら、大きな腹を抱えて言った。
「俺は天下一の負け将軍よ。わざわざ負けてやったことも知らずに、この愚か者が」
 哥舒翰は冷静にニヤリと笑い、吐き捨てるように言った。
「同族のよしみだ。俺の方が強いことを認め、俺の部下になるので助けてくれと、皆の前で土下座すれば、助けてやってもよいぞ」
 安禄山は笑って言った。
「酒と女も十分味わせてもらったわ。今更、生き延びてなんになる」
 哥舒翰は笑って言った。
 西域人の哥舒翰は西域人の安禄山によって処刑された。長安城が陥落したのはそれから八日後の六月十七日のことであった。
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2011年12月11日

連載(32)

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 潼関(どうかん)が破られたとの連絡が長安に入ったのは、二日後の六月十一日であった。
「皇帝、明日未明 身内の者だけ連れて、蜀(しょく)に向け密かに長安を抜け出しましょう」
 宰相楊国忠(ようこくちゅう)は青白い顔で、真夏だというのに震えながら言った。
「あわてふためいて、おのれだけが逃げ延びようというのか。宰相たるものこの期に及んで見苦しいぞ」
 玄宗皇帝は一喝した。
「明日にも安禄山の大軍が長安城になだれ込みます。一刻の猶予もありません。城を捨てて夜逃げするのではありません。蜀への一時の行幸(みゆき)です。安禄山が長安に入ったら、まず、楊貴妃を略奪するとの専らの噂です。彼らは野蛮人です」
 楊国忠の巧みな言葉に、他にどうすることも出来ず、歳を取り、気力を失った玄宗皇帝は、黙ってうなずかざるを得なかった。
「高力士(こうりきし)よ。こんな時に朝衡(ちょうこう)がいてくれれば心強いのだが」
「天子様、朝衡殿は九死一生を得て無事中国に帰還しました。しかしながら、疲労、衰弱しており、今、襄陽(じょうよう)の地にて養生しています」
「そうか、生きていてよかった」
「安禄山が攻めてきたら、最初に血祭りに上げられるのは、楊国忠、お前であろうが」
 高力士はつぶやいた。
 そもそも、かっての忠臣の部下、安禄山が謀反を起こしたのも、元をただせば、楊国忠の仕業であった。
「逆臣楊国忠を討つ」
 安禄山が反旗をひるがえして攻め入った相手は、玄宗皇帝ではなく楊国忠であった。
 
「高力士、何回も忠告されながら耳を傾けなかったこと後悔している。お前の心配していた通りになってしまったわい」
 玄宗は国政を執ることを止め、宰相に全てを委ねることが多くなり、楊貴妃にうつつをぬかしていることを再三高力士が諫(いさ)めた。玄宗は誰もいない処で独り言をつぶやいて、今頃後悔した。
「女は国を滅ぼす。全ての女達を政(まつりごと)から排除せよ」
 四十年前に自分が語った初心を忘れたのか。
 六月十三日の未明、玄宗皇帝一行は宮城(みやぎ)の北にある禁苑(きんえん)の延秋門(えんしゅうもん)から蜀へと都落ちした。玄宗皇帝、皇太子(後の粛宗(しゅくそう))以下、楊国忠、楊貴妃、その姉妹三夫人、高力士、郭子儀(かくしぎ)等、約数千人の逃避行であった。長安城が陥落したのは、それから四日後のことであった。

 そして馬嵬(ばかい)の悲劇は六月十五日、蜀へと逃避する道すがらに起こった。今までの不満が遂に爆発し、哥舒翰(がじょかん)の部下 郭子儀とその兵隊達は楊国忠、姉妹三夫人以下楊一族及びその配下を馬嵬で殺戮(さつりく)した。
「楊国忠を天誅する」
「哥舒翰大将の命令を果たすことが出来た」
 実際に楊一族を殺したしたのは、郭子儀とその部下千人の兵隊であった。そして、兵士達は楊貴妃の処刑をも玄宗皇帝に迫った。この時、天子は既に七十一歳であった皇帝の権限も地に落ち、気力も失せていた。兵士達の騒ぎは収まらず暴動は大きくなるばかりであった。楊国忠の首は槍の先につるされ高く掲げられた。
「どうしたのだ。まだ乱は鎮(しず)まらぬのか」
 と、玄宗皇帝は不安げに尋ねた。
「まだ禍根が残っています。お恐れながら楊貴妃を処刑しないかぎり暴動は収まりません」
 郭子儀が直訴した。楊貴妃は政に口を挟むようなことはしなかったのだが。

