2011年11月25日

登場人物


阿倍仲麻呂(あべのなかまろ):
 717年遣唐使留学生 唐王朝高官となる 中国名朝衡(ちょうこう)
阿倍比羅夫(あべのひらふ):
 白村江(はくすきのえ)の戦いの日本軍大将 敗戦し唐国捕虜
阿倍宿奈麻呂(あべのすくなまろ):
 阿倍比羅夫の第一子 阿倍安麻呂、阿倍楓麻呂の兄 
阿倍安麻呂(あべのやすまろ):
 阿倍比羅夫の第二子 阿倍宿奈麻呂の弟 
阿倍楓麻呂(あべのかえでまろ):
 阿倍比羅夫の第三子 比羅夫と玉蘭の子 日本への海路で非業の死
安禄山(あんろくざん):
 ソグド人 安史の乱の首謀者 一時洛陽長安を占領 
王維(おうい):
 偉大な詩人 阿倍仲麻呂の友人で同年 科挙(かきょ)の同期生
王氏(おうし):
 高宗の皇后 則天武后に陥れられ皇后の地位を失う
大伴古麻呂(おおとものこまろ):
 武人 鑑真和上密航の立役者 
哥舒翰(かじょかん):
 ソグド人 唐の名将軍 潼関(どうかん)の戦いで安禄山に敗北
鑑真和上(がんじんわじょう):
 高僧 六回目日本渡航に成功 唐招提寺建立仏教興隆に貢献    
吉備真備(きびのまきび):
 717年遣唐使留学生 阿倍仲麻呂の友人 右大臣 
玄宗皇帝(げんそうこうてい):
 712年唐王朝六代皇帝 楊貴妃を寵愛
高力士(こうりきし):
 玄宗皇帝の側近宦官(かんがん) 馬嵬(ばかい)の変にて楊貴妃を救出する
玉蘭(ぎょくらん):
 高宗の皇后王氏の侍女 比羅夫と結ばれる
小喜(しょうき):
 則天武后の侍女 玉蘭に殺される
僧弁正(そうべんしょう):
 702年遣唐使渡来人 唐女と結婚 秦朝元の父
僧思託(そうしたく):
 鑑真の愛弟子 和上と日本へ 日本で楊貴妃と再開
僧祥彦(そうしょうげん):
 鑑真の愛弟子 日本行きに従うが若くして死亡
僧如海(そうじょかい):
 偽坊主 新羅の間者 鑑真の日本行きを阻止 
僧無一(そうむいち):
 新羅青年僧 楓麻呂の友人 楓麻呂の遺品を阿倍家に届ける
僧普照(そうふしょう):
 遣唐使留学僧 鑑真日本招聘に尽力する 共に帰国する
僧栄叡(そうようえい):
 遣唐使留学僧 鑑真日本招聘に尽力するが唐にて死亡
則天武后(そくてんぶこう): 
 高宗の寵愛を受け権力の座につく中国一の女帝
狄仁傑(てきじんけつ):
 唐国宰相 阿倍比羅夫を厚遇し玉蘭を紹介
羽栗吉麻呂(はぐりのよしまろ):
 阿倍仲麻呂の兼従(けんじゅう) 唐女と結婚 翼と翔の父
羽栗翼(はぐりのつばさ):
 遣唐使准判官 阿倍仲麻呂の妻(楊貴妃)を日本へ
羽栗翔(はぐりのかける):
 藤原清河(きよかわ)迎えに録事で入唐 そのまま清河に仕える
秦朝元(はたちょうげん):
 遣唐使判官 弁正の子 天涯孤独の混血児 図書頭(ずしょのかみ)を歴任
藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ):
 光明(こうみょう)と孝謙に取りいって権限を掌握
平群広成(へぐりのひらなり):
 733年遣唐使判官 遭難を潜り抜け7年後奇跡の生還
楊貴妃(ようきひ):
 玄宗の寵愛を受ける 馬嵬(ばかい)の変で殺されずに逃亡し日本に渡る
楊国忠(ようこくちゅう):
 楊貴妃の外戚 宰相となり権力を握るが馬嵬の変で虐殺される
李白(りはく): 
 唐の偉大な詩人 阿倍仲麻呂の友人で同年
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2011年11月26日

連載(21)

rihaku.jpg  (連載21)