 玄宗皇帝は何も喋らなかった。
「群集心理とは恐ろしいものだ。ここは手際よく謀反(むほん)を鎮圧しなければ、皇帝の命まで危ない」
 と、宦官(かんがん)の高力士はとっさに判断し、行動した。
「権力者が失脚する時は、実にあっけないものよ。ことここに及んではどうしようもない。逃れることも出来ない」
「楊貴妃様、私の言う通りにして下さい。先ず、皇帝殿にお別れのあいさつをして下さい。その後、郭子儀(かくしぎ)閣下に、あの小さな仏堂(ぶつどう)で御仏(みほとけ)に最後のお祈りを捧げる許しを得て下さい。そして、高力士の手にかかり逝きます、と告げて下さい」
 と、高力士は楊貴妃にそっと話した。楊貴妃は黙ってうなずいた。
「こんな時に朝衡様が近くにいてくれれば・・・」
 と言う思いが楊貴妃の心をよぎった。
 高力士に全てを委ねた。高力士は彼女に仕えて十年が過ぎていた。高力士は楊貴妃が好きだった。楊貴妃は高力士が嫌いではなかった。楊貴妃はくじけそうな気持ちを懸命に抑え、鷹揚(おうよう)に落ち着いて玄宗皇帝の下に歩み寄った。
「天子様、お世話になりました、お達者で。さようなら」
「玉環(ぎょくかん)よ、来世(らいせ)でまた必ず逢おうぞよ」
 しかし、楊貴妃の玄宗皇帝に対する愛は、この一瞬のうちに消えた。
「力が落ちたとはいえ大唐国の皇帝。命懸けになれば愛する女ひとり簡単に助けられるはず。自分の命と地位が惜しいばかりに私を見殺しにするのだ。一介の凡夫(ぼんぷ)でも愛する女のためには命を懸けようものが」
 玄宗皇帝が助けてくれると信じていた楊貴妃は、心の中で失望してつぶやいた。
「郭子儀将軍様、どうか、あの仏堂にて最後に御仏を拝ませて下さい。そして国恩(こくおん)に背(そむ)いた罪で高力士様の手を借りて自害致します。皆様、さようなら」
 豊艶(ほうえん)だった顔はすでに痩せ細ってやつれてはいたが、その美貌はむしろ深みを増し妖艶だった。郭子儀はうなずいて楊貴妃に頭を下げた。
 高力士は郭子儀から刀を借りて、宦官の供を一人連れ楊貴妃の後に従い、小さな仏堂に入っていった。脇には松が大地に並行して緑の枝を伸ばし、背丈以上もある蜀葵(しょくき)(タチアオイ)の花が何本も真っ直ぐに真夏の空に向かって咲き乱れていた。楊貴妃の姿が松と葵の間に見え隠れし、楊貴妃が通り過ぎた後、赤紫の花々が微かに西日に揺れた。
「貴妃様、髪の毛を切りますよ。よろしいですか」
 仏堂に入るや否や、高力士は左手で楊貴妃の髪の毛をギュと掴み、右手に持った刀でバサッと手際よく切り取った。
「服を取り換えて、宦官に変身して下さい」
 楊貴妃はようやく気が付いて、高力士に話しかけようとしたが、それを遮り、また小声で命令するように言った。
「裸になって下さい。花鈿(かでん)のかんざし、金雀(きんじゃく)の髪飾りもみなはずし、彼女に渡して下さい。宦官の服と帽子を身に着けて下さい」
「はい、わかったわ」
 と、素直に答えた。
 宦官の格好をしていた供の女は、帽子の中に丸めて結っていた髪の毛をバサッと垂らし、女になった。そして、楊貴妃のかんざしを付け、紫のしとねをつけた。
 二人の女は、楊貴妃から宦官へ、宦官から楊貴妃へと素早く変身したが、二人の体つきはちょうど同じであった。楊貴妃三十八歳ながら、その張りのある白い裸体は、昔とちっとも変わらない艶(なま)めかしい凝脂(ぎょうし)の肌であった。小さな仏堂の小さな観音菩薩(かんのんぼさつ)が無表情にこのようすを見つめていた。
「お前の力を借りなければならない時が遂に来てしまった。国家のため、楊貴妃の身代わりになってくれ。」
 高力士は自分の愛人に言った。
「高力士様、今まで受けたご恩は忘れません。覚悟は出来ていますわ。さようなら」
 楊貴妃に変身した愛人は小刀で自分の腹を思い切り突き刺し、身代わりに自害した。
「楊貴妃様、御介錯(ごかいしゃく)致します」
 高力士は甲高い大声で言った。宦官とはいえ男であり、一刀の下に首を切り落とした。床に転げ落ちた顔は血で染まり、長い髪の毛が顔にまつわりついていた。
 カランコロン、カランコロン。
 小さな仏堂の木の床にかんざしが乾いた音を立てて乱れ散った。小さな観音菩薩は無表情のままであった。
「うつむき加減に他人を見ず、前かがみに小股で私の後についてきて下さい。あわてないで、落ち着いて、貴妃様、あなたは宦官です」
 高力士は宦官を伴って仏堂から出た。宦官は丸首で、袖口を絞った着物のような長いゆったりとした夏服を着ていた。服は緑色で、帽子と腰ひもは黒である。宦官の服の色もその位によって決められ、紫は三品、紅は四、五品、緑は六、七品であった。楊貴妃が着用したのは、最下位の宦官の服装であった。
「立派なご最期でした。郭子儀閣下検分お願いします」
 郭子儀は胴体と切り落とされた血塗りの顔を遠くから一瞥(いちべつ)しただけで、顔を背(そむ)け楊貴妃の死を皆に告げた。兵士達は鬨(とき)の声をあげた。宦官達によって遺体は仏堂の裏に穴を掘って手際よく埋められた。

 愛人は実は三年ほど前、西域の戦いで、敦煌(とんこう)の西北、玉門関(ぎょくもんかん)近くの邑(むら)で数人の唐軍の兵士に強姦されかかっているのを、ちょうど通りがかった高力士将軍に助けられた。愛人は敗戦国の卑しい奴隷の女であったが、容姿が楊貴妃に似た美人であった。楊貴妃を玄宗皇帝に紹介した、自身も楊貴妃が好みのタイプだった高力士は、彼女を宦官に化けさせて手元においた。高力士は男の抜け殻であったが、宦官といえども女に興味があり、自分の女としたかった。しかし、いくら権力があるとはいっても、宦官が宮廷内で女官を大ぴらに愛人にするわけにはいかないので、宦官と偽って自分の手元におき愛人とした。それは歪んだ愛であったが、彼女は満足していた。また、何か楊貴妃に災難が有った場合、替え玉として役に立つこともあろうと考えていた。
 誰もがこの目立たない宦官が女であったことには気が付かなかった。
「こんなにうまくみんなを欺くことが出来るとは・・・。女影武者だ。愛人がこんなに役に立つてくれるとは思わなんだ」
 と、高力士は悲しみのうちにも安堵した。
 高力士の後ろをチョコチョコと前屈(まえかが)みに、小股で歩いていった無表情の宦官が、楊貴妃であるなどとは誰も思いもつかなかった。まだ夏だというのに、早くも季節はずれの極楽トンボが宦官の頭にとまり、羽根を休めていた。時は七五六年(日本 天平勝宝八年)六月十五日真夏の出来事であった。
 楊貴妃は馬嵬では死なず生きていた。
 宦官に身を変えた楊貴妃は、ふと朝衡の事を想い出していた。しかし、仲麻呂は日本への海路で遭難しすでに死んでしまったと思っていた楊貴妃は、仲麻呂も奇跡的に生きて長安に還っているとはつゆ知らなかった。
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連載(33)

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     13. 宦官高力士(かんがんこうりきし)の愛


 高力士は思った。
「楊貴妃は朕の妃(きさき)だ。殺したければ、朕の首を跳ねてからにしろ」
 俺が皇帝だったら。そう、大声で恫喝(どうかつ)したであろう。
「それにしても、楊貴妃様、あれほど激しく愛していた皇帝への愛が一瞬にして冷めてしまうとは、女心は男には理解できませぬ」
「女は、同時に多くの男を愛することは出来ません。ただし、いくら激しく愛した男でも、一度嫌いになり、別れてしまえば後は赤の他人、何も未練などありません。新しい男に激しく燃えるものです」
 楊貴妃が悟ったように言った。
「新しい男とはどなたですか」
 楊貴妃はただ微笑むだけであった。
「男は、同時に多くの女を愛することは常ですが、一度激しく愛した女のことは、別れた後でも何時までも忘れず、また逢いたいと未練があるものです」
 高力士はやはり男であった。
 秦嶺(しんれい)の谷川の辺に紫微(しび)(さるすべり)の花が咲き乱れて、水面に映っていた。
「紫微(しび)の花の命は長いので百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれている」
 高力士は沈黙を破って楊貴妃に話しかけた。
「花に百日の紅(くれない)なし」
 楊貴妃は一瞬花を見上げため息を付き、独り言をつぶやいたが、また、うつむき加減に歩きだした。秦嶺の谷間は、夏だというのにヒンヤリしていた。
「紫微の木は皮がなく、つるつるしている。なめらかな木の肌に触れると枝の先まで妖しげに振え動く。高貴な花よ」
 楊貴妃は言った。
「朝衡(ちょうこう)様が生きていれば」
 楊貴妃はまた想い出していた。
 世の中のあまりにも激しいうつろいに呆然としていた高力士は、阿倍仲麻呂が奇跡的に助かったことを楊貴妃に話していなかった。

 高力士は玄宗皇帝の皇太子時代から側近として仕え、玄宗の厚い信頼に答え皇帝の分身として、生涯かげひなたなく仕えた宦官であった。しかしながら、楊貴妃が馬嵬(ばかい)で生きのびたことだけは、その後も秘密にし、誰にも話すことはなかった。
「やつれ果てた楊貴妃には、難所と言われる蜀の桟道(さんどう)を越え、剣南山(けんなんざい)を登ることは難しいな」
 と、高力士は思っていた。ましてや玄宗皇帝一行と更に行動を共にしながら、彼女の身を隠し通せる自信もなかった。
「だからといって安禄山(あんろくざん)に占領されている長安に送り返すことは、更に危険が多い。さあ、どうしよう」
 仲麻呂のいない今、誰にも相談出来ず、誰の力も借りることは出来ない。この難問には、冷静沈着な高力士も思案に暮れた。故郷の近くにいることに気が付いた彼は、ふと子供のころ世話になった大雲寺(だいうんじ)の住職の顔を思い浮かべていた。
「故郷の大雲寺の住職に頼もう。まだ生きているか。とにかく行ってみよう」