 唐盛、この世の春であった。しかし、李白は憂鬱でやりきれなかった。懐疑的であった。美辞麗句で皇帝、楊貴妃を褒め称える、おかかえ宮廷詩人に満足しなかった。
 李白は「清平調詞(せいへいちょうし)」三部作を残し長安を後にした。
「俺は宮廷詩人のままで終わりたくない」
 官吏の生活に挫折し、失意の中にあった。
「権力者の命令に何の疑問も持たずにウロウロ働き、上司にただペコペコ頭を下げ、おのれの昇進と私利私欲に戦々恐々と明け暮れる人生は、俺にはもういらない」
 彼はようやく手に入れた官吏の職を、惜しげもなく投げ捨て、二年間の宮廷生活に別れを告げ、再び、旅に出てしまったのである。
「残れと言っても出ていく男だ。去るがよい」
 詩歌管弦に長けた芸術家肌の皇帝は、李白をことのほか気に入っていた。
「李白、褒美(ほうび)にこれを持っていけ」
 と、皇帝は「手勅(しゅちょく)」を李白に書き与えた。そこには次のように書かれてあった。
「酒中の仙、李白の酒代は朕が払う。  玄宗皇帝」
 唐国何処に行っても彼の酒代は、ただになったのである。
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 李白が長安を去る前のある日、阿倍仲麻呂は友人の王維(おうい)と共に眼中の人、李白を訪ねた。李白は例によって、平康坊(へいこうぼう)花街北里(ほくり)にある「大地回春(だいちかいしゅん)」と云う居酒屋の苑(えん)にいた。仲麻呂は是非この大詩人が去る前にもう一度逢いたいと思っていた。仲麻呂は彼の詩についていつも賞賛した。
「李白の詩は一幅の絵を描くことが出来るように色鮮やかで美しい。しかし、一幅の絵の中には収まらず、はみ出してしまうほど雄大だ。天から地を駆けめぐり、幅があり、深さがある。そして、明るくて、力強い。森羅万象を描き上げている」
「おお、朝衡か」
 すでに酔っていた李白は、白衣の懐から折り畳んでいた一枚の紙を取り出し、黙って開き朝衡に渡した。真っ赤な紙で、広げると縦一尺、横六寸ほどの大きさで、金色で大きく字が書いてあった。
―天上の謫仙人(たくせんにん) 李白―
 それは、顔真卿の筆であった。赤箋(こうせん)の名帖(めいちょう)(昔の名刺)であった。
「謫仙人とは」
 王維が聞いた。
「仙人界の天上で罪を犯し、人間界の地上に落とされた仙人のことよ」
「我を人呼で、天上の謫仙人なりと」
 李白は自分のあだ名が気に入っているような口振りで、言った。
「酔いどれ謫仙人か、なかなかいい名前ではないか。ぴったりだ」
「おお、我もそう思うぞ」
「天上で何の罪を犯したのだ」
「知れたことよ。酒の飲みすぎだ」
「謫仙人とは、誰が、一体名付けたのか?」
 感心しながら王維が笑って聞いた。
「四明(しめい)の狂客(きょうきゃく)よ」
「四明の狂客とは誰のことか?」
「秘書監(ひしょかん)、賀知章(がちしょう)殿(偉大な詩人)のことよ」
「さすが、巨匠、賀知章が命名ですか。しかし、病に伏していると聞いているが」
「四明の狂客も七十八歳だ」
「別名、『臣(われ)は是れ酒中の仙』とも呼ばれている」
「それは誰が名付けたのですか?」
「杜甫(とほ)、やつよ」
「たくさんあだ名があってよろしいですね」
 仲麻呂が言った。
「李白殿、朝衡も蓬壺(ほうこ)(蓬莱と同じく東方の海中にあると言われている島)の仙よ」
 王維が冗談で言った。
「蓬壺の仙(ほうこのせん)、不老長寿の仙薬を持っているのか。俺にも分けてくれ」
 李白が仲麻呂に言った。
「申し訳ない。今、手持ちがない」
 と、仲麻呂が笑って答えた。
 かって、道士の修行を積んでいる李白は不老不死の薬に大変興味を持っていた。
「王維。貴殿は山河に座す終南山(しゅうなんざん)の仙であろうが」
 とって返して朝衡が言った。王維は長安の南にある、終南山に庵を持っていた。
「そうだ、南山の白雲の仙(はくうんのせん)だな」
 王維は「白雲」と、云う言葉が好きで、彼の詩によく出てくることを皆が知っていた。李白が揶揄(やゆ)して言った。皆はどっと笑った。
 三人とも同じ四十三歳の世を憂う若き仙人であった。阿倍仲麻呂は当代を代表する天才的文化人と親しく交流していた。
「鳥魯木斉(ウルムチ)の美人かみさん、馬舎(ばしゃ)の銀杯を三個持ってきてくれ。それと、吐魯蕃(トルファン)の一番上等な葡萄酒一本たのむぞ。一番上等なやつだ」
「お友達ですか。どうもいらっしゃい。賑やかで結構なことですね」
「我らは三仙人様よ」
「仙人にしたら、皆さんまだお若いですよ」
「かみさんも若くて綺麗だぞ」
「そしたら私も、花街北里(ほくり)の仙女ね」
 いぶし銀の高足銀杯(たかあしぎんぱい)は高さ二寸半,口径二寸ほどの大きさで、猟銃の文様が彫られてあった。草原で狩人(かりうど)が猪、鹿、狐を追っていた。西域の影響を受け文様化されていたが、躍動感があった。
「これは李白殿の銀杯ですか。なかなかのよい作りですね」
 朝衡は重量感を確かめながら銀杯をもちあげて眺めた。
「これは老名工、馬舎(ばしゃ)の最高傑作品よ。詩を詠ってやったら、代わりにあいつが俺にこれをくれた。まあ、一杯飲んでくれ」
 李白は二人に吐魯蕃(トルファン)の葡萄酒を注いだ。
「乾杯だ」
「うまい酒だ」
 三人は意気投合し、一気に飲み干した。空になった銀杯の底に「馬舎」の二字が現れた。馬舎は当代一の銀彫りの巨匠であった。
「李白、また旅に出ると噂されているが、本当か、やっと手に入れた仕官の道だ。辛抱してもうしばらく勤めたらどうか。お前なら昇進の道も開けてくるであろう」
 王維が引き留めた。
「皆寂しがる、謫仙人よ。もう少し、長安にいたらどうですか」
 朝衡も付け加えた。
「ありがとうよ」
 しばらく間を置いて、大分酔いがまわっていた李白が詠うように大きな声で言った。
「人の世の誉と富などというものは、ほんの一時の塵のようなものさ。そんなものが、永久(とこしえ)に在るならば、揚子江の水が東から西に逆流することよ」
 朝衡も酔っていた。勢いよく言った。
「そうだ、そうだ、まったくだ。人生、朝露のごとし、何ぞ自ら苦しむことかくのごとき」
 王維も我負けじと詠った。
「この世は全て白雲のごとくはかないものよ。とやかく左往右往するほどのこともないさ。俗世をはなれ東西南北の人(各地を漂泊する人)とならん」
「共にあるのは・・・月と酒と俺の影だけよ」
李白はつぶやいた。
 東方の世界における希代の天才三人は夜が明けるまで飲み明かした。
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連載(22)