 故郷で彼は、忌(いま)まわしい少年時代の悲しい出来事を想い出した。彼の父親はここからほど近い剣南(けんなん)の盗賊の頭領であった。しかし彼が六、七歳のころ、官軍の剣南討伐軍に敗北して殺された。母親は敵軍の兵士により凌辱(りょうじょく)され、その後の行方はわからなかった。一族の主だった者は殺されるか奴隷となった。
「大将、馮王(ふおう)頭領の子倅(こせがれ)はどう始末しましょう」
 剣南討伐使はしばらく考えていたが言った。
「殺すこともなかろう。去勢(きょせい)して則天武后(そくてんぶこう)に献上しろ」
 その場所は覚えてはいないが薄暗い小屋で、少年は裸にされ体中を洗われた。特に陽根(ようこん)と陰嚢(いんのう)はていねいに洗われた。それから白い長いさらしで下腹部、そして太股の付け根をぐるぐる巻きにされた。台の上に坐らされて目隠しされ、二人の男に両足を、もう一人の男が背後から腰を押さえた。男達は皆黒い服を着ていた。
「後悔はしないか。後悔はしないか。」
 刀をもった黒衣の手術執刀人(しっとうにん)の刀子匠(タオツウチャン)が高い声で尋ねた。後悔しないと答えるよううながされて少年は、
「はい」
 と、小さく答えた。
 小さな陽根と陰嚢は曲がった刀で一刀の下に切り落とされた。
 天井から黒と黄色のまだらの蜘蛛(くも)がスーと頭上に落ちてきた。小屋の隙間から射し込んでいる太陽の一筋の光線に蜘蛛の糸が銀色に輝いた。大きな蜘蛛のまだらの尻が少年の目の前で止まった。激痛を感じた少年は失神した。
 傷口は熱い菜種油(なたねあぶら)と灰で止血し、尿道は白鑞(はくろう)で栓をして冷水に浸した藤紙で包んだ。何も食べずに安静にし、三日後、栓を抜き尿があふれ出てくれば成功である。生きるか死ぬかは、およそ五分五分であった。
 少年は目を覚まし直ぐに、刀子匠(たおつうちゃん)に毅然として言った。
「僕の宝(パオ)は何処にありますか」
 刀子匠は黙って棚の上を指さした。
「あれは僕の物です。返して下さい」
 少年は涙を浮かべ、宝(パオ)を離さなかった。
 高力士は則天武后のもとで宦官として仕えることとなった。その後、めきめきとその才能を発揮し、玄宗皇帝に信頼され寵愛されることになった。
 ちなみに、宦官は常人と異なり尿を垂れ流すため悪臭を放っていることが常で、遠くからその存在がわかったという。その中で、高力士は尿をおのれの意思で出したり、留めたりすることに大変な努力を払い成功した。
 あらゆることを命懸けで盲目的に中国から吸収した日本人だったが、宦官と纏足(てんそく)の二つの負の文化だけは、決して中国から受け入れることはなかった。しかし、中国においては近代まで千年以上の間、生き続けていたのであった。
 ちなみに、道教と城壁もなぜか受け入れることがなかった。日本人は取捨選択をしていたのである。
           
 長安も洛陽(らくよう)も陥落し、玄宗皇帝は楊貴妃を守ることすら出来ず、権力を失い、年老いた。
「これ以上皇帝に従い、蜀まで落ち延びて忠誠を尽くしても希望はない。もういいだろう、楊貴妃と二人で逃亡するぞ。いずれ殺される身であった楊貴妃だ、俺と逃げてくれるはず。二人で新しい人生をやり直そう」
 高力士はなぜか夢の中で仲麻呂に話しかけていた。
 男を失っても女を愛することを忘れない哀れな宦官であった。人を愛する優しさも忘れてはいなかった。
「しかし、俺は本当に楊貴妃を幸せに出来るのであろうか」
 あれやこれやと思いをめぐらしたが、なかなかよい考えが浮かんでこなかった。少年時代の悲しみを背負ったまま、暗い人生を生き抜いてきた。世の中の裏を渡り歩いて、遂に盗賊の子から一品官である驃騎(ひょうき)大将軍まで登りつめた。地位と財産は手に入れたが妻も子もなく、心を割って話せる友は阿倍仲麻呂ただ一人であった。彼は常に物事を冷静に正しく判断する、優れた才能を持っていたが、いつも孤独であった。
「朝衡。わしは嶺南(れいなん)(広東、広西)の豪族領主馮王(ふおう)の孫であるぞ。故あって、父は剣南の地にて憤死し、わしは囚われこのような体にされた。好きこのんでなったのではない。宝(パオ)はなくてもわしは男だ」
「高力士殿。貴殿は男だ。心に宝を持っている」
 阿倍仲麻呂と酒を飲んだ時、高力士は酔ってくるといつも口癖のように言った。
「そうだ。俺は男だ」
「高力士殿は大唐国の諸葛孔明(しょかつこうめい)よ」

「楊貴妃を愛している男はこの世に四人いる。俺の他は玄宗皇帝、安禄山、そして朝衡(仲麻呂)だ。楊貴妃が愛している男はこの世に二人いる。玄宗そして朝衡だ。しかし玄宗皇帝との愛は馬嵬で終焉(しゅうえん)を迎えた」
 男の抜け殻は冷静に分析した。

 馬嵬(ばかい)の変で楊国忠一族、楊貴妃が殺されたことは翌日すぐに長安に届いていた。
「楊国忠も楊貴妃も死んでしまったのか。であれば、今更、わざわざ追ってを差し向けることもなかろう」
 安禄山(あんろくざん)は目標を失い、拍子抜けした。憎い楊国忠を殺し、愛する楊貴妃を連れて帰りたかったのである。
「楊貴妃が殺されたとは何ということか」
 安禄山は戦争の目的と共に生き甲斐を失ってしまった。涙と憤りがこみ上げて止まらなかった。そして、酒に溺れた。
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2011年12月12日

連載(34)

hounenji.jpg  (連載34)

 高力士は玄宗と郭子儀(かくしぎ)に相談した。
「安禄山はこちらに追っ手を出さないとの確かな情報であります。これからは難所の蜀の桟道(さんどう)を越えなければなりません。食料と水を十分揃え、付近の様子も確認する必要があります。三日ほど、当地扶風(ふふう)で休息を取った上、準備万端整えてから、蜀に向かうことにしたらどうでしょう」
「馬嵬(ばかい)の悲劇で皆、兵士達も心身共に動揺している、追っ手が来ないのであればここはひとまず休んで体勢を立て直すことが第一だ」
「しかし、これだけの大所帯が宿営する場がこの辺りにありますか」
 と、郭子儀(かくしぎ)も高力士の考えに同意して尋ねた。
「皇帝陛下、ここ扶風(ふふう)の地には法門寺(ほうもんじ)が御座いますよ。ここで旅の疲れを癒すことにしましょう」
 高力士は部下へ食料の調達、旅の支度を手際よく指示した。また郭子儀に軍、兵隊の再編を整えるよう指示した。
「郭子儀殿、私は後方に戻って長安の動向を自分の目で確認し、三日目には必ず戻ってきます。今一番肝心なことは、安禄山一味が何を考えているかを正しく掴むことです」
「貴殿のいう通りだ。よろしく頼みます」
 日もまだ開けぬ翌日の早朝、高力士は赤毛の馬にまたがり、剣南へと向かった。馬上の後ろには、緑の衣服の一人の宦官が乗っていた。長安には信頼のおける他の宦官を自分の代わりに送り込んだ。

「高力士様、どこに行かれるのですか」
「楊貴妃様、剣南の大雲寺に行きます。しばらく彼の地に隠棲(いんせい)して下さい」
 楊貴妃は馬上で高力士の腰に両手を回してしがみついていた。馬が揺れる度に楊貴妃のふくよかな胸が高力士の小さな背中にあたった。高力士は本当に女を愛することが出来た喜びで一杯であった。命に賭けて彼女を守りたいと思った。
 この剣南の地は昔、高力士が過ごした故郷であった。
「川も、丘も、林も、昔のままだ。ちっとも変わっていないな」
 大雲寺の住職は高力士の少年時代をよく知っていた。もう八十になろうかと思われる老齢の禅宗の僧侶であった。寺は寂れて夏草が生い茂り陰陰(いんいん)としていた。
「高力士殿、懐かしいな。ご立派になられたのう」
 白髪の住職は五十年振りに、かっての高力士少年を見て目を細めた。彼が宦官にされたこと、また、唐の高官として活躍していることも全て知っていた。
「お久しぶりです。住職様もお元気で何よりです。長安が陥落したため、我々はこの近くを通り、迂回しながら蜀へ落ち延びていく途中であります」
「それは難儀なことじゃ」
「住職さま、この宦官は戦禍のもと心身共に病んでいます。蜀の桟道の難所を越すのはとても無理な体と思われるので、お手数お掛けしますが迎えの者が来るまで、しばらく誰にも内緒にして、寺でかくまってやって下さいませんか」
「高力士殿、おわかり申した」
 かなりの金を渡し頼んだ。住職は何も聞かずに快く引き受けてくれた。住職の髪の毛、髭、眉毛は全て真っ白で仙人のようであった。
「高力士様、何時迎えに来てくれるのですか」
 すがるような眼差しで、楊貴妃は心細げに問いかけた。
「何時、誰が迎えにくるか分からないが、万一、今年が無理であっても、来年の春までには、必ず誰かが迎えに来る。安心して待っていて下さい」
「誰かとは・・・ 高力士様ではないのですか」
「誰も来ない時には、私が必ず迎えにくる。楊貴妃様、心配しないで下さい」
 朝衡(ちょうこう)(阿倍仲麻呂)殿が迎えにくると、口から出かかったが、思いとどまった。
 高力士は目に涙をいっぱい浮かべてなぐ慰め、楊貴妃も涙をいっぱい浮かべてうなずいた。これが二人の最後の別れとなった。

 楊貴妃を置いて寺を去る前に、高力士は一通の手紙を仲麻呂にしたためた。
 手紙には一片(ひとひら)の五言絶句(ごごんぜっく)の詩が書かれているだけであった。その手紙には大雲寺の庭の楓の葉を一片添えてあった。魚の形をした封筒に入れて、二度に分けて送り届けさせた。古の漢の時代より恋文は楓の葉に書きとめ、魚に頼んで届けてもらうと言い伝えられていた。
 高力士は李白(りはく)の五言絶句を想い出しながら書き留めた。
「あいつの詩を使おう」
 高力士は阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に仕えた時からの長い友人であった。李白も朝廷に仕えた時以来、仲麻呂とは親しい友人であった。しかしながら、高力士と李白はどういう訳か最初から生理的に肌が合わなかった。ただし、高力士は李白が嫌いであったが、彼の詩は好きであった。口には出さないがむしろ高く評価していた。

    傾国に代わりて蓬莱(ほうらい)の人に寄す

    美人珠簾(しゅれん)を巻き
― 美しい人が珠(たま)の簾れを巻き上げている ―
    深く座して蛾眉(がび)をひそむ
― 部屋の奥深く坐って蛾眉のような眉をひそめて ―
    ただ見る 涙痕(るいこん)の湿(うるお)うを
― ただ見れば、涙のあとがぬれたまま ―
    知らず 心に誰(たれ)をか待つを
― 一体、誰が迎えに来てくれることを待ち望んでいるのか ―