rihaku-uta.jpg  (連載22)

 李白が長安を後にしたのはそれから数日後のことであった。再び流浪の旅にでて間もない頃、彼は太原(たいげん)に現れた。街の群衆の中で護送されていく若き武将と目があった。その澄み切った青眼(せいがん)の軍人には英雄の相があった。李白はそれを五感で感じた。
「あの囚われの男は誰だ」
 群衆に聞いた。
「隴西節度使(ろうせいせつどし)、哥舒翰(がじょかん)将軍の部下ですよ」
「何故に身柄を拘束されたのか」
「軍律を犯した罪で死罪になるとの噂だ。刑の執行のため、隴西節度使の軍営に護送されていく途中だ。惜しいことよ。あれほどの男を死刑にするとは」
「何の罪か?」
「上司が軍の食糧を横流していることを正したところ、逆に放火の罪をなすりつけられ、陥れられたとのことらしい」
 当時はいかなる理由にせよ大切な軍の食糧を盗まれたり、略奪されたりした罪は大きい。死罪であった。
 李白は急いで、軍営に哥舒翰将軍を尋ねた。酒好きな将軍であった。
「あの男を死罪にしてはいけない。酒蔵を焼失したのであればともかくも、食糧より武将の命の方が大切であろうが。天下一の大将軍といわれるお人であればその程度のことは、ご存じであろうが」
 将軍に直訴した。
「お前は誰だ」
 横柄な男に対して、哥舒翰が横柄に聞いた。
「我は李白である」
 彼は富も地位もないが、大詩人としてその名は唐国の隅々まで行き渡っていた。
「おお、お前が酒中の仙、李白か。ハハハ。我は酒中の将(しゅちゅうのしょう)、哥舒翰である」
 李白の死罪罷免の嘆願が通り、若き武将は無罪となった。彼の名は郭子儀(かくしぎ)であった。

 李白は中国東北の地を遍歴していた。それまで留まっていた北の地、幽州(ゆうしゅう)(今の北京の辺り)を後にして、再び、南へと漂泊の旅に出たのは七五四年(日本 天平勝宝六年)のことであった。金陵揚州(きんりょうようしゅう)に入った。そこで彼は朋友から聞いた。
「昨年揚州から三十七年振りに日本へ帰った朝衡は、船が難破し遭難した」
「なんと、朝衡が遭難したと」
 李白はその死を悼(いた)み悲しんで、蜀岡(しょくこう)の大明寺の棲霊塔(せいれいとう)に一人登った。九層(くそう)の頂上より、背伸びして東海の彼方を見つめていた。
「朝衡、お前とここで逢ったのは何時のことであったか」
 欄干の壺を傾け、間近に白雲浮かぶ海に向かい、問いかけた。
「朝衡、お前は今何処にいるのだ。本当に蓬壺(ほうこ)の仙人になってしまったのか。唐国一の高くそそり立つ峻峠(しゅんじ)の九層の塔から眺むれど、東方の海の彼方は、蒼蒼(そうそう)茫茫(ぼうぼう)たるばかりで何も見えぬわ」
 剣(つるぎ)を杖にして立ち、李白は阿倍仲麻呂の死を慟哭(どうこく)し、七言絶句を残した。

    朝卿衡(ちょうけいこう)(仲麻呂)を哭(こく)す

   日本の朝卿(ちょうけい) 帝都を辞し
  ―日本人の朝衡は、帝都長安に別れをつげ―
   征帆(せいはん) 一片 蓬壺(ほうこ)をめぐる
  ―一艘の帆船は、東海の蓬壺をめぐって消えた―
   明月は帰らず 碧海(へきかい)に沈み
  ―明月の様に輝かしかった君は、祖国に帰れず碧い海に沈み―
   白雲(はくうん)愁色(しゅうしょく)蒼梧(そうご)に満つ
  ―悲しみの色に染まった白雲が、蒼梧の山に立ちこめる―