 剣南(けんなん)の故郷の寺にて 馮王(ふおう)より
 
「よし、これでよい。もしも、万一手紙を紛失したり、盗まれたりしても朝衡以外の人には、内容がわからないであろう」
 高力士は常に慎重で万全であった。楊貴妃がこの世に生きていることが万一、世間にわかったらたいへんなことになる。しかし、仲麻呂だけには正しく用件を伝えなければならない。
 しばらく考えていたが、李白の詩の最後を「恨むを」を「待つを」と書き換えた。楊貴妃の気持ちを高力士が代わって詠った阿倍仲麻呂への文である。
「朝衡(仲麻呂)は誰からの恋文かきっと理解してくれるだろう」
 仲麻呂殿が迎えに来るかどうかはわからなかった。彼が来なければ自分が迎えに行くことに決めていた。仲麻呂がむしろ来ないことを願っている気持ちもあった。しかし、彼は必ず迎えにくると信じていた。阿倍仲麻呂の楊貴妃への愛がそれだけ強いことを高力士はよく知っていた。
 蜀の山々で東と西の季節風がぶつかり合い多くの雨を降らせた。昼と夜の気温差が大きく霧が多かった。大雲寺は竹林の霧の中にかき消された。林の奥に鹿が一頭、動かずに、じっとこちらを見つめていた。金糸猿(きんしこう)の鳴き声が全范山(ぜんはんざん)に悲しげに鳴き渡った。

 楊貴妃を大雲寺の僧にあずけ、引き返してきた高力士は、その後、玄宗皇帝に従い蜀に行幸(みゆき)した。雨の音と馬の鈴の音が蜀の桟道に悲しい協奏曲のように響き渡った。途中、扶風(ふふう)で皇太子一行は玄宗皇帝と別れて北の霊武県(れいぶけん)に進んだ。霊武県に従った武将郭子儀は北方の部族を征服し、兵力を整え、強力な軍隊を指揮することになった。
 皇太子はここで皇帝につき、唐国第七代粛宗(しゅくそう)を名乗った。七五六年、年号は至徳元年と改められた。玄宗は太上皇(だいじょうこう)となり、開元の時代は終わった。
 粛宗は郭子儀を副元帥に任命し、翌年の秋、長安を奪回させた。強力な北方のウイグル族の騎馬隊を配下に従えて一気に長安、洛陽を制圧した。反乱軍は浮かれていた。
「戦わずとも、燕軍(えんぐん)は内部から崩壊してしまったわ」
 その時、すでに反乱軍は内紛を起こしていた。安禄山は息子とその側近の宦官に殺害されていた。息子は父の同士に殺され、反乱軍は内部から崩壊していった。
 蜀に下っていた玄宗太上皇、高力士等も七五七年(日本 天平宝字二年)の正月には一年半ぶりに長安に帰った。楊貴妃を失った玄宗はすっかり気力を失い、楊貴妃の亡霊と共に生きていた。玄宗皇帝の時代は終った。
「高力士よ、楊貴妃がいない人生はつまらないのう」
高力士はとぼけて答えた。
「そうですね」

 かっては高力士の部下であった宦官が粛宗に取り入った。粛宗の妻と組んで権力を握るようになった。元部下にとって高力士は目の上のたんこぶで邪魔になった。彼の諫言により高力士は巫州(ふしゅう)(湖南省)に流された。
 しかし、次の皇帝代宗(だいそう)の時代になって高力士は恩赦をうけ長安に帰ることとなった。高力士は巫州から長安に帰る途中朗州(ろうしゅう)で玄宗上皇が亡くなったことを知った。ちょうど、長安から郎州に赴任してきた官吏に尋ねた。
「玄宗上皇はまだお元気ですか」
「上皇は粛宗が亡くなられた少し前に崩御なされました」
「そうですか。ところで、日本人の秘書監(ひしょかん)朝衡殿はお達者か」
「朝衡殿はお元気のようですよ、風の便りによると美しい女人を娶って、終南山(しゅうなんざん)の麓で静かに暮らしているとのこと」
「美しい女人とな。それはよかった。もう我の出る幕ではないわ」
 高力士は微笑をうかべ、おのれに言い聞かせるように言った。
「もしや、あなた様は先の驃騎(ひょうき)大将軍、高力士様では御座いませんか。大変失礼致しました。長安へお送りするよう手配いたします」
「玄宗上皇のいない長安に今更この老体をむち打ち帰って、何になるものか」
「では如何に致しましょうか。ご下命ください」
「一碗の芹粥(せりがゆ)を所望(しょもう)いたす」
「おやすいご用です。しばらくお待ち下さい」
 ただちに熱い粥が用意された。塩味の粥にさっと湯を通したひとつまみの芹がのっていた。
「おお、これはうまい。久しぶりだ。都の香りよ、京の風味よ」
 高力士は彼の地で自ら七十九歳の命を絶った。小さな宦官の大きな人生が終わった。当時、四千人以上の宦官がいたと言われるが、その頂点に立った男であった。妻も子もいない一人の淋しい旅先の宦官の死であった。彼は臨終に一言、遺言を残していった。
「ここに俺の宝がある。必ずもとの通りに縫いつけ、男として葬ってくれ」
 彼は生涯、玉(ぎょく)の器に油と香料と防腐材に浸した小さな宝を肌身離さず大切に持っていた。
「俺は男だ」
 高力士は遺言通り、男に戻って、玄宗皇帝の陵(みささぎ)に陪葬(ばいそう)された。
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2011年12月14日

連載(35)

daiunji.jpg  (連載35)

       14.楊貴妃と仲麻呂の再会


 まだ高力士が生きているころのことである。阿倍仲麻呂と藤原清河(きよかわ)が遣唐使船で日本に帰国するため揚州(ようしゅう)の港を出航したのは、七五三年(日本 天平勝宝五年)の暮れであった。難破し、遠く安南(あんなん)(ベトナム)の地まで漂流したが、無事長安に戻ってきたのは、一年半後の夏であった。
安録山(あんろくざん)が范陽(はんよう)(北京)にて謀反を起こしたのはそれから数ヶ月後、同じ年の十一月であった。洛陽が陥落したのは十二月で、続いて長安が陥落したのは、翌年の六月であった。