 それからまた数年後、「安史(あんし)の乱」が勃発し、長安は安録山(あんろくざん)によって陥落し、玄宗皇帝は蜀に逃れた。玄宗の子「粛宗(しゅくそう)」は、七五七年(日本 天平宝字元年)反乱軍討伐を企てた。その副元帥(ふくげんすい)として長安を奪回し唐王朝を再び存続させた立て役者は、郭子儀(かくしぎ)将軍その人であった。
 しかし、粛宗が長安に向かう頃、江陵(こうりょう)にいた玄宗皇帝第十六子が新たに反乱の兵を挙げ、勝手に江陵で皇帝に即位し、長安へと兵を進めた。
「巨匠、李白殿、我らは長安に上り天下をとる。共に戦おう。参謀に遇する。ついて参れ」
 と、ちょうど江陵の近くの廬山(ろざん)を旅していた李白は、その名声を利用され担ぎ出された。
「我は漂泊の布衣(ふい)の遊子。すでに政からは足を洗って長い。お断りする」
 と、俗世を離れた五十七歳の白髪の詩人は辞退した。しかし、うまく言い含められ、酒を飲まされ、幕僚に加えられた。李白は訳もわからず、戦争に巻き込まれ、反乱軍に加わってしまった。反乱軍を称える歌を作り士気を鼓舞した。
 この謀反はただちに平定され、全て逆賊として処刑された。その中になんと、李白の名が載っていた。すでに、玄宗は皇帝を退き粛宗(しゅくそう)の時代になっていた。粛宗の佞臣(ねいしん)の宦官が皇帝に言った。
「忠臣、大詩人・杜甫(とほ)は戦火をくくり抜け、霊武(れいぶ)に天子様を探し求めて駆け散じた。然るに、李白は唐国の翰林供奉(かんりんくぶ)の職にありながら、こともあろうに反乱軍に加わった謀反の罪は大きい。死罪に処する」
 李白が死刑に処せられようとしているのを、時の将軍、郭子儀(かくしぎ)は知ってびっくりした。
「李白は漂泊の大詩人。すでに政から離れて十数年。誰が白髪の巨匠を反逆者と呼ぶことが出来ようか。詩仙を殺してなんになる。我が命をもって李白の無実を証す」
 愛馬「獅子花(ししか)」に乗って疾風のように現われた。将軍の濃紺のマントがひるがえった。将軍郭子儀の剣幕に押され、李白は死刑を免れた。
「今日、我があるのは李白殿のお陰、昔日の恩に報いることが出来た」
 と、つぶやき、将軍は胸をなで下ろし内心ほっとした。
ヒヒン、ヒヒンと、名馬「獅子花」は前足を天空にかきあげながらいなないた。
 郭子儀の力で何とか死刑を逃れたが、反逆謀反の罪は大きく、中国南の辺境の地、夜朗(やろう)(貴州)に流された。その後、罪が許され、李白は再び飄々と遍歴の旅に出た。

 李白がこの世を去ったのは、これから五年後旅先でのことであった。
 人づてに聞いた。李白は一人長江に舟を浮かべ、月を眺めながら酒を飲んでいた。なみなみと注いだ杯に輝く月を招き入れ、飲み干し、飲み干してはまた招き入れた。すっかり酩酊し、水面に映った月をすくい取ろうとして舟から落ちて溺れ死んだ。

 阿倍仲麻呂が李白の死を風の便りに知ったのは、彼がこの世を去ってから一年後のことであった。昔を懐かしく想い出した。かって、仲麻呂は王維にたずねたことがあった。
「王維殿、李白のあの人間味溢れる天才的な詩の源は、何処から生まれてくるのですか」
 王維は即座に一言で答えた。
「やつの碧眼(へきがん)よ」
 李白の瞳は僅かに青色を帯びていたのだ。李白自身はそれを知っていたのであろうか。
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2011年11月28日

連載(23)

seian.jpg  (連載23)

       9.西暦七百五十二年の遣唐使


「今晩、密に皆に集まっていただいたのは、日本国の存亡にかかわる国家の重大事について相談するためである」
 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)(恵美押勝えみのおしかつ)は少々興奮した口調で話した。
「皆もご存じの通り、今や朝鮮新羅(しらぎ)と日本との国交は、極めて危険な状態に落ちいっている。何かあれば、一触即発、戦争に発展しかねない。新羅とだけの戦であれば、日本国は十分に勝算はある。しかし、新羅は大唐国の冊封体制(さつふうたいせい)(属国)の下にある。新羅が他の国から攻められれば、大唐国はそれを援助する。又、新羅が他の国を討伐する時は、それを援助する。従って安易に手出しは出来ぬ」
 彼は紅潮して一気に喋った。
「二百年前、高句麗に攻められ日本は朝鮮の地、任那(みまな)を失い、百年前、新羅と大唐国の連合軍に白村江(はくすきのえ)の大戦で敗北した。今や日本は、長年統治してきた朝鮮半島から完全に撤退させられた。近年、新羅は日本への朝貢(ちょうこう)を怠り、臣下としての礼法にも欠ける始末だ。このまま放っておくと日本自身が危ない。怨念を忘れてはいけない。日本は朝鮮半島を征服し、大唐国と天下を二分しなければならない。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)恨みを晴らさん時がきた」
 彼の声は次第に熱がこもってきた。四十七歳の野望であった。
 七五二年(日本 天平勝宝四年)三月難波津を出航した。

 大使 :藤原朝臣清河(ふじわらのあそんきよかわ)  正四位下
 副使 :大伴宿禰古麻呂(おおとものすくねこまろ) 従四位上
 副使 :吉備朝臣真備(きびのあそんまきび)  従四位上 追加任命
 留学生:藤原刷雄(ふじわらのさつお)    従五位下(藤原仲麻呂の子)

 清河は日本を出発する際し、歌一首を残していった。
   ― 春日野にいつくみむろ御室の梅の花、栄えてあり待て、還り来るまで ―

 還り来るまでと、歌ったが二度と日本の地を踏むことはなかった。

 無事、唐に到着し長安に入った一行は、その年の秋に玄宗皇帝に謁見した。
「日本国遣唐使一行の容貌、風采、作法、他にことなり実に美しい」
 と、玄宗皇帝は藤原清河大使一行を称えた。大使藤原清河は「特進(とくしん)」、副使吉備真備、大伴古麻呂は「銀青光禄大夫(ぎんせんこうろくたいふ)」を授けられた。過去このような高い位を賜(たまわ)ることはなかった。玄宗皇帝は阿倍仲麻呂を案内役として、宮殿の中をくまなく拝見させることを許した。
「この度の、我が遣唐使の唐国における至れり尽くせりの歓迎は、阿倍仲麻呂殿のお力である。大唐国衛尉少卿(えいいしょうけい)(警視庁副長官にあたる)とはご立派になられたものだ」
 大使は喜んだ。今回は阿倍仲麻呂の存在が大きかった。
「彼の人徳によるところだ。いくら能力だけがあっても、いくら皇帝の心が大きいと言っても、日本人が大唐国の高級官僚になるなど、そう簡単に出来ることではない、大変なことだ」
 付き合いの深い吉備真備は、心の底から彼の活躍を賞賛した。
「仲麻呂殿、立派になったな。全く、日本人の誇りだ」
「まさか、貴殿に再会出来るとは、うれしい。一献傾けましょう」
 
 七五三年(日本 天平勝宝五年)正月元旦の拝賀の儀が大明宮(たいめいきゅう)の含元殿(がんげんでん)で行なわれ、百官、万国の使節が大勢参賀した。
 大明宮の正門の丹鳳門(たんほうもん)を通り抜けると、七段に折れ曲がった竜尾道(りゅうびどう)が連なり、その正面に一段と高く、含元殿が聳えていた。黒と瑠璃色の甍に覆われた世界大帝国の壮麗な殿堂(でんどう)であった。その左右に翔鸞(しょうらん)と棲凰(せいほう)の二つの楼閣が聳えていた。巨大な竜が頭を天空に向け両脇に鳳凰(ほうおう)を従えた光景は、まるで大唐国天子が下界を睥睨(へいげい)している雄姿であり、この世のもとは思えぬ壮大な情景に圧倒された。
 拝賀の日、外国の使節団の席次は東西の二つに分かれていた。東の第一席は新羅、第二席は大食(たいしょく)(サラセン)、西の第一席は吐蕃(とはん)(チベット)、第二席は日本になっていた。
 大伴古麻呂副使はこれを見て、席に着くことを拒んだ。
「昔から新羅は日本国に朝貢(ちょうこう)している国である。然るにこれを東の第一席にして、我等は却って、その三席も下に坐らせるとは、はなはだ納得できない。席次を変えてもらいたい」
「日本国副使殿。大唐国の正月拝賀の儀に席次の上下はありません。新羅と吐蕃は両国とも唐国と陸続きで近い隣国のため前の席に、唐国と遠く離れている日本、大食は後ろの席にしたまでのこと。国の位が上とか下とか、ということはありませんのでお引き取り下さい」
 と、唐国の将軍がやんわりと諭(さと)した。
「日本国においては、この席次は東の前が第一席、西の前が第二席、東の後ろが第三席、西の後ろが第四席である。然るに日本国の席次は最下位である」
 古麻呂は全く引き下がることなく、憮然(ぶぜん)として大声で言った。当たりは騒然としだした。
「毎年、新羅から朝貢使節団が唐を訪れており、唐国からもたくさんの人が彼の地を訪れている。両国の関係は日本国よりも親密で深いため、東の第一席にお願いした。日本国からの朝貢使は二十年に一回ぐらいのため、お互いに朋友はほとんどなく、言葉も通じないため、西の第二席にお願いした。ただし、その席次は国の序列を意味するものではない」
「日本は国家を上げて、多くの人の命を犠牲にし、波濤万里(はとうばんり)、大海をはるばる越えて貴国にやってきた。蓬莱(ほうらい)の遙か遠方から二十年振りにきた朋を新羅国より歓迎していただいてもよいと思うが、新羅国の大使殿はいかがか」
 と、言い寄った。近年、日本と新羅の仲は極めて険悪で、国交断絶の状態であった。ましてや、新羅討伐のための密約を結ぶためにやってきた大伴古麻呂には他の国はともかく、新羅が第一位で日本が第四位であることが許せなかった。
「我が国も地に落ちた物だ。ここは一つ頑張らぬと」
 と、古麻呂は腹の底で思った。
 事態を収拾するために真備は、前の上席にいるはずの阿倍仲麻呂を探した。仲麻呂もこの騒ぎにすでに気が付きやってきた。
「古麻呂殿・・・」
 仲麻呂は言い寄った。古麻呂は仲麻呂に微かに目で合図した。仲麻呂は彼が冷静で、演技であることに気が付きほっとした。
 唐の将軍が色々なだめたが、日本国副使は頑として承知しなかった。そろそろ天子様が出御する時間である、その前に何とか事を納めねばならなかった。
「東夷(とうい)日本国の田舎侍の失礼をお許し願いたい。国際人として、知性と教養の高い見識をもった新羅大使殿、この場は一つ、黙って日本国遣唐使と席を入れ替わっていただきたくお願い申し上げます。大使殿、この通りだ。私の顔に免じて助けて下さい」
 阿倍仲麻呂は深く頭を下げた。
 新羅大使は、しばらく、沈黙を保っていたが、一言いった。
「朝衡殿、わかり申した。頭をお上げ下さい。日本国副使殿、どうぞこちらのお席に」
 新羅の部下達がザワザワ騒ぎ出したので、新羅大使は、大声で一喝した。
「鎮まれ、日本国使節団に席を空けなさい」
 一行を西の吐蕃の下にさがらせた。
 その新羅の一行の末席に濃い紫の頭巾と紫の袈裟を着た小柄の尼僧がいた。それまでうつむいていた尼僧がこちらをチラリと見、ニヤリとした。古麻呂は一瞬目があった。
「蛇のような目をしている」
古麻呂はぞっとした。
「大伴古麻呂」
 と、女の口元が微かに動き、不適な笑いを浮かべたように見えた。
「あの女は何者か?」