「朝衡、よく生きて還ってきたな。天はお前を日本に帰したくなかったのであろう」
 高力士が笑みを浮かべって言った。
「そうかもな、また貴殿に逢えるとは」
「楊貴妃様も喜ぶことであろう」
「天子様と楊貴妃様はお元気か」
「ああ、お元気だが・・・、ことによっては都を落ちなければならない」
「なんと、都落ちとは。どこへ」
「わからぬ。安録山のやつが謀反を起こし、あっというまに洛陽が占領された」
 高力士が教えてくれた。
「遂に破局を迎えたか。安録山の謀反は玄宗にではなくて、楊国忠への反発であろう」
「そうだ。お前が去ったあとの唐国は瀕死の状態だ」
「生きてやっと長安に還ってきたが、長安も危険だとわ・・・」
「このままだと長安も危ない」
「どうしたらよいだろう」
「朝衡(ちょうこう)、ひとまず南下し襄陽(じょうよう)(長安の南、湖北省)辺りで、休養しながら身の安全を図る方がよい」
 仲麻呂は長安に落ち着く暇もなく、襄陽へと下った。襄陽のすぐ南にある研山(けんざん)の麓の寺に身を隠した。高力士の手紙を受け取ったのは翌年の早春、この襄陽の地でのことであった。
「おお、李白の詩だ。これは高力士殿からの手紙に間違いない」
 季節はずれの、乾いた一片の楓の葉が手紙の間から、襄陽の春風にひらりと舞い落ちた。
「戦乱の下、ここまで手紙が届くまでにかなり時間がかかったようだな」
「傾国(けいこく)とは・・・楊貴妃だ。楊貴妃しかいない。しかし、楊貴妃は馬嵬(ばかい)で死んだと聞いている。実は生きているのか、まさかそんなばかな、いずれにしろ何かある」
 彼は興奮した。
「とにかく、あいつの故郷、剣南(けんなん)の寺に急いで行ってみよう。何かがわかるだろう。楊貴妃が身を隠し生きていてくれれば」
 そんなことはまさか・・・と思いながら、五十七歳の仲麻呂は少年のように胸が高鳴った。男は幾つになっても女を愛することを忘れない。

 仲麻呂は襄陽を後にして、先ず長安へと急いだ。彼は楊貴妃がこの世に生きていると信じた。目の前が明るくなり、高揚した。
「そうだ、楊貴妃に衣裳と薬を持っていこう」
 二十年の禁断の愛が叶えられようとしていた。
 仲麻呂は一揃えの衣服と新茶を手に入れるため長安の西市に走った。安録山に占領されていた長安は荒れ果てていたが市場は活気を取り戻し始めていた。西市の綵棉行(さいはくこう)をかたっぱしから歩いて回った。
 山吹色の透けた羅絹(うすぎぬ)の羽衣(はごろも)。橡(つるばみ)(黒に近い灰色)の帯。そして最後にやっと、
「おお、これだ。これだ」
 二藍(ふたあい)の濃淡に柘榴(ざくろ)の花模様をあしらった六尺ほどある風衣(ふうい)をウイグルの女の店で遂に見つけた。
「これらに緋(ひ)のあしぎぬを付け加え、楊貴妃のために一揃えの衣服を揃えよう」
 日本から四十年前持ってきた緋のあしぎぬを一反だけ残しておいたのである。それは美濃のあしぎぬであった。小石丸(こいしまる)という小さな繭(まゆ)を原料として織った貴重な物である。染料には天然の茜(あかね)の根を使い五十回以上染め直し、いくぶん黄色味を帯びた鮮やかな深い赤を創り出した。これがあの光沢のある緋色(ひいろ)のあしぎぬであった。
「日本から持ってきた緋色のあしぎぬが、あの時見た、阿環(あかん)の長裙(ちょうぐん)(ワンピース)の赤と同じだ。楊貴妃には緋色のあしぎぬがよく似合う。夏の光に照り映えていたあの赤だ」
 仲麻呂は二十年前初めて楊貴妃を見染めた、その姿が瞼(まぶた)に鮮明に焼き付いて離れなかった。
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「あの時の、あの服を着せよう」
 仲麻呂はその時の彼女の姿を再現したいと思い、一揃えの衣服を楊貴妃に贈るため作らせた。
 楊貴妃が大好きだった湖州紫笋(こしゅうしじゅん)の新茶も市場で手に入れることが出来た。
 その服一式と茶をたずさえて、剣南(けんなん)の地、高力士の故郷の大雲寺に急いだ。
「楊貴妃は本当にこの世に生きているのであろうか」
 道中、半信半疑で何回も自問自答した。もう春が過ぎ、初夏になっていた。
「急がなければ」
 気がせいた。
 剣南の緑の森に荒れ果てた大雲寺が埋もれていた。楊貴妃は春が過ぎて待ちくたびれていた。不安がつのりつつある初夏の日、ひづめの音を聞いた。胸騒ぎがした。阿倍仲麻呂が新緑の細道を白馬に乗って、緑をかき分け大雲寺に現れた。竹の葉におりた露が白衣をぬらした。仲麻呂は激しくときめいた。