 藤原清河大使より将軍を通し、玄宗皇帝の勅命により急遽席次を改めてもらうことが出来た。
「誠にかたじけない」
 と、言って、古麻呂を筆頭に日本国一行は東の第一席に坐った。落とし所を得て古麻呂も内心ホットした。
「仲麻呂殿に助けられたわい」
 新羅大使はかって若かりしころ長安で留学生としての体験があり、運良く阿倍仲麻呂とは当時からの親しい友人であった。
「新羅大使は、なかなか器の大きい人物だ」
 藤原清河が感心してつぶやいた。
 阿倍仲麻呂は古麻呂のこの礼儀知らずの態度に本当に憤慨していたわけではない。自分にはとてもできない芸当で、うらやましい気持すらあった。二十年に一回しかこられない日本国の存在価値を訴えるための大芝居を打ったのである。日本国が下に見られたと、ただ考えもなしに感情的に興奮して怒ったのではなかった。
 古麻呂は軍人であったが、遣唐使は今回二度目であった。白村江の戦い以来、日本の国際的地位が新羅に負けていることは誰よりも承知していた。ここ百年間、新羅は百済、高句麗を滅ぼし、唐、日本を追いだし朝鮮半島を統一した強国である。また、唐国は新羅を冊封国(さつふうこく)として深い関係にあり、毎年新羅は唐国に朝貢を送っていた。従って、日本国の席次が新羅より下であることは、誰が見ても当たり前の話で当然であり、古麻呂も百も承知していた。
 西の第二席に移った新羅の一行の中には、蛇のような目をしたあの尼僧はいつの間にか姿を消していた。
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2011年11月29日

連載(24)

kosemai.jpg  (連載24)