「ああ、白衣と白馬。蓬莱(ほうらい)の人だわ。まさか、いえ間違いないわ。あの最初の出逢いと同じだわ。あなたが迎えにきてくれるとは。亡霊ではないでしょうね」
「おお、楊貴妃様、なんとご無事で」
「朝衡様が生きているとは。これは夢ではないでしょうね。朝衡様、逢いたかった。ああ、こんな格好で、恥ずかしいわ」
 宦官の服装のまま楊貴妃は仲麻呂の胸にもたれ、崩れ落ちた。仲麻呂は強く抱きしめた。涙が止めどもなく流れて止まらなかった。楊貴妃は、阿倍仲麻呂が遣唐使船で日本に帰国時、遭難して亡くなったと、聞いていた。その後の情報は何も知らなかった。一方、仲麻呂は、楊貴妃が馬嵬で非業の死を遂げたと聞いていた。
「ああ、一番来て欲しいお方が来てくれた。朝衡様、声を出して下さい。幻ではないですね。暖かいわ。本当に夢ではないですね」
 楊貴妃は小さな手で、仲麻呂の硬い腕、大きな肩に触れた。そして彼の衣服を掻き分け手を差し入れ、厚い胸を直に撫ぜまわしながら言った。
「楊貴妃様がなぜここに。馬嵬で亡くなってはいなかったのですか」
 仲麻呂は楊貴妃が生きていて欲しいと強く望んでいたが、まさか、本当に生きているとは思ってもいなかった。
「世間では死んだと伝えられている二人がこの世で逢えるとは」
「信じられない、奇跡だ。黄泉(よみ)の国での再会ではないな」
「ああ、胡蝶(こちょう)の夢でしょうか」
 まさに奇跡の再会であった。水のなかを漂っているような、雲の中を歩いているような、二人は抱き合ったまま、離れることがなかった。初夏の長い日も暮れようとしていた。燃えた仲麻呂の体から冷えた楊貴妃の体に熱が流れ込むようだった。
 仲麻呂は手紙を楊貴妃に渡した。楊貴妃は一読して言った。
「おお、これは私の手紙だ」
 手紙の間から一片の乾いた赤い楓の葉が緑の風にひらりと舞い散った。楊貴妃は涙を流した。高力士が自分の想いを代わりに書いてくれた手紙だと、すぐ理解した。
 元気を取り戻した楊貴妃は、想い出したように仲麻呂に尋ねた。
「ところで最初にお逢いした時、なぜ、私の名前をご存じでしたの」
 仲麻呂はそれには答えず、自分の腰に付けていた金の鳳凰(ほうおう)のかんざしを外し、楊貴妃の髪の毛に刺し、髪の毛をそっと優しくなぜた。
「遅くなったが、かんざしを返します」
 それは二十年前楊貴妃から貰った金のかんざしであった。そして、仲麻呂は一揃えの服を楊貴妃に渡した。
「どうか水浴びをして、この服に着替えてください」
 楊貴妃は素直にうれしそうにうなずいた。
「ええ。過去を全て、洗い流したいわ」  
 初夏の大雲寺には薄紫の藤の花が咲き乱れ、その香りに二人は包まれていた。廃屋(はいおく)は深閑として誰もいなかった。
 彼女は薄汚れた濃い緑の宦官の服をそっと脱ぎ捨て、全裸になった。新緑に白い裸体が浮き上がり、肢体に藤の紫が陰を落とした。仲麻呂は寺の井戸の水を汲んで楊貴妃にかけた。
「ああ、冷たくて、気持ちがいい」
 仲麻呂は大きな長い指で、楊貴妃の肢体を隅から隅までやさしくなでながら、きれいに洗い清めた。すべすべとした柔らかい肌であった。
 長い指は黒髪を静かに撫で始めた。目を薄く閉じ静かに息づく。仲麻呂はひざまづいた。
 指は優しくうなじ、胸、腹、下半身へと動く、しなやかな指は膨らみからくぼみへとていねいにぬぐう。恥ずかしそうにあえいだ。
 盛り上がった硬い腕の筋肉が楊貴妃の胸に強く触れた、小刻みに震える乳房、はりだす乳首、心地よく波打つ腹、激しく悶え始める息づかい。
「ああ。ああ」
 透き通るような白い肌が薄紅に変わっていく。急いで裸の肌に、直接、薄い二藍(ふたあい)の風衣(ふうい)をまとった。
「美しい。昔と少しも変わていない」
 仲麻呂は思わず、紅梅色(こうばいしょく)に透けて見える絹の上から、その大きな手で肩から乳房へとそっと触れた。阿環は紫微(しび)(サルスベリ)の木のように震えた。そして仲麻呂の胸の中に顔をうずめた。仲麻呂はしっかりと受け止め、強く抱きしめた。庭の鳳仙花(ほうせんか)の種がはじけて散った。楊貴妃の体は激しく熱く燃えていた。
 楊貴妃は宦官から女に戻った。そして、楊貴妃から阿環(あかん)に戻った。
 絢爛(けんらん)と虚栄の残滓(ざんし)は全て洗い流された。脱皮の苦しみは陶酔でもあった。
「楊貴妃様。生きていてよかった」
「朝衡様。楊貴妃は馬嵬で亡くなりました。私はもう貴妃ではありません。これからは阿環(あかん)と呼んで下さい」
「阿環。逢いたかった」
「朝衡様。わたしもです」
 そのまま、何時までも二人は、むさぼるように抱き合い、求め合った。
 太陽の光りで彼女の身体は輝いていた。胸から腹部への微妙な起伏の曲線が美しい陰影を創りだしていた。
 日が傾き、急にひぐらしが鳴き始めた。二十年前の、長安のあの夏の日と同じように。
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