 正月の賑わいも終わったころ、大使藤原清河、副使吉備真備、大伴古麻呂は阿倍仲麻呂を訪問し、今回の、遣唐使の本当の使命について密談した。
「紫微令(しびれい)藤原仲麻呂(恵美押勝)は九年先の七六二年までに朝鮮半島を支配する野望を持っている。それには唐、渤海、日本の三国軍事同盟を結び、新羅を孤立させ、滅亡させることである。今回の遣唐使の真の目的は、仲麻呂殿の力を借りて、何とか唐と軍事同盟を結ぶ足掛かりをつくることである。力を貸していただきたい」
 大使が話を切りだした。
「藤原仲麻呂殿はそのように立派になられたか。難波津に送ってくれた時は、十二歳の紅顔可憐な美少年であったがのう。あれから早、三十六年が過ぎ去った」
 阿倍仲麻呂は遠い昔の少年時代を思い出しながら懐かしそうに言った。
「確かに今、大唐国は世界最強の大帝国だが、いくら大帝国であっても、その繁栄は何時までも続くものではない。栄枯盛衰は世の常。盛唐(せいとう)はすでに頂点を過ぎ、大唐国が九年先まで存続するかはわからない」
 大伴古麻呂があわてて口を挟んだ。
「何と、大唐国が七六二年まで存続しないと、何の根拠をもっておっしゃるのか」
「古麻呂殿、存続しないかもしれないと、言っているのです。明日のことは誰もわからない。玄宗皇帝は名君であった。開元(かいげん)の治は、唐をゆるぎない最強の国家にした。しかし、名君が何時までも名君であることは、いつの世でも難しいことよ。天子様もすでに六十八歳、元気ではあるが楊貴妃(ようきひ)様と共に詩歌管弦に明け暮れている。長安には平和な文化の花が咲き乱れている」
「確かに私もそう感じた。前回の遣唐使の時に比べて平和に倦(う)んでいる。天下太平は衰退の兆(きざ)しかもわからぬ」
「そうでしょう。玄宗皇帝は政治に飽き、改革を忘れた。戦争にかっての様な野心や情熱を失ってしまった。今や権力は外戚の楊国忠(ようこくちゅう)の手に委ねられ、国家、民衆を思わず私利私欲のみに走っている。このままでは、唐が危ない。かっての有能、剛直な宰相は皆いなくなった」
 仲麻呂は嘆きながら言った。
「私が帰国したい理由の一つは、大唐国の滅び行く姿を見たくないためですよ」
 唐が滅んでしまうなど、思いもよらないことを唐の高官、阿倍仲麻呂の口から平然と口にするのを聞かされて、三人は唖然とした。特に古麻呂は目をパチクリさせた。
「天子様に、今更、軍事同盟の話をしても、聞く耳を持たない」
「皇太子様はどうか。あるいは、天子の代わりに相談できる、有能な宰相(さいそう)は他にいないのか」
 吉備真備が問いかけた。
「いません」
 阿倍仲麻呂は即座に答えた。皇太子が愚鈍(ぐどん)であることは、あえて言わなかった。
「内密な話ゆえ、信頼できる人でなければいけない。特に、新羅は日本、唐国にたくさんの間者を放っていると聞いている」
 藤原清河大使が言った。
「真備殿、軍事同盟はお互いに利益が無ければ結ぶ事は難しい。唐国にとって、新羅との冊封関係を破棄してまで、日本と対等の軍事同盟を結ぶことに何の価値があるのですか」
 阿倍仲麻呂が問いただした。
三人とも言葉に詰まってしまった。しばらく沈黙が続いた。
「古麻呂殿、軍事同盟の見返りに日本国は唐国に九州でも割譲(かつじょう)する覚悟があるのですか。大唐国にとって九州の如き小島では話にならないかもしれないが」
「それは出来ない」
「古麻呂殿、自分の都合だけ考えても同盟を結ぶことは出来ませんよ。相手の立場も考えなければ・・・」
「それはそうだ」
「一時的に、朝鮮半島を支配できても、永久に統治することはできない」
「何故、断定出来るのですか」
 古麻呂が尋ねた。
「未来永劫、存在する大海です。海峡は万里の長城の、百倍以上の威力がある天然の要塞で、永久に両国を隔てている。人の世は有為転変(ういてんぺん)。人が結んだ紐はいつかは解け、築いた壁はいつかは崩れる。大海は何時までも大海である」
「仲麻呂殿の言う通りだ。日本が中国の属国になっていないのは、日本が強いからではない。東方の大海にある島国だからだ。海は天然の要塞よ」
 真備が同意した。
「では貴殿は三国同盟締結には反対ですか」
 清河が尋ねた。
「戦争に反対です。二、三年唐のいく末を見極めることですね。時間はいつでもある。早まることはない。歴史の流れを見極めることだ」
 阿倍仲麻呂は悠然として言った。清河、真備、古麻呂は返す言葉がなく、沈黙が続いた。
「お三人さんは戦争が好きですか。人が人を殺すことが好きですか」
 清河が答えた。
「それは平和が一番ですよ」
 そこで話は途絶えてしまった。沈黙を破って阿部仲麻呂がつぶやいた。
「まあ、一度、それとなく話してはみるが」
「誰にですか。皇帝にですか、楊国忠にですか、楊貴妃ですか」
 古麻呂がたたみかけて、問いかけた。
「いいえ、高力士(こうりきし)将軍だ」
 仲麻呂はさりげなく答えた。
「何、宦官(かんがん)にですか」
 古麻呂が確かめた。
「ところで皆さん、砕葉(さいよう)(タラス)河畔の戦いはご存じですか」
「いえ、全く知りません」
 大使以下、顔を見合わせて答えた。
「大唐国の西に世界を二分する阿拉伯(アラビア)(アパース朝イスラム帝国)があります」
「大唐国の西は天竺(てんじく)(インド)だけでなく、他に大国があるのか」
「天竺の更に西、阿拉伯半島にある巴格達(バグダット)は、長安に勝るとも劣らない大きな都で、アラビアン・ナイト物語の舞台になった街ですよ。ご存じないですか」
「そのような話は聞いたことがない」
「一昨年、七五一年(日本 天平勝宝三年)世界二大帝国、大唐帝国と阿拉伯帝国は砕葉(さいよう)河畔(中央アジアキルギス)で戦った。世界の東西天下分け目の戦いでした」
「それで、唐は勝ったのか負けたのか」
「大唐国河西節度使(かせいせつどし)、朝鮮人高仙芝(こうせんし)将軍は七万の兵を従え、砕葉城に立てこもり五日間死守したが、阿拉伯、トルコ連合軍に撃破され大敗を喫した」
「今が大唐国の盛から衰への分かれ道と見たのか」
 真備は読んだ。
「五万の兵が殺され、二万の兵が捕虜となった」
「国際人阿倍仲麻呂の大きさと深さに次元の違いを感じます」
清河大使は感心した。
「天下の情勢を未来の天上より、眺めることが出来ればよいのだが、そうも出来ぬな。ハハハ」
阿倍仲麻呂は笑いながら言った。
 安史(あんし)の乱が起き、玄宗皇帝が命からがら蜀(成都)に逃げたのは、この密談からわずか二年後のことであった。
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連載(25)

nakamaro-oui.jpg  (連載25)

 玄宗皇帝は朝衡に勅した。
「朝衡。秘書監(ひしょかん)(文部大臣にあたる)並びに衛尉卿(えいいきょう)(警視庁長官にあたる)従三品を授ける。また、この度の日本国遣唐使を送る唐国送迎大使を任命する。一行を無事日本国に送り届けよ」
「身に余る名誉、恐悦至極に存じ上げます」
 東夷(とうい)の日本人が、唐国の衛尉小卿(警視庁副長官)から秘書監兼衛尉卿にまで昇進。つまり、大臣にまで抜擢されたことは、当時としても破格のことで、帝都長安でも話題になった。
「三品とは大唐国宰相並みの極めて高い位だ」
 阿倍仲麻呂が偉大であったことも事実であろうが、野蛮国の人間でも有能であれば抜擢する度量の大きさが大唐国の皇帝には備わっていたのである。鬢に白髪も見える阿倍仲麻呂は三十七年ぶりに故国日本に帰れることになった。五十四歳の夏であった。

 ある秋の日、高力士が楊貴妃にそっと告げた。
「重陽(ちょうよう)の日(九月九日)、青龍寺に遊ばされたらどうですか」
「なにかあるのですか」
「紅葉が美しいですよ」
「そうね。今が柿落ち葉の真っ盛りね」
 高力士は楊貴妃が朝衡に密かに心を寄せていることを見抜いていた。
「朝衡殿も、長安の見納めに訪れたいと言っていましたよ」
「いつにですか」
「重陽の日に」
「高力士、ありがとう。妾(わらわ)もそうするわ」
 楊貴妃は朝衡が日本へ帰ることを知っていた。
 その日、二頭立ての小さな馬車に乗って、楊貴妃はこっそり青龍寺に向かった。お供の侍女は一人きりであった。
 白い秋の風が吹いていた。楊貴妃の髪がほつれる糸のごとく乱れた。千本の赤い柿の実と葉が炎のように秋空に燃え上がっていた。
「あら、朝衡様」
「楊貴妃様」
「日本にいらっしゃるのね」
「はい。天子様のお許しをいただき、故郷、日本へ帰ることになりました」
「帰るとは・・・いらっしゃるのでしょう」
「・・・はあ」
「唐には何年」
「三十七年です」
「それでは唐があなたの故郷ではないですか」
「そうかもしれませんね。楊貴妃様とお別れするのが残念です」
「お別れ?、又、帰ってくるのでしょ」
「ほらご覧。雁がねが南に帰っていく。雁がねは翌年の春必ず戻ってくるわよ」
「私も羽があれば・・・。ああそうだ、楊貴妃様。金のかんざしをお返します」
 と、言って朝衡は楊貴妃の手を取り、かんざしを握らせた。楊貴妃は朝衡の手を振り解くことなく、握られたままであったが、かんざしを受け取ろうとはしなかった。
「日本からお帰りになった時に返してもらうわ」
「帰ってきた時に・・・ わかりました。そうしよう」
「朝衡様 ありがとう」
 しばらく二人の沈黙がつづいた。
「妾(わらわ)は近頃、底無しの沼に引きずりこまれていくような気がするの。いくらもがいても自分で這い出す事が出来ないわ」
 阿環は自分の手で自分の髪の毛を掴み引っ張りあげようとしているようなもどかしさを感じていた。
「阿環さん、人間は皆底無しの沼に足を踏み入れています」
「仲麻呂さま どうか私を底無しの沼から抱き上げて下さい」
 二人は阿環と仲麻呂に戻っていた。
「もがかないことですよ」
「私を一緒に日本に連れて行ってください」
 阿環は子犬のようにしがみついてきた。
 二人はお互いに抱き合いたかったが、出来なかった。

 玄宗には仲麻呂が大唐国の高官として日本国遣唐使を送って後、また、帰ってきて欲しいとの気持ちがあったのである。

 百官の高官、友人達は仲麻呂の惜別の宴を開き、酒を酌み交わし、別れを悲しみ、旅路の無事を祈った。三十年来の友人である王維(おうい)は仲麻呂に言った。王維はこの時、尚書右丞(しょうしょうじょう)の高官の職にあり、詩人としての名声は唐中に響き渡っていた。
「曲江(きょくこう)の宴で、牡丹を披露してからもう三十年が過ぎ去った。懐かしいなあ」
「王維殿、本当に早いものですね」
「若き三仙人もまさに白髪仙人よ」
 王維は仲麻呂に別れの歌を送った。二度と逢えないであろう。それどころか、便りさえどのように出したらよいかわからないと嘆いた。その長い詩の最後の二行は

   別離 方(まさ)に域(いき)を異にせば
   音信いかにぞ通ぜん

 と、結んだ。仲麻呂の返答の詩、最後の二行は

   平生(へいぜい)の一宝剣(いちほうけん)  
   留(とど)めて交わりを結びし人に贈る

 ―永久の友情の印に、我が宝刀を君に贈ろう。受け取ってくれ―

 仲麻呂は三十七年間、自分を守り通してくれた家宝の黒作太刀(くろづくりのたち)を王維に贈った。鞘(さや)は椋材(むくざい)を用い、その上を薄い鹿皮で巻き、黒漆で仕上げてあった。柄(つか)は鮫皮(さめがわ)でその上を絹紐で巻き上げ、帯執(おびとり)は赤く染めた鞣(なめ)し皮であった。反りのない二尺六寸の伝家の宝刀を王維に贈った。
 離別の慣わしに従い、王維達は馬を並べ、銷魂橋(しょうこんきょう)まで送っていった。長安城の東門を出て、北流する運河の辺にある長楽(ちょうらく)駅の宿場を、さらに八キロ先に別れの駅亭があった。馬上には一壺(いっこ)の酒。馬から下りて、
「君にすすむる一杯の酒。朝衡、ここでお別れだ。達者で行けよ。さらばだ」
 口からあふれた酒が白いあご髭をつたわって大地にこぼれ落ちた。
 王維は柳の枝を採り、丸く編み上げた。その緑の環を仲麻呂の頭に乗せた。仲麻呂もそれに習って柳の環を王維の頭にも乗せた。お互いの頭には白髪が混じっていた。
posted by いきがいcc at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 25.西暦七五二年の遣唐使